基本を学ぶ
どこにあり、何が登録されたのか — インカの上に建てた
ペルー、中央ペルー・アンデスの中心の、いくつもの川が養う肥沃な沖積の谷。標高3,400 m。
| 本体 | 142.48 ha |
|---|---|
| 緩衝地帯 | 284.93 ha(本体のちょうど約2倍) |
| 登録 | 1983年、基準 (iii)(iv) |
| dossier | 273 |
| 連続性資産 | はい(Serial: yes) |
この資産には基準(vi)が付いていません。この章で(vi)が無いのはクスコ273・フィリピンのバロック教会群677・サン・アントニオ・ミッションズ1466・グアラニーの布教施設群275の4件です。
インカの首都になるまで
15世紀、インカのパチャクテク(ティト・クシ・インカ・ユパンキ)の統治のもとで、3,000年を超える前インカの占拠の過程のあとに都市は再設計され再造形され、タワンティンスーユ・インカ帝国の首都となった。帝国は紀元後15世紀と16世紀のあいだ、南アメリカ・アンデスの多くを覆った。
インカの都市のつくり
インカの帝国都市は、完璧に定義され、分配され、組織された、明確な宗教的・行政的な機能を持つ複雑な都市中心として発展した。宗教と政府の建物は、王家のための排他的な住まいを伴い、前例のない象徴的な都市の複合をなした。それは例外的な美的・構造的な特性を持つ石造の建築技術を示している。
| 挙げられている建物 |
|---|
| 太陽の神殿すなわちコリカンチャ |
| アクリャワシ |
| ストゥンルカンチャ |
| クシカンチャ |
| インカの都市計画の不可分の統一を形づくる、きわめて精緻に仕上げられた一連の建物 |
貴族の都市は、農業・工芸・工業の生産のために明確に画された区域から、また周囲の近隣から、明確に隔てられていた。インカの帝国都市を形づくった前スペイン期の型と建物は、今日も目に見える。
スペインの征服のあと
16世紀のスペインの征服によって、インカの帝国都市クスコの都市構造は保たれ、神殿・修道院・荘園邸宅がインカの都市の上に建てられた。それらは大部分がバロック様式で在地の適応を伴い、異なる時代と文化の最初の並置と融合を表す、唯一無二で高い質の混合した配置を創り出した。それは市の歴史的な連続性をも表す。
市の注目すべき混成(syncretism)は、その物理的な構造においてだけでなく、副王領の芸術的表現においても明らかである。市は大陸における宗教美術の創造と生産のもっとも重要な中心の一つになった。
インカの首都と植民都市の驚くべき混合。前者からは精緻に切られた花崗岩または安山岩の壁、壁の内を走る直線の街路、太陽の神殿の廃墟、後者からは真新しく白く塗られたずんぐりした家、宮殿、そしてプラテレスコ、ムデハル、チュリゲレスコの様式とインカの伝統との不可能な融合を達成した驚異的なバロック教会が残っています。
基準(iii)(iv) — 3,000年の合計
| 基準 | 中身 |
|---|---|
| (iii) | 古代インカ文明の唯一無二の証。タワンティンスーユ帝国政府の心臓で、15世紀と16世紀のあいだ南アメリカ・アンデスの多くに政治的・宗教的・行政的な統制を行使した。「市は、ペルー南部アンデスにおける3,000年の先住かつ自律的な文化の発展の合計を表している。」 |
| (iv) | 南アメリカの前コロンブス期における重要な政治・経済・文化の集落の都市と建築の達成への唯一無二の証。「二つの異なる文化、インカとスペインの合流の代表的で例外的な例であり、それが幾世紀を通じて顕著な文化の混成を生み、唯一無二の都市構造と建築の形を配置した。」 |
基準(iii)が「3,000年の合計」という言い方をしています。
この章では、年数の幅がかなり違います。
| 遺産 | 年数 |
|---|---|
| クスコ273 | 3,000年(前インカの占拠の過程を含む) |
| マカオ1110 | 約4世紀半(出会いの発展) |
| ゴア234 | 450年(ポルトガルの領土支配) |
| ジェロニモス修道院263 | 15・16世紀 |
| サント・ドミンゴ526 | 15世紀のものはアメリカ大陸で唯一 |
完全性と真正性 — 1950年の地震がまだ残っている
完全性
クスコ市は古代インカ帝国の首都と副王領からの空間の組織と大部分の建物を維持している。その街路と広場に沿って、元の都市と建築の特徴を示している。都市の成長にもかかわらず、インカの帝国都市をなす区域は認められる——古代の石の構造とその先進的な建築技法を含めて。 そうした構造が街路とカンチャ(住居の単位)を定め囲んでおり、その上に植民期と共和期の家、修道院、教会が立ち上がり、その建築の構成要素と内部の美術作品のすべてを無傷のまま保ってきた。
三つの脅威
| 脅威 | 中身 |
|---|---|
| 地震 | 「完全性を脅かす主要な要因の一つは地震である。1950年の地震のあと、多くの文化的に価値ある建物が劣化し、資金の不足のためいまだに修理されていない。」 |
| 都市管理の文書の不足 | 「都市管理についての技術的・規制的な文書の不足が、市の中心部でのサービスの飽和を生み、その完全性を損ない、その使用に影響している。」 |
| 私有建物の劣化 | 「いくつもの私有建物が、過剰な使用、過密、維持の欠如、財源の不足によって劣化しており、それが物理的完全性を脅かしている。」 |
「1950年の地震のあといまだに修理されていない」と、75年以上前の出来事が現在の脅威として書かれています。
真正性 — 16世紀の文書が支えている
真正性は、街路と広場におけるその都市の構成、元の配置、都市と建築の価値、空間の使用、そしてインカと植民の建築という物理的な証拠によって支えられている。 「遺跡の独創性と真正性は、スペインの征服以来の直接の目撃者によって集められた16世紀の文書によっても支えられている。」
文書が真正性の根拠になる例は、この章に三つあります——クスコ273(16世紀の文書)、マカオ1110(在地と海外の文書・図面・地図・素描・写真)、グアラニーの布教施設群275(生き残った一組の文書)。
観光が元の住人を周縁へ移している
「クスコ市の属性を脅かす要因は、その基本的な要素の真正性に影響してこなかった。しかし、新しい観光の開発が、古い建物の保存と機能の能力を脅かしており、場合によっては観光と商業のための新しい建物に改変または置き換えられ、元の住人を周縁へ移している。」
「元の住人を周縁へ移している」という記述です。
7章のルアン・パバン479 は住民の退去が脅威、13章の黄山547 は区域内に住む人数を減らす方針が施行されているでした。同じ「人が動く」が、三通りに書かれています。
誰が守っているか — 法令が緩衝地帯を特定していない
| 分類 | 1972年の最高決議第2900号により、記念物区域(Monumental Area)として国の文化遺産に分類されている |
|---|---|
| 緩衝地帯 | 「その保護の範囲を定めるが、その緩衝地帯を特定していない。」 |
| 街路 | 同じ規制により、画された区域のすべての街路が「記念物都市環境」に分類される |
| 建物 | 103の歴史的に価値ある建物が「記念物」に分類される |
| 法 | 国憲法と法第28296号(国家文化遺産一般法)など |
一覧には緩衝地帯284.93 ha の数値があるのに、法令は緩衝地帯を特定していないと書かれています。
これまで読んだなかで、一覧と本文の緩衝地帯の食い違いは両方向に出ました。
| 向き | 例 |
|---|---|
| 一覧に数値が無いのに、本文に緩衝地帯が出てくる | ポルト755/石窟庵736/エローラー243/カジュラーホ240/アブー・メナー90 |
| 一覧に数値があるのに、本文が「まだ設定されていない」 | 聖ヒラリオン修道院1749 |
| 一覧に数値があるのに、法令が「特定していない」 | クスコ273 |
| 一覧に数値が無く、拡張の提案が審査中 | グアナフアト482 |
| 一覧に数値があるのに、本文が「画すること」を長期の必要に挙げる | ポトシ420 |
誰が管理するか
文化省とクスコ州自治体が、主に資産の保全と管理に責任を持ち、絶えず都市の評価、登録、保護、監督、統制の仕事を行っている。クスコ自治体は、市内の介入工事を許可する責任を持ち、また文化遺産の保存と修復の計画と事業にも参加する。
1950年の地震のあとの仕事
1950年の地震のあと、考古・歴史記念物の回復と修復の介入がクスコ市で始まり、1973年まで続けられた。事業には、保存のための技術水準と道具を改善するための専門家の技術研修も含まれた。 しかし、クスコ市は地籍を整え、目録と記念物の宣言を更新した。 「クスコ市のための管理計画——保護のために根本的なもの——は2005年に作成され、いま実施されている。」
セビチェの準備と消費に関わる慣習と意味が無形文化遺産として記録されています。
2級で押さえること
基準(iii)(iv)で、(vi)が付いていない。本体142.48 ha・緩衝284.93 ha、連続性資産(Serial: yes)、標高3,400 m。15世紀にインカのパチャクテクの統治下で、3,000年を超える前インカの占拠の過程のあとに再設計・再造形され、タワンティンスーユ・インカ帝国の首都になった。太陽の神殿すなわちコリカンチャ、アクリャワシ、ストゥンルカンチャ、クシカンチャ。貴族の都市は、農業・工芸・工業の生産の区域から、また周囲の近隣から明確に隔てられていた。16世紀のスペインの征服で都市構造は保たれ、神殿・修道院・荘園邸宅がインカの都市の上に建てられた。プラテレスコ、ムデハル、チュリゲレスコの様式とインカの伝統との「不可能な融合」。基準(iii)は「ペルー南部アンデスにおける3,000年の先住かつ自律的な文化の発展の合計」。完全性の脅威は、地震(1950年の地震のあと多くの建物が劣化し、資金の不足のためいまだに修理されていない)・都市管理の技術的規制的な文書の不足による中心部のサービスの飽和・私有建物の過剰な使用と過密と維持の欠如。真正性はスペインの征服以来の直接の目撃者が集めた16世紀の文書にも支えられる。ただし新しい観光の開発が古い建物を改変・置き換え、元の住人を周縁へ移している。1972年の最高決議第2900号は保護の範囲を定めるが、緩衝地帯を特定していない(一覧には284.93 ha がある)。管理計画は2005年に作成され、いま実施されている。
準1級
準1級向けに理解を深める
準1級の掲載範囲は確かめていません。準1級の範囲は「日本の全遺産と主要な世界の遺産700件」ですが、どの700件かは公式に出ていません。ここに並ぶのは、ゼミが作ったキーワードの練習(試作46本)で、この記事がどのキーワードに入ったかです。公式テキストの分類ではありません。
この遺産は、準1級のキーワードで2通りに出てきます
| キーワード | このキーワードで見るもの | 本文の手がかり |
|---|---|---|
| ヨーロッパの建築 | 様式の名が、移った先でどう変わるか | 「プラテレスコ、ムデハル、チュリゲレスコの様式とインカの伝統との不可能な融合」 |
| 地震の被害 | 同じ地震でも、書かれる資産と書かれない資産がある | 「1950年の地震」 |
準1級は、遺産を1件ずつではなくキーワードで横に読みます。同じ資産が、キーワードごとに別の一文で引かれます。「この遺産はどのテーマか」ではなく、「このキーワードで読むと、この遺産の何が見えるか」で読みます。
キーワードで練習する
級別の確認問題
2級 確認問題
答えを選んでから、正解と解説を開きましょう。
確認1:クスコの市街の基準(iii)が述べている年数は?
- インカ帝国の15世紀と16世紀の2世紀
- 年数は述べられていない
- ペルー南部アンデスにおける3,000年の先住かつ自律的な文化の発展の合計
- ペルー南部アンデスにおける3,000年の文化の発展の合計と、スペインの征服後の450年の植民の歴史の両方
正解と解説を開く
正解:3.ペルー南部アンデスにおける3,000年の先住かつ自律的な文化の発展の合計
> 「市は、ペルー南部アンデスにおける3,000年の先住かつ自律的な文化の発展の合計を表している。」450年という年数が出てくるのはゴア234(ポルトガルの領土支配が1961年まで450年続いた)です。15世紀と16世紀のあいだは、タワンティンスーユ帝国が南アメリカ・アンデスの多くに統制を行使した期間として書かれています。
確認2:クスコの市街の完全性への脅威として挙げられているものは?
- 地震、都市管理の技術的規制的な文書の不足による中心部のサービスの飽和、私有建物の過剰な使用と過密と維持の欠如
- 地震のみ
- 脅威は挙げられていない
- 地震と、都市管理の文書の不足による中心部のサービスの飽和、および観光の開発による元の住人の周縁への移動と、観光客の増加による街路の摩耗
正解と解説を開く
正解:1.地震、都市管理の技術的規制的な文書の不足による中心部のサービスの飽和、私有建物の過剰な使用と過密と維持の欠如
完全性の節が挙げるのは地震(1950年の地震のあと、多くの文化的に価値ある建物が劣化し、資金の不足のためいまだに修理されていない)、都市管理についての技術的・規制的な文書の不足による市の中心部でのサービスの飽和、私有建物の過剰な使用・過密・維持の欠如・財源の不足です。観光の開発による元の住人の周縁への移動は、真正性の節に書かれています。どの節に書かれているかを読みます。
確認3:クスコの市街の真正性の節が、新しい観光の開発について書いていることは?
- 古い建物の保存に貢献している
- 観光についての記述は無い
- 古い建物の保存と機能の能力を脅かして元の住人を周縁へ移しており、そのため基本的な要素の真正性もすでに失われている
- 古い建物の保存と機能の能力を脅かし、場合によっては新しい建物に改変または置き換えられ、元の住人を周縁へ移している
正解と解説を開く
正解:4.古い建物の保存と機能の能力を脅かし、場合によっては新しい建物に改変または置き換えられ、元の住人を周縁へ移している
> 「クスコ市の属性を脅かす要因は、その基本的な要素の真正性に影響してこなかった。しかし、新しい観光の開発が、古い建物の保存と機能の能力を脅かしており、場合によっては観光と商業のための新しい建物に改変または置き換えられ、元の住人を周縁へ移している。」基本的な要素の真正性は「影響してこなかった」と書かれています。
確認4:クスコの市街の緩衝地帯について、一次資料の記述に合うものは?
- 一覧にも法令にも緩衝地帯が明記されている
- 一覧には284.93 ha の数値があるが、1972年の最高決議は保護の範囲を定めるだけで緩衝地帯を特定していない
- 一覧に緩衝地帯の数値が無い
- 一覧には284.93 ha の数値があり、1972年の最高決議も同じ範囲を緩衝地帯として特定しているので、食い違いは無い
正解と解説を開く
正解:2.一覧には284.93 ha の数値があるが、1972年の最高決議は保護の範囲を定めるだけで緩衝地帯を特定していない
一覧にはBuffer zone: 284.93 ha の数値があります。しかし保護管理の節は、1972年の最高決議第2900号が「その保護の範囲を定めるが、その緩衝地帯を特定していない」と書きます。どちらかに決めず、両方を記録します。同じ種類の食い違いは聖ヒラリオン修道院1749・グアナフアト482・ポトシ420 にもあります。
参考資料
確認日:2026年10月27日。世界遺産ゼミは非公式の学習コンテンツです。確認問題は独自に作成しています。特定の試験回への対応は未確定です。