基本を学ぶ
どこにあり、何が登録されたのか — 一覧に本体の行が無く、緩衝の行だけがある
アルバニア南部、サランダ市から約20 km。ヴロラ県サランダ地区。
| 本体 | 一覧に行が無い(完全性の節に「200 ha」) |
|---|---|
| 緩衝地帯 | 8,591 ha |
| 登録 | 1992年、基準 (iii) だけ |
| 重要な境界の変更 | 1999年 |
| 軽微な範囲変更 | 2007年 |
| dossier | 570ter |
| 危機遺産リスト | `1997 -2005` |
一覧に本体の行が無く、緩衝地帯の行だけがある
これまで読んだ203件で、この形はここだけです。
| 形 | 遺産 |
|---|---|
| 本体の行が無く、緩衝地帯の行だけがある | ブトリント570 |
| 本体も緩衝地帯も行が無い | サナア385/ガウディ320/オルタ1005/モラヴィア教会入植地1468/ファジル・ゲビ19 |
| 緩衝地帯の行だけが無い | 多数(カイロ89/ポルト755/ヴァティカン市国286/トロイア849/ネムルット・ダー448 ほか) |
本体は完全性の節に書かれます。
資産は、その顕著な普遍的価値を表す属性の意義ある割合を含むのに十分な大きさ(200 ha)である。
200 ÷ 8,591 で、緩衝地帯は本体の約43倍です。
緩衝地帯は国立公園
2005年に、保護地域法に基づいて、ブトリントは86 km² を覆う国立公園と宣言された。国立公園は世界遺産の資産のための緩衝地帯として働く。
86 km² = 8,600 ha です。一覧の緩衝地帯は8,591 ha で、9 ha 違います。概数と実数の違いとも読めますが、一次資料は説明していません。「国立公園が緩衝地帯として働く」と書かれるだけで、「同じ区域である」とは書かれていません。
境界の変更が二種類とも付いている
`Significant modifications to the boundaries : 1999`(重要な境界の変更)と`Minor boundary modification inscribed year: 2007`(軽微な範囲変更)が両方あり、dossier は 570ter(三度目の改訂)です。二種類の記載が同じ資産に並ぶのは、これまで読んだ203件でここだけです。
| 遺産 | 境界の変更の記載 |
|---|---|
| ブトリント570 | 重要な境界の変更1999年+軽微な範囲変更2007年。dossier 570ter |
| キーウ527(10章) | 軽微な範囲変更が `2005, 2021` と二つ。dossier 527ter |
| ココス島820(39章) | 重要な境界の変更2002年。dossier 820bis |
| ゲラティ710(10章) | 重要な境界の変更2017年。dossier 710bis |
| フランスの巡礼路868(9章) | 軽微な範囲変更2025年。dossier 868bis |
基準が(iii)だけ
基準が一つだけの資産は九つになりました。(iii)だけはアユタヤ576(12章)に続いて二つ目です。
基準(iii):ブトリントの自然の環境の進化が、中世の終わりに都市の放棄へ導き、その結果としてこの考古遺跡が近代アルバニアの領土における古代と中世の文明の貴重な証拠を与えている。
放棄が、価値の原因として書かれます。説明文は「湿地が区域に形成された後、都市は中世の末に放棄された」と書くので、湿地が放棄の原因です。自然の変化が都市を終わらせ、そのおかげで遺跡が残った——の形です。
何があるか — 紀元前5万年から19世紀まで
「地中海の歴史の縮図」
ブトリントは……考古、記念物、地中海における自然の組み合わせによって作られた特別な雰囲気を持つ。その後背地とともに、それは多くの世紀にわたって有機的に発展してきた例外的な文化的景観をなしている。
ブトリントは、地中海地域のほとんどの歴史の景観の遺産の価値を減じてきた型の攻撃的な開発を免れてきた。それは考古と自然のきわめてまれな組み合わせをなしている。
免れたことが価値として書かれます。
資産は地中海の歴史の縮図であり、占領は最古の証拠では紀元前5万年から、紀元19世紀まで遡る。
紀元前5万年からの幅が書かれる資産です。「最古の証拠では(at its earliest evidence)」と限定が付きます。
時代の並び
| 時期 | 一次資料の書き方 |
|---|---|
| 紀元前800年からローマ人の到来まで | ギリシャ文化の影響を受け、「ポリス」の要素を帯び、カオニア族によって住まわれた |
| 紀元前44年 | ローマの植民地になり、開拓された湿地の上に、主としてヴィヴァリ水路を越えて南へかなり拡大し、そこに水道が建てられた |
| 紀元5世紀 | 司教座の中心になり、要塞化され、相当の初期キリスト教の構造が建てられた |
| 放棄の時期の後、9世紀 | ビザンツの支配のもとで再建された |
| 14世紀 | アンジュー、それからヴェネツィアの支配のもとに入った |
| その後 | エピロスの専制君主たち、それから後にオスマン人によるいくつもの攻撃が、防御の仕事の強化と拡張へ導いた |
| 19世紀の初め | ヴィヴァリ水路の口に新しい要塞が加えられた。アリー・パシャ——ブトリントとその区域を最終の放棄まで支配したアルバニアのオスマンの支配者——によって建てられた |
「放棄の時期」が二度あります。9世紀の再建の前と、最終の放棄です。どちらの放棄を指すかを読み分けます。
建物
城壁は、ギリシャの植民地の時から中世まで、その建造の異なる段階に証している。
もっとも興味深い古代ギリシャの記念物は、かなりよく保存された劇場である。
古キリスト教の時代からの主要な遺構は洗礼堂であり、キリスト教の崇拝の必要に適合された古代ローマの記念物である。その床は美しいモザイクの装飾を持つ。
ローマの建物がキリスト教に転用された例として書かれます。9章のベツレヘムの聖誕教会1433 の「現状」のような制度の話ではなく、建物の転用です。
古キリスト教のバシリカは9世紀に建て直され、遺構は構造の分析を許すのに十分よく保存されている(横断廊と外部の多角形のアプスを伴う三廊)。
何が分かるところまで保存されているか、という書き方です。
完全性と真正性 — 1964年のヴェネツィア憲章が、年つきで出る
完全性 — 脆弱な点が四つ、圧力が二つ
埋もれた考古遺跡、立っている遺構、歴史の建物は十分に無傷である。
世界遺産の資産ブトリントは開発または放置の悪い影響に意義あるほど苦しんでいないが、脆弱な点がある——季節の水位の上昇、保全の仕事と考古の発掘のより良い調整の必要、植生の成長、いくつかの記念物の構造の不安定のような。
「保全の仕事と考古の発掘のより良い調整の必要」が脆弱な点に入ります。守る作業と調べる作業のあいだの調整が、弱点として書かれる例です。
近代の開発からのいくつかの圧力もあり、資産の周りの道路と都市の拡大を含む。それにもかかわらず、ブトリントはいまも古代と中世の都市の占領の保存の優れた事例である。周囲の景観は、ブトリントにおける過去の都市の変化のための文脈を与えている。
真正性 — 1924年以来の仕事と、1964年の憲章
世界遺産の資産ブトリントの真正性は、環境との変化する人の相互作用が、生き残っている記念物、地下の考古、周囲の景観のうちに観察されうる遺跡におけるその優れた保存に関わっている。
1924年以来行われた修復と保全の仕事の質は高かった。後の介入は、1964年のヴェネツィア憲章に定められたとおりの現代の基準に従ってきた。
ヴェネツィア憲章が年つき(1964年)で書かれる資産です。10章の657・1011 と14章の393 は年を書きませんでした。同じ憲章でも書き方が違います。
| 遺産 | ヴェネツィア憲章の書き方 | どの節に |
|---|---|---|
| ブトリント570 | 「1964年のヴェネツィア憲章」(年つき) | 真正性 |
| デルフィ393 | 「ヴェネツィア憲章の原則」 | 完全性 |
| トロイツェ・セルギエフ657(10章) | 「おおむねヴェネツィア憲章に適合してきた」 | 真正性 |
| エチミアジン1011(10章) | 「ヴェネツィア憲章の原則に十分に適合していない」 | 真正性 |
1924年という、修復の仕事が始まった年も書かれます。登録(1992年)の68年前です。
誰が守っているか — 国立公園が世界遺産を管理する
四つの制度が重なる
| 年 | 制度 |
|---|---|
| 1948年 | ブトリント国立公園が保護記念物の国家遺産リストに登載された |
| (現在) | 考古の記念物の保護と保全は文化遺産法が覆う |
| 2002年 | ブトリント湿地の自然の価値がラムサール条約によって認められた |
| 2005年 | 保護地域法に基づいて国立公園(86 km²)と宣言された |
1948年の「国立公園」の登載と、2005年の「国立公園」の宣言が両方書かれます。同じ名前の指定が二度出てくるので、年を添えて書き分けます。
国立公園が、世界遺産の管理に責任を負う
国立公園は世界遺産の資産のための緩衝地帯として働く。文化大臣が議長を務める理事会と専門の職員を持つ国立公園が、世界遺産の資産の管理に責任を負う。
自然の制度(国立公園)が、文化遺産の管理の主体です。ただし理事会の議長は文化大臣です。14章のトロイア849(森林省の計画が主たる文書)、10章のリラの修道院216(自然公園の管理計画)、27章のコルドゥアン灯台1625(海洋自然公園の管理計画)と並べます。
国立の文化記念物研究所と考古学研究所が、建築と考古の遺構のすべての研究、発掘、固定に責任を負う。
管理(国立公園)と、研究・発掘(二つの研究所)が分かれます。完全性の節の「保全の仕事と考古の発掘のより良い調整の必要」は、この分かれ方と読み合わせられます。
管理計画は、ほかの計画と調和させる必要がある
ブトリントはいくつもの脆弱な面を現している。潜在的には、これらの脆弱さは長期において資産の完全性を脅かしうる。完全性と真正性への脅威を避けるため、脆弱さを監視し統制することが考古と記念物についてのブトリント管理計画における決定的な論点である。
管理計画は、資産と国立公園を覆うほかの計画と調和させられなければならない。
計画の名が「考古と記念物についてのブトリント管理計画」と、対象を限って書かれます。資産と国立公園を覆うほかの計画があることも書かれます。
一覧の下部
| 記載 | 中身 |
|---|---|
| 本体 | 行が無い(完全性の節に200 ha) |
| 緩衝地帯 | 8,591 ha |
| 危機遺産リスト | `1997 -2005`(8年) |
| 保存状況報告 | 17年分(1994・1996-2009・2024-2026年のうち) |
| GIS のデータ | 未受領 |
| ほかの保全の仕組み | ラムサール1要素(ブトリント) |
| タブ | `Assistance` |
危機遺産リストから外れた2005年のあとも報告が続き、2024・2025・2026年と近年に再び並びます。年の並びに空きがあることも記録します。
2級で押さえること
基準(iii)だけ(基準が一つだけの資産は九つ目、(iii)だけはアユタヤ576 に続いて二つ目)、アルバニア南部、サランダ市から約20 km、一覧に本体の行が無く緩衝地帯の行(8,591 ha)だけがある——203件でここだけ(本体は完全性の節に「200 ha」。比は約43倍)。1992年登録、重要な境界の変更1999年と軽微な範囲変更2007年が両方あり(203件でここだけ)、dossier 570ter、危機遺産リスト `1997 -2005`(8年)。2005年に保護地域法に基づき86 km² の国立公園と宣言され、「国立公園は世界遺産の資産のための緩衝地帯として働く」(86 km²=8,600 ha で一覧の8,591 ha と9 ha 違う。一次資料は説明しない)。基準(iii)は「ブトリントの自然の環境の進化が、中世の終わりに都市の放棄へ導き、その結果としてこの考古遺跡が……貴重な証拠を与えている」——放棄が価値の原因。説明文は湿地の形成が放棄の原因と書く。「地中海地域のほとんどの歴史の景観の遺産の価値を減じてきた型の攻撃的な開発を免れてきた」。占領は「最古の証拠では紀元前5万年」から紀元19世紀まで。紀元前800年からローマ人の到来までギリシャ文化の影響を受け「ポリス」の要素を帯び、カオニア族が住んだ。紀元前44年にローマの植民地になり、開拓された湿地の上にヴィヴァリ水路を越えて南へ拡大し水道が建てられた。紀元5世紀に司教座の中心、9世紀にビザンツの支配のもとで再建、14世紀にアンジューそれからヴェネツィアの支配。19世紀の初めにアリー・パシャがヴィヴァリ水路の口に新しい要塞を加えた。もっとも興味深い古代ギリシャの記念物は「かなりよく保存された」劇場。洗礼堂は「キリスト教の崇拝の必要に適合された古代ローマの記念物」で、床に美しいモザイク。古キリスト教のバシリカは9世紀に建て直され、横断廊と外部の多角形のアプスを伴う三廊。完全性の脆弱な点は四つ——季節の水位の上昇/保全の仕事と考古の発掘のより良い調整の必要/植生の成長/いくつかの記念物の構造の不安定。圧力は道路と都市の拡大。真正性は「1924年以来行われた修復と保全の仕事の質は高かった」とし、「後の介入は、1964年のヴェネツィア憲章に定められたとおりの現代の基準に従ってきた」(憲章が年つきで書かれる唯一の資産)。1948年に保護記念物の国家遺産リストに登載、文化遺産法が考古の記念物を覆い、2002年にブトリント湿地がラムサール条約に認められた。文化大臣が議長を務める理事会と専門の職員を持つ国立公園が、世界遺産の資産の管理に責任を負う(自然の制度が文化遺産を管理する)。研究・発掘・固定は国立の文化記念物研究所と考古学研究所。「考古と記念物についてのブトリント管理計画」は、資産と国立公園を覆うほかの計画と調和させられなければならない。一覧下部はラムサール1要素(ブトリント)/保存状況報告17年分/GIS 未受領/タブに `Assistance`。
準1級
準1級向けに理解を深める
準1級の掲載範囲は確かめていません。準1級の範囲は「日本の全遺産と主要な世界の遺産700件」ですが、どの700件かは公式に出ていません。ここに並ぶのは、ゼミが作ったキーワードの練習(試作46本)で、この記事がどのキーワードに入ったかです。公式テキストの分類ではありません。
この遺産が出てくるキーワード
| キーワード | このキーワードで見るもの | 本文の手がかり |
|---|---|---|
| ラムサール条約 | ラムサール条約が、記述のどこに現れるか | 「2002年にブトリント湿地がラムサール条約に認められた。」 |
いまのところ、この遺産が出てくるキーワードは1つです。ゼミの試作46本で数えた話で、公式テキストの分類ではありません。
準1級は、遺産を1件ずつではなくキーワードで横に読みます。このキーワードの練習では、ほかの参加記事と並べて読みます——同じ論点が、別の資産でどう書かれているかを見るためです。
キーワードで練習する
級別の確認問題
2級 確認問題
答えを選んでから、正解と解説を開きましょう。
確認1:ブトリント570 の一覧の面積の記載は?
- 本体200 ha と緩衝地帯8,591 ha の両方が一覧にある
- 本体の行が無く、緩衝地帯の行(8,591 ha)だけがあり、本体は完全性の節に「200 ha」と書かれる
- 緩衝地帯の行だけが無く、本体の行はある
- 本体も緩衝地帯も一覧に行が無く、どちらも完全性の節に書かれており、国立公園の面積がそのまま緩衝地帯として記載されている
正解と解説を開く
正解:2.本体の行が無く、緩衝地帯の行(8,591 ha)だけがあり、本体は完全性の節に「200 ha」と書かれる
一覧に本体の行が無く、緩衝地帯の行(8,591 ha)だけがあります。この形はこれまで読んだ203件でここだけです。本体は完全性の節の「資産は……十分な大きさ(200 ha)である」です。「本体も緩衝地帯も無い」(サナア385 ほか五つ)と「緩衝地帯の行だけが無い」(多数)とは別の形です。
確認2:ブトリント570 の基準(iii)が、都市の放棄について書いていることは?
- 都市の放棄によって遺構の大部分が失われたとされている
- 都市は放棄されておらず、現在も人が住んでいるとされている
- 自然の環境の進化が中世の終わりに都市の放棄へ導いたが、その後19世紀に再び人が住んだため、古代の層は失われたとされている
- 自然の環境の進化が中世の終わりに都市の放棄へ導き、その結果として考古遺跡が古代と中世の文明の貴重な証拠を与えている
正解と解説を開く
正解:4.自然の環境の進化が中世の終わりに都市の放棄へ導き、その結果として考古遺跡が古代と中世の文明の貴重な証拠を与えている
> ブトリントの自然の環境の進化が、中世の終わりに都市の放棄へ導き、その結果としてこの考古遺跡が近代アルバニアの領土における古代と中世の文明の貴重な証拠を与えている。放棄が、価値の原因として書かれます。説明文は「湿地が区域に形成された後、都市は中世の末に放棄された」と書くので、湿地が放棄の原因です。19世紀の初めにアリー・パシャが要塞を加えていますが、それは「最終の放棄まで」のことで、都市の再興とは書かれていません。
確認3:ブトリント570 の世界遺産の資産の管理に責任を負うのは?
- 文化大臣が議長を務める理事会と専門の職員を持つ国立公園
- 国立の文化記念物研究所
- 考古学研究所
- 文化遺産法に基づいて設けられた、文化大臣が議長を務める世界遺産委員会
正解と解説を開く
正解:1.文化大臣が議長を務める理事会と専門の職員を持つ国立公園
> 国立公園は世界遺産の資産のための緩衝地帯として働く。文化大臣が議長を務める理事会と専門の職員を持つ国立公園が、世界遺産の資産の管理に責任を負う。自然の制度(国立公園)が文化遺産の管理の主体で、ただし理事会の議長は文化大臣です。国立の文化記念物研究所と考古学研究所は「建築と考古の遺構のすべての研究、発掘、固定」に責任を負います。管理と、研究・発掘が分かれています。
確認4:ブトリント570 の完全性の節が挙げている脆弱な点に含まれるものは?
- 観光客の増加による遺構の摩耗
- 脆弱な点は挙げられていない
- 保全の仕事と考古の発掘のより良い調整の必要
- 保全の仕事と考古の発掘のより良い調整の必要だが、それは国立公園と二つの研究所の責任が重なっているためだと明記されている
正解と解説を開く
正解:3.保全の仕事と考古の発掘のより良い調整の必要
脆弱な点は四つです——季節の水位の上昇/保全の仕事と考古の発掘のより良い調整の必要/植生の成長/いくつかの記念物の構造の不安定。守る作業と調べる作業のあいだの調整が、弱点として書かれる例です。保護管理の節で管理(国立公園)と研究・発掘(二つの研究所)が分かれていますが、一次資料はそれが調整の必要の理由だとは書いていません。圧力としては道路と都市の拡大が別に挙げられます。
参考資料
確認日:2026年10月28日。世界遺産ゼミは非公式の学習コンテンツです。確認問題は独自に作成しています。特定の試験回への対応は未確定です。