基本を学ぶ
どこにあり、何が登録されたのか — 緩衝地帯が二つの側だけ
イラク、北メソポタミア。ティグリス川。サラーフ・アッディーン県。
| 本体 | 70 ha |
|---|---|
| 緩衝地帯 | 100 ha(本体の約1.43倍) |
| 登録 | 2003年、基準 (iii)(iv) |
| dossier | 1130 |
| 連続性資産 | 一覧に `Serial` の行が無い |
| 危機遺産リスト | `2003 – Present` |
登録と同じ年に危機遺産リストに載り、いまも載っている
`2003 – Present`。登録も2003年です。保存状況報告は21年分(2004-2026年)で、ほぼ毎年続いています。ページのタブに `Assistance`(国際援助)があります。
| 遺産 | 登録と危機遺産リストの年 | いま |
|---|---|---|
| アッシュル1130 | どちらも2003年 | 載っている |
| 聖ヒラリオン修道院1749(13章) | どちらも2024年 | 載っている |
| ベツレヘムの聖誕教会1433(9章) | どちらも2012年 | 2019年に外れた |
登録と同じ年に載った資産は三つになりました。アッシュル1130 は載っている期間がもっとも長い(2003年から)です。
緩衝地帯が、二つの側だけに距離で定められる
アッシュルの考古遺跡の全体の区域(70 ha)は、市壁の内側の神殿、三つのジッグラト、宮殿、墓、私的な家、ならびに北西のアッシリアの新年の祭りの建物の区域を含む。加えて、100 ha の緩衝地帯が、考古遺跡の西と南の境界から500 m に定められた。
緩衝地帯が、資産の二つの側だけに定められる資産です。しかも距離(500 m)で書かれます。東は川、北は旧流路の涸れ谷(ワジ)を伴う平原なので地形で決まったとも読めますが、一次資料は理由を書いていません。
遺跡は東をティグリスに、北をティグリスの旧い支流に対応する涸れ谷(ワジ)を伴う平原に、西と南を丘の景観に囲まれている。
本体70 ha は、一覧とぴたり一致します。
「雨による農業と灌漑による農業の境界線」
アッシュルの古代の市は、特定の地生態の帯域、雨による農業と灌漑による農業のあいだの境界線に、北メソポタミアのティグリス川の上に位置する。
農業の方式が変わる線の上にあることが、位置の説明に入ります。
年代が、BCとADで割れる
| 出どころ | パルティアの時期 |
|---|---|
| 説明文 | 「紀元1世紀と2世紀のパルティアの時期に復興した」 |
| 概要 | 「紀元1世紀と2世紀のパルティアの時期に復興した」 |
| 基準(iii) | 「紀元前2世紀のパルティアの復興」 |
| 真正性 | 「パルティアの時期の終わり(紀元前2世紀)に放棄されていた」 |
説明文と概要は紀元後、基準(iii)と真正性は紀元前です。同じパルティアの時期について、BCとADが割れています。どちらかに決めず、両方を記録します。
市は紀元前3千年紀に遡る。紀元前14世紀から9世紀までそれはアッシリア帝国の最初の首都であり、国際の重要さを持つ都市国家と交易の場であった。それはまたアッシリア人の宗教の首都としても働き、神アッシュルと結びついていた。市はバビロニア人によって破壊されたが、パルティアの時期に復興した。
何があるか — 土地と神と市が同じ名を持つ
名前が三つ同じ
緊密で複雑な文化の同一性は、土地、神、市が同じ名を持っていたという事実によって表されている——アッシュル。
アッシリア人より前から
それは神アッシュル、アッシリア人の国の神の市であったためにその評判を得た。アッシリア人より前、すなわち紀元前3千年紀の前半から、相当の祭祀の建物の存在が証されている。これは、遺跡がすでに発展し組織された都市の体系であったことを意味する。その区域の全体で知られたこの大きさの唯一のものである。
すでに前アッシリアの時期に、遺跡はスバルトゥの地で重要な役割を演じたことが明らかである。アッカドとウル第三王朝の時期(紀元前3千年紀の最後の四分の一)にそれはこの地域への外からの統制のために望まれた場所だったからである。
四つの首都のうち一つだけ
ほかの三つのアッシリアの首都(ニムルド、ドゥル・シャルキン、ニネヴェ)の枠組みのなかで、アッシュルは、宗教、公共、家庭の建築、芸術の生産、都市計画、宗教と政治の体系、経済の生存、社会の様式に関わるアッシリア文明の継続と変化が、記録された考古の時期の全体を通じて考古と文献の証拠によって明らかにされる唯一の都市の遺跡の例である。
資産に含まれない三つの遺跡と比べて書かれます。14章のネムルット・ダー448(カラクシュとエスキ・カフタ)と同じ型です。相手が世界遺産かどうかは書かれていません。
アッシュルでは、アッシリアの市の体系的な形づくりへの初期の歩みが、きわめて限られた空間と育った都市の体系の限界のなかで初めて観察されえた。これは後のすべてのアッシリアの首都とは対照的である。
建物
| 種類 | 中身 |
|---|---|
| ジッグラト | 泥煉瓦で建てられた三つ。神アッシュルの印象的なジッグラトは今日なお立っており、見える目印である |
| 二重神殿 | 二つ |
| 神殿 | 国の神アッシュルの神殿。イシュタル神殿だけは異なる建造の伝統(曲がった軸)を特徴とし、それはおそらくアッシリアの南東の区域に起源を持つ |
| 王宮 | 二つの場所で王宮の連なりが観察され、そのうち一つは後にアッシリアの王のための埋葬の場所として保たれた |
「おそらく(possibly)」が付きます。
アッシュルは、アッシリアの時期の異なる部分からの比較のない、発掘された建築の遺構の卓越した密度を持つ。
発掘の残土が、遺跡の表面を覆っている
ヘレニズムの遺構と、アラブのハトラの王たちのものが証されている。遺跡の表面は、いくつもの世代の考古の発掘からの発掘の残土によって部分的に覆われている。
発掘の残土が遺跡の表面を覆っていると書かれる資産です。14章のネムルット・ダー448 は研究の調査が墳丘の高さを減らし、17章のギョベクリ・テペ1572 は研究が真正性の根拠でした。ここは、発掘の副産物が遺跡を覆っているという別の形です。
パルティアの時期からの千を超える土葬が墓と墳墓にあり、主に建物の内側に位置して、埋葬の儀礼と葬送の文化の面についての重要な情報を与えている。パルティアの宮殿とジッグラトに近い神殿がこの時期の建築の証言である。現在、パルティアの時期の住居の区域が発掘されつつある。
2003年から危機遺産リストに載っている資産で、「現在……発掘されつつある」と書かれます。いつの「現在」かは書かれていません。
完全性と真正性 — 修復そのものが完全性の潜在的な脅威に挙がる
完全性の節が二文
アッシュルは、その境界内の考古の記念物と都市計画の要素のような、その顕著な普遍的価値を表すすべての属性を含み、その完全性は根本的に損なわれていない。しかしこれらの属性は、脅威に対して、または修復と再建の影響に対して、脆弱または潜在的に脆弱である。
修復と再建そのものが、完全性への潜在的な脅威に挙がる資産です。これまで読んだ209件でここだけです。
| 遺産 | 手を入れることの扱い |
|---|---|
| アッシュル1130 | 「修復と再建の影響」が完全性への潜在的な脅威(209件でここだけ) |
| ネムルット・ダー448(14章) | 「以前の統制されない研究の調査」が墳丘の高さが減った原因 |
| ファジル・ゲビ19(10章) | 1930-36年のセメントと鉄筋コンクリートが「不適切」で、元の材料に損害を与えた |
| モラヴィア教会入植地1468(9章) | 「改修はより真正性を尊重して実施されえた」 |
1130 だけは、まだ起きていない修復についての潜在的な脅威として書かれます。過去への評価ではありません。
完全性の節はこの二文だけで、具体的な脅威の名も、対策も書かれていません。2003年から危機遺産リストに載っている資産ですが、その理由は完全性の節からは読めません。
真正性 — 放棄が「疑いない」真正性をもたらした
アッシュルの遺跡はパルティアの時期の終わり(紀元前2世紀)に放棄されており、地域のほかの多くの遺跡とは対照的に、それ以上の占居は無かった。したがって、遺構の真正性は疑いなく(unquestionable)、属性は顕著な普遍的価値をはっきり十分に映している。
放棄とその後の非占居が、真正性を「疑いない」ものにすると書かれます。14章のブトリント570 は放棄が価値の原因(基準(iii))でした。アッシュル1130 は放棄が真正性の根拠です。同じ放棄が、価値と真正性の別の役を果たします。
19世紀と20世紀の建物が四つ
| 建物 | 中身 |
|---|---|
| オスマンの軍の兵舎 | 遺跡の北東の縁。1991年まで遺跡の博物館として使われた |
| 発掘の家 | ドイツの調査隊によって建てられ、古物遺産国家委員会によって修復された |
| 小さな守衛の家 | 二つ |
近代の建物が四つ、名前と用途つきで書かれます。14章のデルフィ393(考古博物館だけ)や17章の殷墟1114(二つの博物館)と同じく、資産の中の近代の建物が記録されます。
修復の材料が、構造ごとに書き分けられる
| 構造 | 材料 |
|---|---|
| 旧宮殿、アヌとアダドの神殿、市壁の一部 | 1980年代に伝統の技法と材料(泥煉瓦と漆喰)で部分的に再建。発掘された証拠に基づく。壁は高さ約2 m まで立つ |
| タビラ門、イシュタル神殿、パルティアの宮殿の一部 | 焼成煉瓦 |
| モルタル | 石膏と、できるかぎり少ないコンクリート |
「できるかぎり少ないコンクリート(as little concrete as possible)」と書かれます。使わないとは書かれていません。10章のファジル・ゲビ19 は1930-36年のセメントと鉄筋コンクリートが「不適切」とされ、1970年代に元の石灰モルタルで置き換えられました。アッシュル1130 は、量を抑えて使うという書き方です。
再建された壁の高さ(約2 m)が書かれます。どこまで戻したかが分かります。
誰が守っているか — 守衛10人と、取り除かれた脅威
法令と機関
アッシュルの市はイラク国家の資産であり、文化省内の古物遺産国家委員会の職員によって手入れされている。それは1937年古物法とそのさらなる改正のもとで保護されてきたが、いまは、その緩衝地帯も含めて、2002年10月付の古物遺産法第55号のもとで保護されている。
法令が緩衝地帯も覆うと明記されます。
遺跡の保護と管理は古物遺産国家委員会(旧・古物総局)の責任である。在地では、考古遺跡はサラーフ・アッディーン州の古物監督官の責任のもとにある。発掘は、文化省古物遺産国家委員会の発掘・考古調査部によって行われる。
守衛の人数が書かれる
遺跡はその保護を担当する10人の守衛を持つ。
職員の人数が書かれる資産です。これまで読んだ209件でここだけです。14章のエピダウロス491 は「十分で資格のある警備の職員」で人数がありませんでした。
財源が二つ、一方は外国の機関
イラクの調査隊による発掘は、イラク政府古物遺産国家委員会の中央の予算から毎年資金を与えられている。ドイツ研究振興協会(Deutsche Forschungsgemeinschaft)がドイツの調査隊に資金を与えてきた。
外国の研究資金の機関が名指しされる資産です。17章のギョベクリ・テペ1572 とハットゥシャ377 はドイツの研究所が発掘と監視の相手でしたが、資金の出どころまで書かれるのはアッシュル1130 だけです。
1970年代後半からの計画
20世紀の70年代の後半に、古物遺産国家委員会は、考古の発掘と、露出したものを維持し固定するためのいくらかの修復によって市での仕事を再開するために、科学の計画を始めた。これは、市壁(北西)、タビラ門、いくつかの私的な家、アヌとアダドの神殿、旧宮殿、王の埋葬においてである。
しかしながら、修復され部分的に再建された建物と壁は同じように侵食に露出しているので、それらは継続する手入れを必要とする。現在の状況を考え、70年代後半に始まった仕事の継続において、遺跡とその記念物のための詳細な修復と保全の計画を発展させることが計画されている。
「修復したものも同じように侵食に露出している」と書かれます。手を入れたら終わりではないという書き方です。管理計画の語は出ず、「詳細な修復と保全の計画を発展させることが計画されている」までです。
脅威が取り除かれたと書かれるのに、危機遺産リストに載り続けている
マクフール・ダムの建設からの資産への脅威は、ダムの事業の中止によっていまや取り除かれた。イラク水資源省は、マクフール・ダムを建てるという考えを恒久に放棄する正式な決定を発し、事業の計画が二度と検討の場に載ることはないことを確認する公式の通知を与えるだろう。したがって、擁壁やいかなる保護の措置も建てる必要は無い。
三つのことが同じ段落に書かれます。
| 書かれていること | 時制 |
|---|---|
| 脅威は「いまや取り除かれた」 | 完了 |
| 省は「恒久に放棄する正式な決定を発し」た | 完了 |
| 「公式の通知を与えるだろう」 | 将来形(まだ与えられていない) |
| 「擁壁やいかなる保護の措置も建てる必要は無い」 | 現在 |
「二度と検討の場に載ることはない(never be put on the table again)」と、強い言い方が使われます。それでも公式の通知はまだ与えられていません。そして資産は2003年から危機遺産リストに載り続けています。
脅威が取り除かれたと書かれる資産が、危機遺産リストに載り続けている例です。顕著な普遍的価値の節は、載っている理由を書いていません。ダムが載った理由だったとも書かれていないので、そう結びつけません。
一覧の下部
| 記載 | 中身 |
|---|---|
| 危機遺産リスト | `2003 – Present`(登録と同じ年から) |
| 保存状況報告 | 21年分(2004-2026年) |
| GIS のデータ | 未受領 |
| ほかの保全の仕組み | 記載なし |
| タブ | `Assistance` |
お知らせは6件あり、2025年11月16日の「アッシュルのジッグラトを保護する」が最新です。顕著な普遍的価値の節が「神アッシュルの印象的なジッグラトは今日なお立っており、見える目印である」と書く、そのジッグラトです。ただし一次資料はお知らせと本文を結びつけていません。
2級で押さえること
基準(iii)(iv)、イラク・北メソポタミアのティグリス川、本体70 ha・緩衝100 ha(約1.43倍)、2003年登録、危機遺産リスト `2003 – Present`(登録と同じ年から載り、いまも載っている。209件で載っている期間がもっとも長い。保存状況報告21年分、タブに `Assistance`)。緩衝地帯が「考古遺跡の西と南の境界から500 m」に定められる——資産の二つの側だけに、距離で定められる唯一の資産(東はティグリス、北は旧支流の涸れ谷を伴う平原なので地形で決まったとも読めるが、一次資料は理由を書いていない)。本体70 ha は一覧とぴたり一致する。市は「雨による農業と灌漑による農業のあいだの境界線」にある。年代がBCとADで割れる——説明文と概要は「紀元1世紀と2世紀のパルティアの時期に復興」、基準(iii)は「紀元前2世紀のパルティアの復興」、真正性は「パルティアの時期の終わり(紀元前2世紀)に放棄されていた」。紀元前14世紀から9世紀までアッシリア帝国の最初の首都で、国際の重要さを持つ都市国家と交易の場。アッシリア人の宗教の首都で、神アッシュルと結びつく。バビロニア人によって破壊された。「土地、神、市が同じ名を持っていた」——アッシュル。アッシリア人より前(紀元前3千年紀の前半)から相当の祭祀の建物が証され、「その区域の全体で知られたこの大きさの唯一のもの」。アッカドとウル第三王朝の時期(紀元前3千年紀の最後の四分の一)にスバルトゥの地で外からの統制のために望まれた場所だった。ほかの三つのアッシリアの首都(ニムルド、ドゥル・シャルキン、ニネヴェ)の枠組みで、アッシュルだけが継続と変化が考古と文献の証拠で明らかにされる唯一の都市の遺跡。初期の歩みが「きわめて限られた空間と育った都市の体系の限界のなかで」初めて観察され、「後のすべてのアッシリアの首都とは対照的」。泥煉瓦の三つのジッグラト、二つの二重神殿、国の神アッシュルの神殿。神アッシュルのジッグラトは「今日なお立っており、見える目印である」。イシュタル神殿だけは「曲がった軸」で「おそらく」南東に起源を持つ。二つの場所で王宮の連なりが観察され、一つは後に王の埋葬の場所になった。「遺跡の表面は、いくつもの世代の考古の発掘からの発掘の残土によって部分的に覆われている。」パルティアの時期の「千を超える土葬」が主に建物の内側にある。「現在、パルティアの時期の住居の区域が発掘されつつある。」完全性は二文だけ——「その完全性は根本的に損なわれていない」としたうえで、「脅威に対して、または修復と再建の影響に対して、脆弱または潜在的に脆弱」(修復そのものが完全性への潜在的な脅威に挙がる唯一の資産)。具体的な脅威の名も対策も書かれない。真正性は「パルティアの時期の終わりに放棄されており、地域のほかの多くの遺跡とは対照的に、それ以上の占居は無かった。したがって、遺構の真正性は疑いなく」——放棄が真正性の根拠(ブトリント570 は放棄が価値の原因だった)。19・20世紀の建物が四つ——オスマンの軍の兵舎(1991年まで遺跡の博物館)/ドイツの調査隊が建て古物遺産国家委員会が修復した発掘の家/二つの小さな守衛の家。修復の材料が構造ごとに書き分けられる——1980年代に旧宮殿・アヌとアダドの神殿・市壁の一部を伝統の技法と材料(泥煉瓦と漆喰)で部分的に再建(発掘された証拠に基づき、壁は高さ約2 m まで)/タビラ門・イシュタル神殿・パルティアの宮殿の一部は焼成煉瓦/モルタルは石膏と「できるかぎり少ないコンクリート」。イラク国家の資産で、文化省内の古物遺産国家委員会が手入れする。1937年古物法から2002年10月付の古物遺産法第55号へ(緩衝地帯も覆う)。「遺跡はその保護を担当する10人の守衛を持つ」——職員の人数が書かれる唯一の資産。財源は二つで、イラクの調査隊は中央の予算から毎年、ドイツの調査隊はドイツ研究振興協会から(外国の研究資金の機関が名指しされる)。70年代後半からの科学の計画。「修復され部分的に再建された建物と壁は同じように侵食に露出しているので、継続する手入れを必要とする」。管理計画の語は出ず「詳細な修復と保全の計画を発展させることが計画されている」。マクフール・ダムの脅威は「いまや取り除かれた」とされ、水資源省は「恒久に放棄する正式な決定を発し」たが、「事業の計画が二度と検討の場に載ることはないことを確認する公式の通知を与えるだろう」と将来形で、まだ与えられていない。「擁壁やいかなる保護の措置も建てる必要は無い」。それでも資産は2003年から危機遺産リストに載り続けている。顕著な普遍的価値の節は載っている理由を書いていない。お知らせ6件の最新は2025年11月16日の「アッシュルのジッグラトを保護する」。
準1級
準1級向けに理解を深める
準1級の掲載範囲は確かめていません。準1級の範囲は「日本の全遺産と主要な世界の遺産700件」ですが、どの700件かは公式に出ていません。ここに並ぶのは、ゼミが作ったキーワードの練習(試作46本)で、この記事がどのキーワードに入ったかです。公式テキストの分類ではありません。
この遺産が出てくるキーワード
| キーワード | このキーワードで見るもの | 本文の手がかり |
|---|---|---|
| 古代文明 | 何を「古さ」と「位置づけ」の根拠にしているか | 「雨による農業と灌漑による農業のあいだの境界線」 |
いまのところ、この遺産が出てくるキーワードは1つです。ゼミの試作46本で数えた話で、公式テキストの分類ではありません。
準1級は、遺産を1件ずつではなくキーワードで横に読みます。このキーワードの練習では、ほかの参加記事と並べて読みます——同じ論点が、別の資産でどう書かれているかを見るためです。
キーワードで練習する
級別の確認問題
2級 確認問題
答えを選んでから、正解と解説を開きましょう。
確認1:アッシュル1130 の緩衝地帯について、概要が書いていることは?
- 100 ha の緩衝地帯が、考古遺跡のすべての境界から500 m に定められた
- 緩衝地帯は定められていない
- 100 ha の緩衝地帯が、考古遺跡の西と南の境界から500 m に定められた
- 100 ha の緩衝地帯が、考古遺跡の東と北の境界から500 m に定められた
正解と解説を開く
正解:3.100 ha の緩衝地帯が、考古遺跡の西と南の境界から500 m に定められた
> 加えて、100 ha の緩衝地帯が、考古遺跡の西と南の境界から500 m に定められた。資産の二つの側だけに、距離で定められる唯一の資産です。東はティグリス川、北は「ティグリスの旧い支流に対応する涸れ谷(ワジ)を伴う平原」なので地形で決まったとも読めますが、一次資料は理由を書いていません。
確認2:アッシュル1130 のパルティアの時期の年代は、一次資料のなかでどうなっているか?
- 説明文と概要は「紀元1世紀と2世紀」、基準(iii)と真正性は「紀元前2世紀」で、BCとADが割れている
- 四か所すべてが「紀元前2世紀」で一致している
- 四か所すべてが「紀元1世紀と2世紀」で一致している
- 説明文と概要は「紀元前2世紀」、基準(iii)と真正性は「紀元1世紀と2世紀」で、入れ替わった形になっている
正解と解説を開く
正解:1.説明文と概要は「紀元1世紀と2世紀」、基準(iii)と真正性は「紀元前2世紀」で、BCとADが割れている
説明文と概要——「紀元1世紀と2世紀のパルティアの時期に復興した」(紀元後)。基準(iii)——「紀元前2世紀のパルティアの復興」。真正性——「パルティアの時期の終わり(紀元前2世紀)に放棄されていた」。同じパルティアの時期について、BCとADが割れています。どちらかに決めず、両方を記録します。
確認3:アッシュル1130 の完全性の節が、属性が脆弱である相手として挙げているものは?
- 脅威だけで、修復については書かれていない
- マクフール・ダムの建設
- 脅威と修復と再建の影響だが、どちらも危機遺産リストへの記載の理由として明記されている
- 脅威と、修復と再建の影響
正解と解説を開く
正解:4.脅威と、修復と再建の影響
> しかしこれらの属性は、脅威に対して、または修復と再建の影響に対して、脆弱または潜在的に脆弱である。修復と再建そのものが、完全性への潜在的な脅威に挙がる資産はこれまで読んだ209件でここだけです。完全性の節はこの二文だけで、具体的な脅威の名も対策も書かれていません。2003年から危機遺産リストに載っていますが、その理由は完全性の節からは読めません。マクフール・ダムは保護管理の節のほうです。
確認4:アッシュル1130 のマクフール・ダムについて、保護管理の節が書いていることは?
- ダムの建設が進行中で、資産への最大の脅威として書かれている
- 脅威はダムの事業の中止によっていまや取り除かれ、水資源省は恒久に放棄する正式な決定を発したが、それを確認する公式の通知は「与えるだろう」と将来形である
- ダムについては書かれていない
- 脅威は取り除かれ、公式の通知もすでに与えられたので、危機遺産リストからの除外が次の会期で決まり、擁壁の建設もいかなる保護の措置も不要になったと書かれている
正解と解説を開く
正解:2.脅威はダムの事業の中止によっていまや取り除かれ、水資源省は恒久に放棄する正式な決定を発したが、それを確認する公式の通知は「与えるだろう」と将来形である
脅威は「いまや取り除かれた」、省は「恒久に放棄する正式な決定を発し」た(どちらも完了)。しかし「事業の計画が二度と検討の場に載ることはないことを確認する公式の通知を与えるだろう」は将来形で、まだ与えられていません。そして資産は2003年から危機遺産リストに載り続けています。顕著な普遍的価値の節は載っている理由を書いていないので、ダムが理由だったとも結びつけません。
参考資料
確認日:2026年10月28日。世界遺産ゼミは非公式の学習コンテンツです。確認問題は独自に作成しています。特定の試験回への対応は未確定です。