アッコの旧市街

登録年
2001年
所在国
イスラエル
登録区分
文化遺産
地域
アジア
登録基準
(ii) (iii) (v)

どこにあり、何が登録されたのか — 緩衝地帯が本体より小さい

イスラエル、西ガリラヤ。天然の湾を囲む半島にある城壁の港町。

本体 63.3 ha
緩衝地帯 22.99 ha(本体の約0.36倍)
登録 2001年、基準 (ii)(iii)(v)=3つ
dossier 1042(bis / rev なし)
軽微な範囲変更 一覧に記載なし
保存状況報告 一覧に記載なし
GIS データ 未受領
ほかの保全の仕組み 一覧に記載なし

緩衝地帯が本体より小さい資産

遺産 本体 緩衝地帯 比
アッコ1042 63.3 ha 22.99 ha 約0.36倍
ル・アーヴル1181(8章) 133 ha 114 ha 約0.86倍
ルーネンバーグ741(8章) 33.85 ha 32.44 ha 約0.96倍
バリのスバック1194(4章) 19,519.9 ha 1,454.8 ha 約0.07倍

「緩衝地帯は本体より広い」とは読みません。アッコ1042 の緩衝地帯は、1993年から2000年のマスタープランが確立したものだと保護管理の節に書かれています。緩衝地帯の由来が書かれる資産は少ないので、そのまま記録します。

二つの時代が重なっている — 十字軍が下、オスマンが上

時期 何があったか
フェニキア期から 継続的に居住
1104年から1291年 十字軍のエルサレム王国の首都——「聖地における十字軍の主要な港としての発展に続いて」国際的な意義を得た
衰退の長い時期 それでもなお、エルサレムを訪れるキリスト教の巡礼者の主要な入港地であり続けた
18世紀 オスマン帝国のこの部分の首都として再び栄えた

立地が二つのことを決めた

この戦略的に位置した港がそれを国際的な交易の中心になることを可能にした一方で、周囲の壁と海によって区切られたその物理的な境界が、特徴的な密に建てられた中世都市を創り出した。

同じ立地が、交易の中心という性格と、密な市街という形の両方を生んだと書かれます。一つの条件から二つの結果を読み分けます。

唯一無二の性格

その唯一無二の性格は、今日まで保存されてきた典型的なオスマンの市の下にほとんど無傷で保存されている十字軍の市の相当な遺構にある。それらは近年、科学的な発掘によって明らかにされてきた。

「現在の城壁の港町の町並みは、狭く曲がりくねった街路と優れた公共建築と住居を伴う、都市の設計についてのイスラムの認識に特徴的である」とされます。

「中世のヨーロッパと中東の建築の交流を示しており、市は城塞、モスク、ハーン、浴場を含むいくつかの例外的な建造物を持つ」とされます。

三つの基準 — 「上と下」が繰り返される

基準 中身
(ii) 「アッコは、18世紀と19世紀の年代の既存のイスラムの要塞都市の下に中世の十字軍の建物の相当な遺構を保存している点で、例外的な歴史的港町である」
(iii) 「十字軍の町アッコの遺構は、今日の街路水準の上と下の両方で、中世の十字軍のエルサレム王国の首都の配置と構造の例外的な絵を与える」
(v) 「今日のアッコは、城塞、モスク、ハーン、浴場といった典型的な都市の構成要素がよく保存されたオスマンの城壁都市の重要な例であり、部分的に下にある十字軍の構造物の上に建てられている」

三つの基準すべてが「下にある十字軍」と「上にあるオスマン」の関係を述べています。基準ごとに別のことを述べる資産とは違うので、どこが違うかを読みます。

基準 何に重点があるか
(ii) 港町としての例外性(交流)
(iii) 十字軍王国の首都の配置と構造の証拠(王国の記録)
(v) オスマンの城壁都市としての重要性(居住の形)

完全性 — 埋もれたものが、ごく最近明らかになり始めた

資産の境界は、13世紀末のマムルークの占領の結果として完全に埋もれた十字軍のアッコの鍵となる要素を含む。それは今日ではほとんどが地下にあり、ごく最近になって明らかにされ始めた。

よく保存された遺構の中身

遺構
壁、街区、街路、路地、要塞、公共建築、宗教建築、住居、店舗
地下のインフラ、建築の細部、元の漆喰仕事、組積

「都市生活と建物の組織の大きな部分」で、すべての部分が無傷とされます。

建物の平面は明瞭に同定でき、建設技術と材料は正確に判定できる。

「よく保存されている」で止めず、何がどこまで分かるかを書く形です。

オスマンの市も含まれる

「資産はまた、十字軍の市の上に建てられ、イスラム社会の価値を映す路地、中庭、広場の都市体系の形をとったオスマンの市の遺構も包含する」とされます。

その発展を決定した地理的条件と、その社会経済の構造が、アッコの完全性を本質的に18世紀のオスマンの港町として、現在まで重要な変化なく維持してきた。

脆弱なところ

市の全体の一貫性は、とくに維持と保全の活動がまだ着手されていないところで脆弱である。

「脆弱である」で止めず、どこが脆弱かを読みます。アッコ1042 では「活動がまだ着手されていないところ」と限定が付いています。

真正性 — 建物は変わらないが、材料と方法が脅威になる

歴史における二つの主要な時期が、現代のアッコの外観に寄与してきた——十字軍期と後期オスマン期である。

港町としての性格

「市の進化の特別な性質が、アッコに港町としてのその性格を保たせてきた。公共建築、隊商宿(ハーン)、宗教建築が、市場、小さな店舗、大きな住宅街区と並び、いまも収入の源泉であり市への入口である活発な港とともにある」とされます。

「いまも収入の源泉である港」と書かれる点に注意します。真正性の節に、現在の経済が書かれています。

建物の形

保たれたもの 「アッコの個々の建物の大きな割合は、建てられたときとおおむね同じ形のままである。過去150-300年にわたって大きな改変はほとんどない」
脅威 「しかし、個々の建物は、伝統的な材料と維持・修理の方法から離れる変化に脆弱なままである」

脅威が「材料と方法から離れること」だと書かれる例です。21章のスクーグスシュルコゴーデン558 では「重機を用いる維持管理」が真正性への脅威でした。守るための作業のやり方そのものが脅威になりうるという書き方が共通しています。

保護管理 — 一つの街区を試行的事業に選んだ

法令とマスタープラン

指定 アッコの旧市街は、1978年古物法のもとで古物の遺跡に指定されている
マスタープラン 1993年から2000年にかけて、都市計画のための運営委員会によって遺産に焦点を置いたマスタープランが作られた。それは旧市と港の区域を統合し、同時に周囲の緩衝地帯を確立した

緩衝地帯が「マスタープランによって確立された」と書かれる資産は少ないので、そのまま記録します。

三者が共同で管理する

管理の主体
アッコ市 —
旧アッコ開発会社 政府機関
イスラエル古物局 開発、建築許可、保全措置のすべての事柄で地元住民に助言する。市に現地事務所も運営し、この事務所は資産で行われる公的・私的な工事も監督する

「管理する」「助言する」「監督する」が一つの機関に重なっている例です。語をそのまま写します。

試行的リハビリテーション事業

市が生きた都市であり続けることを確かにするために、多くの努力が注がれている。2001年、地元の人々とともに、一つの住宅街区が「試行的リハビリテーション事業」の区域として選ばれた。この事業は進行中で拡大しており、近代の生活が要する適応を許しながら物理的な組織の保存を確かにする措置の開発を目指している。

一つの街区を選んで試す事業が書かれる資産は、これまで読んだ159件でここだけです。登録と同じ2001年に始まっています。

もう一つの目標

もう一つの目標は、地元住民の社会と経済の条件を改善し、市の豊かな遺産への彼らの誇りの感覚を高めることに向けられている。

「誇りの感覚(sense of pride)」を高めることが管理の目標として書かれる例です。

市の建造された組織の維持における地元の共同体の関与を強める必要がある。

「努力が注がれている」「目指している」「必要がある」が同じ節に並びます。すでに行われたことと、これから必要なことを書き分けます。

2級で押さえること

基準(ii)(iii)(v)=3つ、本体63.3 ha / 緩衝地帯22.99 ha(本体の約0.36倍)、2001年登録、dossier 1042(bis / rev なし)、一覧に軽微な範囲変更・保存状況報告・ほかの保全の仕組みの記載は無い、GIS データ未受領。緩衝地帯が本体より小さい。しかもその緩衝地帯は1993-2000年のマスタープランが確立したものだと保護管理の節に書かれる——緩衝地帯の由来が書かれる資産は少ないのでそのまま記録する。フェニキア期から継続的に居住。1104年から1291年まで十字軍のエルサレム王国の首都で、「聖地における十字軍の主要な港としての発展に続いて」国際的な意義を得た。衰退の長い時期も「エルサレムを訪れるキリスト教の巡礼者の主要な入港地」であり続け、18世紀にオスマン帝国のこの部分の首都として再び栄えた。同じ立地が二つの結果を生んだ——「この戦略的に位置した港がそれを国際的な交易の中心になることを可能にした一方で、周囲の壁と海によって区切られたその物理的な境界が、特徴的な密に建てられた中世都市を創り出した」。唯一無二の性格は「今日まで保存されてきた典型的なオスマンの市の下にほとんど無傷で保存されている十字軍の市の相当な遺構」にあり、「近年、科学的な発掘によって明らかにされてきた」。現在の町並みは「狭く曲がりくねった街路と優れた公共建築と住居を伴う、都市の設計についてのイスラムの認識に特徴的」で、「中世のヨーロッパと中東の建築の交流を示す」。三つの基準すべてが「下にある十字軍」と「上にあるオスマン」の関係を述べるが、重点が違う——(ii)は港町としての例外性(交流)、(iii)は「今日の街路水準の上と下の両方で」十字軍王国の首都の配置と構造の証拠、(v)はオスマンの城壁都市としての重要性(居住の形)。完全性で「13世紀末のマムルークの占領の結果として完全に埋もれた」十字軍のアッコが「今日ではほとんどが地下にあり、ごく最近になって明らかにされ始めた」と書かれる。遺構は壁・街区・街路・路地・要塞・公共建築・宗教建築・住居・店舗に加え、地下のインフラ・建築の細部・元の漆喰仕事・組積まで「すべての部分が無傷」で、「建物の平面は明瞭に同定でき、建設技術と材料は正確に判定できる」——「よく保存されている」で止めず、何がどこまで分かるかを書く形。オスマンの市も「イスラム社会の価値を映す路地、中庭、広場の都市体系」として含まれ、「その発展を決定した地理的条件と社会経済の構造が、アッコの完全性を本質的に18世紀のオスマンの港町として、現在まで重要な変化なく維持してきた」。ただし「市の全体の一貫性は、とくに維持と保全の活動がまだ着手されていないところで脆弱である」——「脆弱である」で止めずどこが脆弱かを読む。真正性に現在の経済が書かれる——「いまも収入の源泉であり市への入口である活発な港」。「アッコの個々の建物の大きな割合は、建てられたときとおおむね同じ形のままである。過去150-300年にわたって大きな改変はほとんどない」が、「しかし、個々の建物は、伝統的な材料と維持・修理の方法から離れる変化に脆弱なままである」——21章のスクーグスシュルコゴーデン558 の「重機を用いる維持管理」と同じく、守るための作業のやり方そのものが脅威になりうる書き方。1978年古物法のもとで古物の遺跡に指定。1993年から2000年にかけて都市計画のための運営委員会が遺産に焦点を置いたマスタープランを作り、旧市と港の区域を統合し同時に周囲の緩衝地帯を確立した。管理はアッコ市・旧アッコ開発会社(政府機関)・イスラエル古物局の三者が共同で行い、古物局は地元住民への助言、市の現地事務所の運営、資産で行われる公的・私的な工事の監督を兼ねる——「管理する」「助言する」「監督する」が一つの機関に重なる。一つの街区を選んで試す事業が書かれる資産は159件でここだけ——「2001年、地元の人々とともに、一つの住宅街区が『試行的リハビリテーション事業』の区域として選ばれた。この事業は進行中で拡大しており、近代の生活が要する適応を許しながら物理的な組織の保存を確かにする措置の開発を目指している」。登録と同じ2001年に始まっている。もう一つの目標は「地元住民の社会と経済の条件を改善し、市の豊かな遺産への彼らの誇りの感覚を高めること」で、「市の建造された組織の維持における地元の共同体の関与を強める必要がある」とも書かれる——すでに行われたこととこれから必要なことを書き分ける。

オリジナル確認問題

答えを選んでから、正解と解説を開きましょう。

確認1:アッコの旧市街の緩衝地帯について、UNESCO のページに書かれているのは?

  1. 緩衝地帯は一覧に行が無い
  2. 本体63.3 ha より広い229.9 ha で、1993年から2000年のマスタープランが旧市と港の区域を統合して確立したものであると、保護管理の節に書かれている
  3. 本体63.3 ha より小さい22.99 ha で、1993年から2000年のマスタープランが確立したものである
  4. 本体63.3 ha より小さい22.99 ha だが、その由来は一次資料には書かれていない
正解と解説を開く

正解:3.本体63.3 ha より小さい22.99 ha で、1993年から2000年のマスタープランが確立したものである

「緩衝地帯は本体より広い」とは読みません。緩衝地帯が「マスタープランによって確立された」と書かれる資産は少ないので、そのまま記録します。

確認2:アッコの十字軍の市の遺構について、完全性の節に書かれているのは?

  1. 13世紀末のマムルークの占領の結果として完全に埋もれ、今日ではほとんどが地下にあり、ごく最近になって明らかにされ始めた
  2. 十字軍の市の遺構は失われており、記録だけが残っている
  3. 13世紀末のマムルークの占領の結果として完全に埋もれたが、19世紀までにほとんどが掘り出されている
  4. 13世紀末のマムルークの占領の結果として完全に埋もれ、今日ではほとんどが地下にあるので、建物の平面も建設技術も判定できないと書かれている
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正解:1.13世紀末のマムルークの占領の結果として完全に埋もれ、今日ではほとんどが地下にあり、ごく最近になって明らかにされ始めた

一次資料は「建物の平面は明瞭に同定でき、建設技術と材料は正確に判定できる」と書きます。「よく保存されている」で止めず、何がどこまで分かるかを読みます。

確認3:アッコの個々の建物への脅威として、真正性の節に書かれているのは?

  1. 脅威は書かれていない
  2. 過去150-300年のあいだに加えられた大きな改変
  3. 伝統的な材料と、維持・修理の方法から離れる変化だが、それは十字軍期の遺構にだけ及ぶとされている
  4. 伝統的な材料と、維持・修理の方法から離れる変化
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正解:4.伝統的な材料と、維持・修理の方法から離れる変化

守るための作業のやり方そのものが脅威になりうるという書き方です。21章のスクーグスシュルコゴーデン558 では「重機を用いる維持管理」が挙げられていました。建物そのものは「建てられたときとおおむね同じ形のまま」とされます。

確認4:2001年にアッコで始まった事業として、保護管理の節に書かれているのは?

  1. 2001年に始まった事業については書かれていない
  2. 地元の人々とともに、一つの住宅街区が「試行的リハビリテーション事業」の区域として選ばれた
  3. 地元の人々とともに、旧市街の全域を対象にしたリハビリテーション事業が始められた
  4. 地元の人々とともに、一つの住宅街区が「試行的リハビリテーション事業」の区域として選ばれたが、その事業はすでに終了していると書かれている
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正解:2.地元の人々とともに、一つの住宅街区が「試行的リハビリテーション事業」の区域として選ばれた

一つの街区を選んで試す事業が書かれる資産は、これまで読んだ159件でここだけです。登録と同じ2001年に始まっています。事業は進行中で拡大しているとされます。

参考資料

確認日:2026年10月27日。世界遺産ゼミは非公式の学習コンテンツです。確認問題は独自に作成しています。特定の試験回への対応は未確定です。

参照した公式教材の版: くわしく学ぶ世界遺産300 <第6版>

この遺産が出題される級は、上のバッジから確認できます。