知の地図帳NEUTROPE ATLAS / CLASSICAL MUSIC

作曲家を知る。時代がつながる。

クラシック音楽の
地図帳

あの作曲家は、どんな時代を生きたのだろう。

作曲家の生涯と、その頃の社会をひとつの年表に。
知っている名前から、音楽の歴史をたどってみましょう。

18人の作曲家・34の作品紹介 / 初版

作曲家と時代をたどる

年表で生涯を見比べ、その頃の出来事から時代の背景を読んでみましょう。

この地図帳のたどり方

年表に示す年は作曲家の生没年です。作品が作られた年ではありません。下の年代順リストでは、人物紹介と出来事を読めます。

紹介の中のリンクから、外部サイトの演奏や録音の案内へ進めます。「60秒試聴」は曲の一部、「配信サービスを選ぶ」は再生先の案内です。「販売ページ」「録音情報」は、開くだけで全曲を聴けるとは限りません。ログインや契約が必要な場合があります。

時代と出来事を、年代順に

人物の年は生没年、出来事の年はそれが起きた時期です。時代の説明から、人物や出来事をたどれます。

およそ500–1400年

中世

教会で歌われる聖歌(単旋律=ひとつの旋律だけで進む音楽)が中心でしたが、宮廷では恋や騎士道を歌う世俗の歌も生まれました。12世紀には、聖歌に別の声部を重ねる多声音楽(いくつもの旋律を同時に重ねる音楽)が発展します。

時代解説の出典:Wilson / Royston:Western European Music History、Britannica:Troubadour、Britannica:Léonin

  1. 1025年ごろ

    記譜

    線で音の高さを示す記譜の整備(グイード・ダレッツォ)

    線を使って音の高さを書き表す方法を整えました。ut・re・mi の階名で旋律を学ぶ方法も、彼のものとされます。旋律を耳で覚えるだけでなく、書いて伝えやすくなります。

    出典:Britannica:Guido d’Arezzo

  2. 1098–1179生没年

    ヒルデガルト・フォン・ビンゲン

    Hildegard von Bingen · ディジボーデンベルク修道院/ルペルツベルク(ビンゲン近郊)

    人物の紹介と出典

    Hildegard von Bingen/生没年 1098–1179/主な活動地域:ディジボーデンベルク修道院、ルペルツベルク(ビンゲン近郊)

    どんな人?

    ドイツの修道女で、のちに自ら修道院を開いた修道院長です。幻視を記した著作《スキヴィアス》などを書き、詩とその旋律もつくりました。生地には諸説があります。

    音楽史での役割

    77の詩に自分で旋律を付けた歌の集まりを残しました。道徳劇(教えを登場人物に見立てた劇)《オルド・ヴィルトゥトゥム》は、同じ種類の劇の中でおよそ100年早い作品と解説されています。

    人のつながり(資料で確認できたもの)

    • 収録中の作曲家との直接の関係は、資料では確認できていません。

    同じ時代を生きた人

    収録作曲家の中に、生涯が重なる人はいません。

    この地図帳の収録曲

    出典

  3. 1100年ごろから

    宮廷

    トルバドゥールの歌が広がる

    南フランスなどで、恋や騎士道をオック語で歌う詩人・音楽家が活躍しました。中世の音楽は、教会のものだけではありません。

    出典:Britannica:Troubadour

  4. 1170年ごろ

    教会

    パリで多声の聖歌(オルガヌム)がまとめられる

    聖歌の旋律に別の声部を重ねた2声のオルガヌムを集めた曲集が、レオナンの名と結びついて伝わります。その後ペロタンの世代には、さらに声部の多い作品も現れます。

    出典:Britannica:Léonin、Britannica:Pérotin

およそ1400–1600年

ルネサンス

教会や宮廷で、いくつもの旋律を重ねる多声音楽が磨かれました。ジョスカンやパレストリーナが生きた時代には、楽譜の印刷が広がり、作品がより多くの人に届くようになります。宗教改革も礼拝の音楽を変え、ルター派では会衆がドイツ語の賛美歌を歌いました。教会の外では、シャンソンやマドリガーレなどの世俗の歌も親しまれました。

時代解説の出典:The Metropolitan Museum of Art:Music in the Renaissance

  1. 1450年ごろ–1521生没年

    ジョスカン・デ・プレ

    Josquin des Prez · カンブレ/ミラノ/ローマ(教皇礼拝堂)/フェラーラ/コンデ=シュル=レスコー

    人物の紹介と出典

    Josquin des Prez/生没年 1450年ごろ–1521/主な活動地域:カンブレ、ミラノ、ローマ(教皇礼拝堂)、フェラーラ、コンデ=シュル=レスコー

    どんな人?

    生地ははっきりせず(コンデとする説があります)、若いころの経歴にもわからない点が多くあります。ミラノの宮廷、ローマの教皇礼拝堂、フェラーラの宮廷などで働き、晩年はコンデの聖堂で過ごしました。

    音楽史での役割

    1500年ごろのヨーロッパを代表する多声音楽の作曲家です。1501年からペトルッチが出版した印刷楽譜集に作品が収められ、1502年からは彼のミサ曲集も出版されました。

    人のつながり(資料で確認できたもの)

    同じ時代を生きた人

    収録作曲家の中に、生涯が重なる人はいません。

    この地図帳の収録曲

    出典

  2. 1501

    楽譜出版

    活字で印刷した多声音楽の楽譜集

    ヴェネツィアのペトルッチが、いくつもの声部をもつ曲を活字で印刷して出版しました。ジョスカンの作品も収められ、翌1502年からは彼のミサ曲集も出版されます。手で写していた楽譜が、同じ形で多くの人に届くようになっていきます。

    関係する作曲家: ジョスカン・デ・プレ

    出典:Britannica:Ottaviano dei Petrucci、Britannica:Josquin des Prez

  3. 1525年ごろ–1594生没年

    パレストリーナ

    Giovanni Pierluigi da Palestrina · パレストリーナ/ローマ(サン・ピエトロ大聖堂、ラテラノ、サンタ・マリア・マッジョーレ)

    人物の紹介と出典

    Giovanni Pierluigi da Palestrina/生没年 1525年ごろ–1594/主な活動地域:パレストリーナ、ローマ(サン・ピエトロ大聖堂、ラテラノ、サンタ・マリア・マッジョーレ)

    どんな人?

    ローマ近郊の町パレストリーナに生まれ、その町の名で呼ばれます。ローマの大きな教会で聖歌隊の楽長を務め、100曲を超えるミサ曲を書きました。

    音楽史での役割

    歌詞が聞き取りやすく、声の重なりが澄んだ教会音楽の手本とされ、後の時代には「パレストリーナ様式」の対位法として教えられました。

    人のつながり(資料で確認できたもの)

    • 作品を素材に:パレストリーナの《ミサ・ベネディクタ・エス》は、ジョスカンのモテット《ベネディクタ・エス》を素材にしたミサ曲(パロディ・ミサ)です。(Gimell:Palestrina, Missa Benedicta es(The Tallis Scholars))
    • 学習・編曲:バッハは晩年のライプツィヒで、パレストリーナの《ミサ・シネ・ノミネ》に管楽器と通奏低音のパートを加え、演奏のために編曲しました。実際に演奏されたかどうかは資料ではっきりしません。(Carus-Verlag:Palestrina / J. S. Bach (arr.), Missa sine nomine)

    同じ時代を生きた人

    生涯が重なる収録作曲家:モンテヴェルディ。生きた年代が重なることは、交流があったことを意味しません。

    この地図帳の収録曲

    • キリエ キリエ全体(ミサ曲からの抜粋)

    出典

  4. 1562

    教会

    公会議で、教会音楽の歌詞の聞き取りやすさが求められる

    宗教改革に向き合ったカトリック教会の会議(トリエント公会議)で論じられました。パレストリーナのミサ曲が多声音楽を「救った」という話は、19世紀に資料から否定された伝説です。

    関係する作曲家: パレストリーナ

    出典:Hyperion:Palestrina, Missa Papae Marcelli & Missa brevis(Westminster Cathedral Choir, David Hill)

およそ1600–1750年

バロック

1600年ごろ、歌で物語を演じるオペラ(声楽と劇の結びつき)が生まれ、協奏曲も育ちました。低音の上に和音を重ねる書き方(通奏低音=鍵盤楽器などが和音で伴奏を支える仕組み)が広がり、音楽家の多くは教会や宮廷に仕えていました。

時代解説の出典:Wilson / Royston:Western European Music History

  1. 1567年(洗礼)–1643生没年

    モンテヴェルディ

    Claudio Monteverdi · クレモナ/マントヴァ(ゴンザーガ家の宮廷)/ヴェネツィア(サン・マルコ大聖堂)

    人物の紹介と出典

    Claudio Monteverdi/生没年 1567年(洗礼)–1643/主な活動地域:クレモナ、マントヴァ(ゴンザーガ家の宮廷)、ヴェネツィア(サン・マルコ大聖堂)

    どんな人?

    クレモナで洗礼を受けました(誕生日はわかっていません)。マントヴァの宮廷に仕えて1602年に楽長となり、1613年からはヴェネツィアのサン・マルコ大聖堂の楽長を務めました。

    音楽史での役割

    歌詞の感情を伝えるために、従来の作法にとらわれない書き方を「第二の作法」と呼んで擁護し、古い作法と新しい作法を分けるこの考え方は大きな影響を与えました。オペラを大きく発展させた人物とされます。

    人のつながり(資料で確認できたもの)

    同じ時代を生きた人

    生涯が重なる収録作曲家:パレストリーナ。生きた年代が重なることは、交流があったことを意味しません。

    この地図帳の収録曲

    出典

  2. 1600

    劇場・舞踊

    音楽が完全に残る最初のオペラ《エウリディーチェ》

    フィレンツェのペーリたちが、歌で物語を演じる新しい舞台をつくりました。それ以前の《ダフネ》(1598年)は、音楽がほとんど残っていません。

    出典:Britannica:Jacopo Peri

  3. 1607

    劇場・舞踊

    モンテヴェルディ《オルフェオ》

    マントヴァの宮廷に仕えていた時期に上演されたオペラです。器楽の合図に始まり、歌と合唱と器楽で物語を演じます。

    関係する作曲家: モンテヴェルディ

    出典:Britannica:Claudio Monteverdi、Deutsche Grammophon:Monteverdi, L’Orfeo(Gardiner, Archiv Produktion 419 250-2)、Château de Versailles Spectacles:L'Orfeo 解説書(PDF)

  4. 1613

    教会

    モンテヴェルディ、サン・マルコ大聖堂の楽長に

    宮廷から、ヴェネツィアの大聖堂へ。教会音楽の責任者として、晩年までこの地で活動しました。

    関係する作曲家: モンテヴェルディ

    出典:Britannica:Claudio Monteverdi

  5. 1637

    市民と公開演奏会

    ヴェネツィアに最初の公開オペラ劇場

    宮廷の催しだったオペラを、入場料を払えば見られる劇場が開きました。音楽が「興行」として成り立つ場の始まりの一つです。

    出典:Britannica:Opera — Venetian opera

  6. 1678–1741生没年

    ヴィヴァルディ

    Antonio Vivaldi · ヴェネツィア/マントヴァ/ウィーン(晩年)

    人物の紹介と出典

    Antonio Vivaldi/生没年 1678–1741/主な活動地域:ヴェネツィア、マントヴァ、ウィーン(晩年)

    どんな人?

    ヴェネツィア生まれのヴァイオリン奏者で、司祭でもありました。1703年から、捨て子を養育する施設ピエタ院でヴァイオリンを教え、そこで音楽を学ぶ少女たちが演奏する曲を書きました。最晩年はウィーンへ移り、そこで亡くなりました。

    音楽史での役割

    独奏と合奏が交互に現れる協奏曲の形を広め、同時代の作曲家の手本になりました。バッハも彼の協奏曲を鍵盤楽器用に編曲しています。

    人のつながり(資料で確認できたもの)

    • 学習・編曲:バッハはヴィヴァルディの協奏曲を鍵盤楽器用に編曲し、その書法から学びました。ここに掲載した作品同士の直接の影響を示すものではありません。(Britannica:Antonio Vivaldi、DG:J. S. Bach Biography)

    同じ時代を生きた人

    生涯が重なる収録作曲家:J. S. バッハ、ヘンデル、ハイドン。生きた年代が重なることは、交流があったことを意味しません。

    この地図帳の収録曲

    • 春 第1楽章全体(協奏曲からの抜粋)
    • 冬 第2楽章全体(協奏曲からの抜粋)

    出典

  7. 1685–1750生没年

    J. S. バッハ

    Johann Sebastian Bach · ヴァイマル/ケーテン/ライプツィヒ

    人物の紹介と出典

    Johann Sebastian Bach/生没年 1685–1750/主な活動地域:ヴァイマル、ケーテン、ライプツィヒ

    どんな人?

    ドイツ中部のアイゼナハで、音楽家の多い一族に生まれました。教会のオルガン奏者や宮廷の楽長を務め、1723年からはライプツィヒの聖トーマス教会のカントル(教会音楽の責任者)として、礼拝のための曲を数多く書きました。

    音楽史での役割

    いくつもの旋律を同時に組み合わせる「対位法」を高い水準でまとめました。没後しばらく大作が演奏される機会は少なくなりましたが、19世紀に再評価が進みます。

    人のつながり(資料で確認できたもの)

    • 学習・編曲:バッハは晩年のライプツィヒで、パレストリーナの《ミサ・シネ・ノミネ》に管楽器と通奏低音のパートを加え、演奏のために編曲しました。実際に演奏されたかどうかは資料ではっきりしません。(Carus-Verlag:Palestrina / J. S. Bach (arr.), Missa sine nomine)
    • 学習・編曲:バッハはヴィヴァルディの協奏曲を鍵盤楽器用に編曲し、その書法から学びました。ここに掲載した作品同士の直接の影響を示すものではありません。(Britannica:Antonio Vivaldi、DG:J. S. Bach Biography)
    • 面会の記録なし:同じ1685年にドイツで生まれましたが、二人が会うことはありませんでした。同じ時代を生きても、交流があったとは限らない例です。(University of Houston:Engines of Our Ingenuity — Bach and Handel)
    • 学習・編曲:モーツァルトはウィーンで、パトロンのヴァン・スヴィーテン男爵の家でバッハやヘンデルなどの音楽に触れ、学びました。(Britannica:Mozart — Vienna: the early years)
    • 学習・編曲:ショパンはバッハの《平均律クラヴィーア曲集》を愛奏し、マヨルカ島にも楽譜を持っていきました。前奏曲集作品28の背景の一つとされますが、曲の並べ方などはショパン独自のものです。(Fryderyk Chopin Institute:Preludes)

    同じ時代を生きた人

    生涯が重なる収録作曲家:ヴィヴァルディ、ヘンデル、ハイドン。生きた年代が重なることは、交流があったことを意味しません。

    この地図帳の収録曲

    出典

  8. 1685–1759生没年

    ヘンデル

    George Frideric Handel · ハレ/ハンブルク/イタリア/ロンドン

    人物の紹介と出典

    George Frideric Handel/生没年 1685–1759/主な活動地域:ハレ、ハンブルク、イタリア、ロンドン

    どんな人?

    バッハと同じ1685年、ドイツのハレに生まれました。ハンブルクとイタリアで経験を積み、1712年からロンドンを拠点にしました。

    音楽史での役割

    ロンドンでイタリア語のオペラを上演し、のちに英語のオラトリオ(宗教的な題材を、演技をせずに歌う劇的な声楽曲)へ力を移しました。《メサイア》は1742年にダブリンで初演されました。

    人のつながり(資料で確認できたもの)

    同じ時代を生きた人

    生涯が重なる収録作曲家:ヴィヴァルディ、J. S. バッハ、ハイドン、モーツァルト。生きた年代が重なることは、交流があったことを意味しません。

    この地図帳の収録曲

    出典

  9. 1703

    教育

    ヴィヴァルディ、ピエタ院で教え始める

    慈善施設で育つ少女たちにヴァイオリンを教え、彼女たちが演奏する曲を書きました。

    関係する作曲家: ヴィヴァルディ

    出典:Britannica:Antonio Vivaldi

  10. 1719

    楽譜出版

    ライプツィヒに出版社ブライトコプフ創業

    のちのブライトコプフ・ウント・ヘルテル社です。19世紀にはシューベルトの全集なども出版し、作品を後の時代へ伝える役割を担いました。

    出典:IMSLP:Breitkopf und Härtel、IMSLP:Schubert, Symphony No.9 D.944(旧全集の楽譜情報)

  11. 1723

    教会

    バッハ、ライプツィヒのトーマス・カントルに

    教会の礼拝で演奏する音楽を用意し、聖歌隊を指導するのが仕事でした。教会は音楽家の大きな職場の一つでした。

    関係する作曲家: J. S. バッハ

    出典:Britannica:Johann Sebastian Bach

  12. 1725

    市民と公開演奏会

    パリで公開演奏会「コンセール・スピリチュエル」が始まる

    オペラが休む時期を補うために開かれた、公開の演奏会です。

    出典:Larousse:Concert spirituel、Britannica:Le Concert Spirituel

  13. 1742

    市民と公開演奏会

    ヘンデル《メサイア》ダブリンで初演

    オラトリオ《メサイア》は、ダブリンでの初演で深い感銘を与えました。

    関係する作曲家: ヘンデル

    出典:Britannica:George Frideric Handel

18世紀後半–19世紀初め

古典派

わかりやすい旋律とはっきりした形式が好まれ、交響曲や弦楽四重奏曲が整いました。貴族に仕える音楽家がいる一方で、宮廷から公開の演奏会場へと音楽の場が広がります。

時代解説の出典:Wilson / Royston:Western European Music History

  1. 1732–1809生没年

    ハイドン

    Joseph Haydn · ウィーン/エステルハージ家の宮廷/ロンドン(1790年代)

    人物の紹介と出典

    Joseph Haydn/生没年 1732–1809/主な活動地域:ウィーン、エステルハージ家の宮廷、ロンドン(1790年代)

    どんな人?

    オーストリアの村ローラウに生まれました。1761年からハンガリーの貴族エステルハージ家に仕え、宮廷の楽団のために多くの曲を書きました。1790年代には興行主ザロモンの招きで2度ロンドンを訪れています。

    音楽史での役割

    交響曲や弦楽四重奏曲の形を整えた中心人物の一人です。ロンドンの演奏会のために書いた交響曲には、この地図帳の《驚愕》《時計》が含まれます。

    人のつながり(資料で確認できたもの)

    同じ時代を生きた人

    生涯が重なる収録作曲家:ヴィヴァルディ、J. S. バッハ、ヘンデル、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト。生きた年代が重なることは、交流があったことを意味しません。

    この地図帳の収録曲

    出典

  2. 1756–1791生没年

    モーツァルト

    Wolfgang Amadeus Mozart · ザルツブルク/ウィーン/ヨーロッパ各地への演奏旅行

    人物の紹介と出典

    Wolfgang Amadeus Mozart/生没年 1756–1791/主な活動地域:ザルツブルク、ウィーン、ヨーロッパ各地への演奏旅行

    どんな人?

    ザルツブルクで生まれ、子どものころから父とヨーロッパ各地を演奏して回りました。1781年、仕えていたザルツブルク大司教のもとを離れてウィーンに移り、作曲・演奏・指導を仕事にしました。1787年には皇帝の宮廷作曲家にも任命されています。

    音楽史での役割

    オペラ、交響曲、協奏曲、室内楽のすべてで、古典派を代表する作品を残しました。ウィーンではバッハやヘンデルの音楽にも触れています。

    人のつながり(資料で確認できたもの)

    同じ時代を生きた人

    生涯が重なる収録作曲家:ヘンデル、ハイドン、ベートーヴェン。生きた年代が重なることは、交流があったことを意味しません。

    この地図帳の収録曲

    出典

  3. 1761

    宮廷

    ハイドン、エステルハージ家に仕える

    貴族の宮廷楽団の副楽長、のちに楽長として、交響曲や室内楽を書き続けました。宮廷に仕えることは、当時の音楽家の代表的な働き方でした。

    関係する作曲家: ハイドン

    出典:Britannica:Joseph Haydn

  4. 1770–1827生没年

    ベートーヴェン

    Ludwig van Beethoven · ボン/ウィーン

    人物の紹介と出典

    Ludwig van Beethoven/生没年 1770–1827/主な活動地域:ボン、ウィーン

    どんな人?

    1770年にボンで洗礼を受けました(誕生日は正確にはわかっていません)。1792年、ハイドンに学ぶためにウィーンへ移り、ピアニスト・作曲家として活動しました。聴覚を失っていく中でも作曲を続けました。 1809年には、ウィーンにとどまってもらうため、貴族3人が毎年の生活費を支援する契約を結びました。作曲家としての活動は、こうした支援者にも支えられていました。

    音楽史での役割

    古典派の形式を受け継ぎながら、作品の規模と表現を大きく広げました。19世紀の作曲家にとって、大きな手本であり続けます。

    人のつながり(資料で確認できたもの)

    • 師弟:ベートーヴェンは1792年、ハイドンに学ぶためにウィーンへ移りました。ハイドンに師事しながら、ひそかにアルブレヒツベルガーなどほかの先生にも学んでいます。(Britannica:Ludwig van Beethoven)
    • 間接的な接点:シューベルトはベートーヴェンの葬儀(1827年)で松明を持つ役を務めました。(Britannica:Beethoven — The last years)

    同じ時代を生きた人

    生涯が重なる収録作曲家:ハイドン、モーツァルト、シューベルト、メンデルスゾーン、ショパン、シューマン。生きた年代が重なることは、交流があったことを意味しません。

    この地図帳の収録曲

    出典

  5. 1781

    宮廷

    モーツァルト、大司教のもとを離れウィーンへ

    ザルツブルク大司教への奉職を離れ、ウィーンで作曲・演奏・指導の仕事を広げました。貴族や裕福な市民の支援は引き続き重要で、1787年には皇帝の宮廷作曲家にも任命されています。音楽家の働き方は、一度に宮廷から独立したわけではありません。

    関係する作曲家: モーツァルト

    出典:Österreichische Mediathek:Viennese period (1781–1791)、Britannica:Mozart — Vienna: the early years、LibreTexts:Music in the Classical Period

  6. 1791

    市民と公開演奏会

    ハイドン、ロンドンの演奏会へ

    エステルハージ家の楽団が解散した後、興行主ザロモンの招きでロンドンに渡り、公開演奏会のための交響曲を書きました。1794年にも再び訪れています。

    関係する作曲家: ハイドン

    出典:Britannica:Joseph Haydn — English period、Britannica:Joseph Haydn

  7. 1795

    教育

    パリ音楽院の発足(前身の学校を再編)

    演奏家と作曲家を体系的に育てる学校として組織されました。のちにドビュッシーやラヴェルもここで学びます。

    関係する作曲家: ドビュッシー ラヴェル

    出典:Britannica:Conservatory、Britannica:Maurice Ravel、DG:Claude Debussy Biography

19世紀を中心に

ロマン派

個人の感情や物語、民族の音楽への関心が深まりました。ピアノの改良、演奏会の団体、専門の音楽学校(音楽院)が、音楽家の活動の場を変えていきます。

時代解説の出典:Wilson / Royston:Western European Music History

  1. 1797–1828生没年

    シューベルト

    Franz Schubert · ウィーン/ジェリズ(夏の滞在)

    人物の紹介と出典

    Franz Schubert/生没年 1797–1828/主な活動地域:ウィーン、ジェリズ(夏の滞在)

    どんな人?

    ウィーン近郊で生まれ、生涯のほとんどをウィーンで過ごしました。エステルハージ家の娘たちの音楽教師として、夏をジェリズ(当時のハンガリー)で過ごしたこともあります。31歳で亡くなりました。

    音楽史での役割

    詩に曲を付けたドイツ語の歌曲(リート)を大きく発展させ、歌曲や室内楽では旋律と和声の美しさで知られます。

    人のつながり(資料で確認できたもの)

    同じ時代を生きた人

    生涯が重なる収録作曲家:ハイドン、ベートーヴェン、メンデルスゾーン、ショパン、シューマン。生きた年代が重なることは、交流があったことを意味しません。

    この地図帳の収録曲

    出典

  2. 1809–1847生没年

    メンデルスゾーン

    Felix Mendelssohn Bartholdy · ハンブルク/ベルリン/ライプツィヒ

    人物の紹介と出典

    Felix Mendelssohn Bartholdy/生没年 1809–1847/主な活動地域:ハンブルク、ベルリン、ライプツィヒ

    どんな人?

    ハンブルクに生まれ、ベルリンで育ちました。1835年からライプツィヒのゲヴァントハウス管弦楽団の指揮者・音楽監督を務めました。

    音楽史での役割

    協奏曲や管弦楽曲を作るとともに、バッハの音楽を演奏会で紹介する役割も果たしました。

    人のつながり(資料で確認できたもの)

    • 言及・評価:シューマンは、1835年からメンデルスゾーンの死までを対象とする回想の記録を残しました。自筆資料をもとにした校訂版があり、Schumann-Portalで英訳が公開されています。(Schumann-Portal:メンデルスゾーンの回想録)

    同じ時代を生きた人

    生涯が重なる収録作曲家:ベートーヴェン、シューベルト、ショパン、シューマン、ブラームス、チャイコフスキー。生きた年代が重なることは、交流があったことを意味しません。

    この地図帳の収録曲

    出典

  3. 1810–1849生没年

    ショパン

    Frédéric Chopin · ワルシャワ/パリ

    人物の紹介と出典

    Frédéric Chopin/生没年 1810–1849/主な活動地域:ワルシャワ、パリ

    どんな人?

    ワルシャワ近郊のジェラゾヴァ・ヴォラに生まれました(生年月日には諸説があります)。1830年にポーランドを離れ、ウィーンを経て1831年にパリへ移りました。

    音楽史での役割

    作品のほとんどをピアノのために書き、ピアノの響きの可能性を広げました。パリでは大きな演奏会よりも、貴族や裕福な人々の家での演奏と、ピアノを教えることが活動の中心でした。

    人のつながり(資料で確認できたもの)

    • 学習・編曲:ショパンはバッハの《平均律クラヴィーア曲集》を愛奏し、マヨルカ島にも楽譜を持っていきました。前奏曲集作品28の背景の一つとされますが、曲の並べ方などはショパン独自のものです。(Fryderyk Chopin Institute:Preludes)

    同じ時代を生きた人

    生涯が重なる収録作曲家:ベートーヴェン、シューベルト、メンデルスゾーン、シューマン、ブラームス、チャイコフスキー。生きた年代が重なることは、交流があったことを意味しません。

    この地図帳の収録曲

    出典

  4. 1810–1856生没年

    シューマン

    Robert Schumann · ライプツィヒ/ドレスデン/デュッセルドルフ

    人物の紹介と出典

    Robert Schumann/生没年 1810–1856/主な活動地域:ライプツィヒ、ドレスデン、デュッセルドルフ

    どんな人?

    ツヴィッカウに生まれ、ライプツィヒなどで活動しました。ピアノ曲から歌曲、室内楽、管弦楽曲へと創作を広げました。

    音楽史での役割

    作曲だけでなく、1834年に仲間と創刊した音楽雑誌で執筆・編集にも携わりました。音楽を言葉で紹介する活動も、彼の仕事の一つです。

    人のつながり(資料で確認できたもの)

    • 言及・評価:シューマンは、1835年からメンデルスゾーンの死までを対象とする回想の記録を残しました。自筆資料をもとにした校訂版があり、Schumann-Portalで英訳が公開されています。(Schumann-Portal:メンデルスゾーンの回想録)

    同じ時代を生きた人

    生涯が重なる収録作曲家:ベートーヴェン、シューベルト、メンデルスゾーン、ショパン、ブラームス、チャイコフスキー。生きた年代が重なることは、交流があったことを意味しません。

    この地図帳の収録曲

    出典

  5. 1813

    市民と公開演奏会

    ロンドンにフィルハーモニック協会

    演奏会を開くための団体です。1842年にはウィーン・フィルハーモニーも最初の演奏会を開きました。

    出典:Royal Philharmonic Society:History、Wiener Philharmoniker:Early history

  6. 1821

    楽器

    ピアノの連打を助ける仕組みの特許(エラール)

    同じ鍵盤を素早く繰り返し弾きやすくする仕組みです。19世紀のピアノは改良を重ね、表現の幅を広げていきました。

    出典:Horniman Museum:Érard grand piano

  7. 1829

    再評価

    メンデルスゾーン、バッハ《マタイ受難曲》を上演

    ベルリンで《マタイ受難曲》が再演され、バッハの音楽への関心を広げるきっかけになりました。

    関係する作曲家: J. S. バッハ メンデルスゾーン

    出典:Britannica:Felix Mendelssohn、Mendelssohn Gesellschaft:Felix Mendelssohn Bartholdy

  8. 1831

    市民と公開演奏会

    ショパン、パリへ

    パリでは、貴族や裕福な人々の家での演奏が、ピアノ音楽の大切な場の一つでした。

    関係する作曲家: ショパン

    出典:Britannica:Frédéric Chopin

  9. 1833–1897生没年

    ブラームス

    Johannes Brahms · ハンブルク/ウィーン

    人物の紹介と出典

    Johannes Brahms/生没年 1833–1897/主な活動地域:ハンブルク、ウィーン

    どんな人?

    北ドイツの港町ハンブルクに生まれました。1869年にウィーンへ定住することを決め、1871年末に入ったカールスガッセの住まいで、亡くなるまで暮らしました。

    音楽史での役割

    交響曲や室内楽で、古典派の伝統や16世紀の多声音楽に学びながら、ロマン派の時代にふさわしい表現を盛り込みました。シューベルトの交響曲の全集版の校訂(楽譜を資料と照らして整えること)も担当しています。

    人のつながり(資料で確認できたもの)

    同じ時代を生きた人

    生涯が重なる収録作曲家:メンデルスゾーン、ショパン、シューマン、チャイコフスキー、ドビュッシー、ラヴェル。生きた年代が重なることは、交流があったことを意味しません。

    この地図帳の収録曲

    出典

  10. 1840–1893生没年

    チャイコフスキー

    Pyotr Ilyich Tchaikovsky · サンクトペテルブルク/モスクワ

    人物の紹介と出典

    Pyotr Ilyich Tchaikovsky/生没年 1840–1893/主な活動地域:サンクトペテルブルク、モスクワ

    どんな人?

    ロシアのヴォトキンスクに生まれました。1862年に開校したサンクトペテルブルク音楽院の最初の学生の一人で、1865年に修了した後、モスクワで音楽理論を教えました。

    音楽史での役割

    ロシアで専門の音楽教育が始まった時期の作曲家です。それまで華やかな見せ物だったバレエを、音楽でドラマを描く舞台作品へと変えました。

    人のつながり(資料で確認できたもの)

    • 学習・編曲:チャイコフスキーはモーツァルトの4曲を管弦楽に編曲し、管弦楽組曲第4番《モーツァルティアーナ》(1887年)としてまとめました。(Tchaikovsky Research:Mozartiana)
    • 間接的な接点:ドビュッシーは、チャイコフスキーの後援者として知られるフォン・メック夫人の家でピアニストを務めました。二人が直接会ったかどうかは、確認できた資料からはわかりません。(Britannica:Claude Debussy、Tchaikovsky Research:Nadezhda von Meck)

    同じ時代を生きた人

    生涯が重なる収録作曲家:メンデルスゾーン、ショパン、シューマン、ブラームス、ドビュッシー、ラヴェル。生きた年代が重なることは、交流があったことを意味しません。

    この地図帳の収録曲

    出典

  11. 1862

    教育

    サンクトペテルブルク音楽院の創設

    ピアニストのアントン・ルビンシテインが創設しました。チャイコフスキーは最初の学生の一人です。

    関係する作曲家: チャイコフスキー

    出典:Britannica:Anton Rubinstein、Britannica:Pyotr Ilyich Tchaikovsky

およそ19世紀末–20世紀前半

近代への広がり

和音や楽器の音色そのものへの関心が高まり、ヨーロッパの外の音楽からも刺激を受けました。19世紀末には録音技術が生まれ、音楽の聴き方にも変化が始まります。

時代解説の出典:DG:Claude Debussy Biography、Wilson / Royston:Western European Music History、Britannica:Phonograph

  1. 1862–1918生没年

    ドビュッシー

    Claude Debussy · パリ

    人物の紹介と出典

    Claude Debussy/生没年 1862–1918/主な活動地域:パリ

    どんな人?

    フランスのサン=ジェルマン=アン=レーに生まれ、少年のうちにパリ音楽院に入学しました。若いころはロシアの富豪フォン・メック夫人の家でピアニストを務め、旅にも同行しました。

    音楽史での役割

    19世紀の決まりきった和声の進め方にとらわれない独自の和声をつくり、20世紀の音楽に新しい道を開きました。1889年のパリ万国博覧会で、ジャワのガムラン(打楽器を中心とした合奏)を聴いたことでも知られます。

    人のつながり(資料で確認できたもの)

    • 間接的な接点:ドビュッシーは、チャイコフスキーの後援者として知られるフォン・メック夫人の家でピアニストを務めました。二人が直接会ったかどうかは、確認できた資料からはわかりません。(Britannica:Claude Debussy、Tchaikovsky Research:Nadezhda von Meck)

    同じ時代を生きた人

    生涯が重なる収録作曲家:ブラームス、チャイコフスキー、ラヴェル。生きた年代が重なることは、交流があったことを意味しません。

    この地図帳の収録曲

    出典

  2. 1875–1937生没年

    ラヴェル

    Maurice Ravel · パリ

    人物の紹介と出典

    Maurice Ravel/生没年 1875–1937/主な活動地域:パリ

    どんな人?

    フランスのサン=ジャン=ド=リュズ近くのシブールで、バスク人の母のもとに生まれ、14歳でパリ音楽院に入学しました。

    音楽史での役割

    楽器の組み合わせで響きをつくる管弦楽法(オーケストレーション)の名手として知られます。《ボレロ》は1928年、舞踊家イダ・ルビンシュタインが主役を踊るバレエとして初演されました。

    人のつながり(資料で確認できたもの)

    • 作品でのオマージュ:ラヴェルは1909年、ハイドンの名を題にした《ハイドンの名によるメヌエット》を書きました。(IRCAM:Menuet sur le nom de Haydn)

    同じ時代を生きた人

    生涯が重なる収録作曲家:ブラームス、チャイコフスキー、ドビュッシー。生きた年代が重なることは、交流があったことを意味しません。

    この地図帳の収録曲

    出典

  3. 1877

    録音

    エジソンの蓄音機

    録音した音を再生できる装置が生まれました。20世紀には、演奏会だけでなく録音で音楽を聴くことが広がっていきます。

    出典:Britannica:Phonograph、Wilson / Royston:Western European Music History

  4. 1889

    異文化との出会い

    パリ万国博覧会でジャワのガムラン

    ドビュッシーがこの演奏を聴いたことが知られています。

    関係する作曲家: ドビュッシー

    出典:Hollywood Bowl:Debussy, Fantaisie(曲目解説)

  5. 1928

    劇場・舞踊

    ラヴェル《ボレロ》初演

    舞踊家イダ・ルビンシュタインのためのバレエとして、パリで初演されました。

    関係する作曲家: ラヴェル

    出典:Britannica:Maurice Ravel、IRCAM:Boléro

曲の地図の配置は聴くための目安です。評価・難易度・歴史的影響を示すものではありません。演奏や聴く人によって印象は変わります。

この地図帳について

西洋クラシックの中世から20世紀前半への入口です。34項目には楽章や抜粋を含みます。20世紀後半以降、日本の作曲家などは今後の拡充対象です。

聴きどころと配置は独自の鑑賞提案。曲名・作品番号には出典を付けています。専門家による監修は未実施です。年表の生没年・出来事・人物の関係には出典を付けています。作曲年は未掲載です。

音源や画像を転載せず、公式の演奏・録音案内へリンクします。閲覧中の自動再生・外部プレイヤーの読込みはありません。