ドーラヴィーラ:ハラッパーの都市

登録年
2021年
所在国
インド
登録区分
文化遺産
地域
アジア
登録基準
(iii) (iv)

基本を学ぶ

どこにあり、何が登録されたのか — 説明文が地域を間違えている

インド、グジャラート州のカディール島。

本体 103 ha
緩衝地帯 4,865 ha(本体の約47.2倍)
登録 2021年、基準 (iii)(iv)
dossier 1645
連続性資産 一覧に `Serial` の行が無い(本文は「資産は二つの部分からなる」)

説明文が「東南アジア」と書く

出どころ 書かれていること
説明文 「この時期の東南アジアでもっともよく保存された都市の集落の一つ」
概要 「南アジアにおける、紀元前3千年紀から2千年紀の半ばに遡るごく少数のよく保存された都市の集落の一つ」

ドーラヴィーラはグジャラート州にあるので、南アジアです。説明文の「東南アジア(Southeast Asia)」は誤りと読めます。ただし一次資料は訂正していないので、どちらに何が書かれていたかを記録し、ゼミの本文では概要の「南アジア」を使います。

千を超える遺跡のうち6番目

これまでに発見された千を超えるハラッパーの遺跡のうち6番目に大きいものであり、1,500年を超えて占められていたドーラヴィーラは、この人類の初期の文明の興亡の全体の軌跡に証すだけでなく、都市計画、建造の技法、水の管理、社会の統治と発展、美術、製造、交易、信仰の体系の点でその多面の達成を実証している。

順位と、その分母が書かれる資産です。「6番目に大きい」は「千を超える遺跡のうち」です。分母がないと順位は意味を持ちません。

占居の長さが「超える」と「近く」で書き分けられる

出どころ 書かれていること
説明文 「紀元前約3000-1500年のあいだ占められた」
概要 「1,500年を超えて占められた」
基準(iii) 「この市は近く1,500年のあいだ栄えた」
完全性 「占居の全体の1,500年の物的な証拠」

「超えて」と「近く」が同じページに並びます。3000 − 1500 = 1500 なので、説明文の年代とは合います。どちらかに決めず、書かれているとおりに記録します。

二つの部分

資産は二つの部分からなる——城壁の市と、市の西の墓地。城壁の市は、付属する要塞化されたベイリーと儀礼の地を伴う要塞化された城、そして要塞化された中の町と下の町からなる。一連の貯水池が城塞の東と南に見つかる。墓地の埋葬の大多数は記念の性質のものである。

「記念の性質(memorial in nature)」と書かれます。説明文は「六つの型の記念墓(cenotaph)」と書くので、遺体を伴わない墓です。「ハラッパーの人々の死についての唯一無二の見方に証す」とされます。

同じ建物が「城(Castle)」と「城塞(Citadel)」の二通りで書かれます。貯水池の位置を書く文だけ「城塞」です。

川のそばではない

ふつう川と多年の水源の近くに位置するほかのハラッパーの先行の町と違って、カディール島におけるドーラヴィーラの立地は、異なる鉱物と原料の源(銅、貝、めのう-紅玉髄、凍石、鉛、縞状石灰岩など)を利用し、マガン(現代のオマーン半島)とメソポタミアの地域への内と外の交易を容易にするために戦略的であった。

ほかの遺跡と比べて書かれます。相手の遺跡の名前は挙げられていません。水の近くでないことが、不利ではなく戦略だとされます。

二つの季節の流れが、地域で乏しい資源である水を城壁の市に与えた。

基準二つと完全性 — 発見から発掘まで21年

基準(iii) — 三つの段階

ドーラヴィーラは、ハラッパー文明に属する原史の青銅器時代の都市の集落の例外的な例であり(早期、成熟期、後期ハラッパーの段階)、紀元前3千年紀と2千年紀のあいだの多文化で階層化された社会に証しをなしている。

最古の証拠はハラッパー文明の早期ハラッパーの段階、紀元前3000年まで遡りうる。

発掘された遺構は、集落の起源、その成長、頂点、そしてその後の衰退を、市の配置、建築の要素、ほかのさまざまな属性における継続する変化の形ではっきり示している。

基準(iv) — 石を広く使った

ドーラヴィーラはハラッパーの都市計画の卓越した例である。あらかじめ構想された市の計画、多層の要塞、洗練された貯水池と排水の体系、そして建築の材料としての石の広範な使用を伴う。これらの特質が、ハラッパー文明の全体の広がりのなかでドーラヴィーラが占めた唯一無二の位置を映している。

「石の広範な使用」が基準に入ります。ほかのハラッパーの都市と違う点として読めますが、一次資料は比較していません。

完全性 — 発見と発掘の年が書かれる

ドーラヴィーラの古代ハラッパーの市は1968年に発見され、1989年から2005年のあいだの13の野外の季節にわたって発掘された。

発見から発掘の開始まで21年、発掘は16年にわたる13季です。「13の野外の季節」と、回数で書かれます(14章のトロイア849 は「過去140年にわたる24回の発掘の運動」)。

掘り出された発掘は同時に保存され保全され、資産の顕著な普遍的価値に寄与するすべての物的な属性を示している。すなわち、原史の都市計画の体系、水の管理の体系、建築の要素と設計、美術と技術の伝統の知識が現地に(in situ)保存されている。

占居の全体の1,500年の物的な証拠が、前ハラッパーから後ハラッパーの段階にわたって広がっている。

基準(iii)は「早期、成熟期、後期ハラッパー」、完全性は「前ハラッパーから後ハラッパー」です。段階の呼び方が違うので、どちらに何が書かれていたかを記録します。

保全の措置といくつかの区域の固定が、劣化を防ぐために行われ、またその物的な属性の保存を確保するために安定化されてきた。拡張された緩衝地帯において、開発と保全の必要のための指針が発展させられる必要がある。

「拡張された緩衝地帯(the extended buffer zone)」と書かれます。いつ拡張されたかは書かれていません。一覧に境界の変更の記載もありません。

真正性 — 「最小の介入」と、付加も改変も無い

何が遺構にあるか

ドーラヴィーラの市の考古の遺構は、要塞、門口、貯水池、儀礼の地、住居の単位、作業場の区域、墓地の複合を含み、すべてがハラッパー文化とそのさまざまな現れをはっきり代表している。

最小の介入

考古遺跡の真正性は、最小の介入と科学の保全の原則と方法を通じて、そして露出した構造をその元の配置と現地の条件のうちに維持することによって保存されており、構造の遺構にいかなる付加も改変もなされていない。

「いかなる付加も改変もなされていない」と書かれます。14章のトロイア849 は「再建がごく少なかった」、デルフィ393 は「穏やかな介入」でした。ドーラヴィーラ1645 は、付加も改変も無いと言い切ります。

遺産 介入の書き方
ドーラヴィーラ1645 「最小の介入」「いかなる付加も改変もなされていない」
トロイア849(14章) 「再建がごく少なかった」「厳密にアナスティローシスの原則に従って」
デルフィ393(14章) 「材料、形、設計への絶対の尊重をもって穏やかな介入」。古代の建築材料をその元の場所に移し戻す
殷墟1114 「発掘の後、遺跡は保護のために埋め戻され、地上の植生を展示に使った」

記録されたことが真正性の根拠になる

発掘された遺構は、建造の様式、建築の要素についての文脈の証拠、そしてビーズ製造の作業場の配置に証しをなす。それらは真正性を保存するために現地に保たれてきた。

市の配置の証拠は、発掘の作業のあいだによく記録され保存されており、広範な計画、比と比例と原則の理解、基本の方位に関する市の全体の整列、水の採取、雨水の排水、職人技にも証しをなしている。

「発掘の作業のあいだによく記録され保存された」ことが真正性の根拠に入ります。17章のギョベクリ・テペ1572 は「二十年を超える研究と考古の発掘の結果がその真正性に証している」でした。どちらも研究・発掘が真正性の側に書かれます。

これらの特徴は、泥煉瓦の芯を伴う石の石積みでの建造のために広く保存されており、建築の特徴は良い保存の状態にある。

材料の組み合わせが、残った理由として書かれます。

誰が守っているか — 100 m と200 m の同心の帯域

インド考古調査局が管理する

ドーラヴィーラの考古遺跡は、インド政府文化省のもとの付属の官署であり組織であるインド考古調査局(ASI)によって保護され管理されている。

法令が五つ

法令
古代記念物ならびに考古遺跡と遺構法 1958年(AMASR)(2010年に改正)
古代記念物ならびに考古遺跡と遺構規則 1959年
古代記念物ならびに考古遺跡と遺構規則 2011年
古物と美術の宝法 1972年と規則 1973年
記念物、考古遺跡と遺構のための国家保全政策 2014年(保全、維持、管理に関わる決定を統べる)

距離で定める二重の帯域

国家の重要性を持つ「古代記念物」として指定されているので、ドーラヴィーラの古代の遺跡は、保護された記念物の限界からすべての方向に100 m を測る禁止区域、そしてそれを越えてさらに、禁止区域の限界からすべての方向に200 m の規制区域によって保護されている。

帯域 距離の起点 幅
禁止区域(Prohibited Area) 保護された記念物の限界から 100 m
規制区域(Regulated Area) 禁止区域の限界から 200 m

起点が入れ子になっています。記念物の限界から合わせて300 m までが、禁止または規制の対象です。9章のフランスの巡礼路868 は「建物が500 m の保護境界を生じさせる」で、一重でした。

緩衝地帯が野生生物保護区と重なる

緩衝地帯はカディール島の西の帯の全体を覆い、それが資産のより広い環境の保護を確保する。緩衝地帯は、その部分が禁止区域と規制区域を覆っており、森林法(野生生物保護法1972年)によって保護されているカッチ(クッチ)砂漠野生生物保護区と重なっている。

自然の制度の保護区と緩衝地帯が重なる例です。一覧の「ほかの保全の仕組み」には記載がありません。本文に書かれている重なりと、一覧の記載は別のものとして記録します。

採石場を国家の重要性に挙げようとしている

インド政府は、緩衝地帯の古代の採石場の遺跡を国家の重要性を持つものとして登載する過程にある。

採石場が守る対象になります。14章のエピダウロス491 は「違法の発掘と採石」が監督の対象(つまり脅威)でした。同じ「採石」が、守る対象と脅威の両方で書かれます。

二つの委員会と、承認され実施された計画

資産の区域と緩衝地帯は、主要な関係者を構成員とする地域頂上委員会と在地水準委員会によって管理されている。この参加の仕組みが、異なる利害の集団のあいだの対話を確かにする。

遺跡管理計画は、インド考古調査局によって承認され実施されている。

「承認され実施されている」と、二つの段階がそろって書かれます。17章では、ギョベクリ・テペ1572 が「2017年に最終化」、テーベ87 が「発展の段階」、ハットゥシャ377 が「保全の計画……体系的な見直しを要する」でした。ドーラヴィーラ1645 がもっとも進んだ段階です。

一覧の下部

記載 中身
保存状況報告 記載なし
GIS のデータ 未受領
ほかの保全の仕組み 記載なし(本文は野生生物保護区との重なりを書く)
タブ `Assistance` は無い

2級で押さえること

基準(iii)(iv)、インド・グジャラート州のカディール島、本体103 ha・緩衝4,865 ha(約47.2倍)、2021年登録、一覧に `Serial` の行が無い(本文は「資産は二つの部分からなる」)。説明文が「この時期の東南アジアでもっともよく保存された都市の集落の一つ」と書き、概要は「南アジアにおける……ごく少数のよく保存された都市の集落の一つ」と書く——グジャラート州は南アジアなので説明文は誤りと読める(一次資料は訂正していない)。「これまでに発見された千を超えるハラッパーの遺跡のうち6番目に大きい」——順位とその分母が書かれる。占居の長さは「1,500年を超えて」(概要)と「近く1,500年」(基準(iii))で書き分けられる(説明文の紀元前約3000-1500年とは合う)。二つの部分は城壁の市と市の西の墓地。城壁の市は要塞化された城(付属するベイリーと儀礼の地)・要塞化された中の町・下の町からなり、一連の貯水池が城塞の東と南にある。墓地の埋葬の大多数は「記念の性質のもの」で、説明文は「六つの型の記念墓」「ハラッパーの人々の死についての唯一無二の見方」と書く。同じ建物が「城(Castle)」と「城塞(Citadel)」の二通りで書かれる。「ふつう川と多年の水源の近くに位置するほかのハラッパーの先行の町と違って」、カディール島の立地は鉱物と原料の源(銅、貝、めのう-紅玉髄、凍石、鉛、縞状石灰岩など)を利用しマガン(現代のオマーン半島)とメソポタミアへの交易を容易にするため戦略的だった——水の近くでないことが不利ではなく戦略とされる。二つの季節の流れが、地域で乏しい資源である水を与えた。基準(iii)は早期・成熟期・後期ハラッパーの三段階、完全性は「前ハラッパーから後ハラッパー」と呼び方が違う。基準(iv)は「あらかじめ構想された市の計画、多層の要塞、洗練された貯水池と排水の体系、建築の材料としての石の広範な使用」。1968年に発見され、1989年から2005年のあいだの13の野外の季節にわたって発掘された(発見から発掘まで21年)。「拡張された緩衝地帯において、開発と保全の必要のための指針が発展させられる必要がある」(いつ拡張されたかは書かれず、一覧に境界の変更の記載も無い)。真正性は「最小の介入」と「構造の遺構にいかなる付加も改変もなされていない」。「発掘の作業のあいだによく記録され保存された」ことが真正性の根拠に入る。「泥煉瓦の芯を伴う石の石積み」での建造が、広く保存された理由。インド考古調査局(ASI)が保護し管理し、法令は五つ(AMASR 1958年・規則1959年・規則2011年・古物と美術の宝法1972年と規則1973年・国家保全政策2014年)。距離で定める二重の帯域——保護された記念物の限界から100 m の禁止区域、その限界からさらに200 m の規制区域(起点が入れ子で、合わせて300 m)。緩衝地帯はカディール島の西の帯の全体を覆い、森林法(野生生物保護法1972年)で保護されるカッチ(クッチ)砂漠野生生物保護区と重なる(一覧の「ほかの保全の仕組み」には記載が無い)。インド政府は緩衝地帯の古代の採石場の遺跡を国家の重要性を持つものとして登載する過程にある(エピダウロス491 では採石が監督の対象=脅威だった)。地域頂上委員会と在地水準委員会が管理し「異なる利害の集団のあいだの対話を確かにする」。遺跡管理計画はインド考古調査局によって「承認され実施されている」——17章でもっとも進んだ段階。一覧下部は保存状況報告・ほかの保全の仕組みの記載なし、GIS 未受領、`Assistance` のタブも無い。

準1級 準1級向けに理解を深める

準1級の掲載範囲は確かめていません。準1級の範囲は「日本の全遺産と主要な世界の遺産700件」ですが、どの700件かは公式に出ていません。ここに並ぶのは、ゼミが作ったキーワードの練習(試作46本)で、この記事がどのキーワードに入ったかです。公式テキストの分類ではありません。

この遺産は、準1級のキーワードで2通りに出てきます

キーワードこのキーワードで見るもの本文の手がかり
古代文明何を「古さ」と「位置づけ」の根拠にしているか「水の近くでないことが不利ではなく戦略とされる」
墓地・埋葬墓が、資産の内と外のどちらに置かれているか「墓地の埋葬の大多数は記念の性質のものである」

準1級は、遺産を1件ずつではなくキーワードで横に読みます。同じ資産が、キーワードごとに別の一文で引かれます。「この遺産はどのテーマか」ではなく、「このキーワードで読むと、この遺産の何が見えるか」で読みます。

キーワードで練習する

級別の確認問題

2級 確認問題

答えを選んでから、正解と解説を開きましょう。

確認1:ドーラヴィーラ1645 の位置する地域について、説明文と概要はどう違うか?

  1. 説明文と概要のどちらも「南アジア」と書いている
  2. 説明文と概要のどちらも「東南アジア」と書いている
  3. 説明文は「南アジア」、概要は「東南アジア」と、入れ替わった形で書かれており、基準(iii)が概要の側を正しいものとして採っていると明記されている
  4. 説明文は「東南アジア」でもっともよく保存された集落の一つと書き、概要は「南アジア」における少数のよく保存された集落の一つと書く
正解と解説を開く

正解:4.説明文は「東南アジア」でもっともよく保存された集落の一つと書き、概要は「南アジア」における少数のよく保存された集落の一つと書く

説明文——「この時期の東南アジアでもっともよく保存された都市の集落の一つ」。概要——「南アジアにおける……ごく少数のよく保存された都市の集落の一つ」。ドーラヴィーラはグジャラート州にあるので南アジアで、説明文の「東南アジア」は誤りと読めます。ただし一次資料は訂正していないので、どちらに何が書かれていたかを記録し、ゼミの本文では概要の「南アジア」を使います。

確認2:ドーラヴィーラ1645 が「6番目に大きい」のは、何のうちでか?

  1. インドの世界遺産のうち
  2. グジャラート州の考古遺跡のうち
  3. これまでに発見された千を超えるハラッパーの遺跡のうち
  4. これまでに発見された千を超えるハラッパーの遺跡のうちだが、成熟期ハラッパーの段階のものだけを数えた順位である
正解と解説を開く

正解:3.これまでに発見された千を超えるハラッパーの遺跡のうち

> これまでに発見された千を超えるハラッパーの遺跡のうち6番目に大きいものであり……順位とその分母が書かれる資産です。分母がないと順位は意味を持ちません。段階を限った数え方であるとは書かれていません。書かれていない限定を補いません。

確認3:ドーラヴィーラ1645 の真正性の節が、構造の遺構への介入について書いていることは?

  1. アナスティローシスの原則に従って一部が再建された
  2. 最小の介入と科学の保全の原則と方法を通じて保存され、構造の遺構にいかなる付加も改変もなされていない
  3. 発掘の後に埋め戻され、地上の植生を展示に使っている
  4. 最小の介入にとどめているが、要塞の一部には泥煉瓦による補強が加えられ、門口の一部は元の配置から移して組み直されたと書かれている
正解と解説を開く

正解:2.最小の介入と科学の保全の原則と方法を通じて保存され、構造の遺構にいかなる付加も改変もなされていない

> 考古遺跡の真正性は、最小の介入と科学の保全の原則と方法を通じて……保存されており、構造の遺構にいかなる付加も改変もなされていない。付加も改変も無いと言い切ります。「アナスティローシス」は14章のトロイア849、「埋め戻して植生を展示に使う」は同じ章の殷墟1114 です。補強についての記述はありません。

確認4:ドーラヴィーラ1645 の禁止区域と規制区域の関係は?

  1. 保護された記念物の限界から100 m が禁止区域、その禁止区域の限界からさらに200 m が規制区域
  2. 記念物の限界から100 m が禁止区域、同じ限界から200 m が規制区域で、二つの帯域は重なり合っていると書かれている
  3. 記念物の限界から200 m が禁止区域、その外側100 m が規制区域
  4. 記念物の限界から100 m が禁止区域で、規制区域は緩衝地帯の全体と一致する
正解と解説を開く

正解:1.保護された記念物の限界から100 m が禁止区域、その禁止区域の限界からさらに200 m が規制区域

> 保護された記念物の限界からすべての方向に100 m を測る禁止区域、そしてそれを越えてさらに、禁止区域の限界からすべての方向に200 m の規制区域によって保護されている。起点が入れ子になっています。記念物の限界から合わせて300 m までが禁止または規制の対象です。緩衝地帯は「カディール島の西の帯の全体」を覆い、「その部分が禁止区域と規制区域を覆っている」と書かれます。

参考資料

確認日:2026年10月28日。世界遺産ゼミは非公式の学習コンテンツです。確認問題は独自に作成しています。特定の試験回への対応は未確定です。

参照した公式教材の版: くわしく学ぶ世界遺産300 <第6版>

この遺産が出題される級は、上のバッジから確認できます。