基本を学ぶ
どこにあり、何が登録されたのか — 面積の内訳が節に書かれ、計算できる
アルメニア、アルマヴィル地方(マルズ)。
| 本体 | 74.3 ha |
|---|---|
| 緩衝地帯 | 一覧に行が無い(本文に二つの数値) |
| 登録 | 2000年、基準 (ii)(iii) |
| dossier | 1011 |
| 連続性資産 | はい(Serial: yes) |
三つの区域の内訳が、概要にそのまま書かれている
登録された資産は三つの別々の区域に分けられている。第一の区域にはエチミアジンの母大聖堂と聖ガヤネ教会が含まれる。区域は約30.2 ha である。18.8 ha はエチミアジンの母座に属し(母大聖堂と周囲の建造物が16.4 ha、聖ガヤネ教会と周囲の建物が2.0 ha、信徒の集まりの墓地が0.4 ha を覆う)、11.4 ha はエチミアジン市の共同体に属する。
第二の区域には聖フリプシメ教会と聖ショガカト教会が含まれる。この区域は約25.3 ha で、6.2 ha が母座に属する聖フリプシメ教会の領域である。残る19.2 ha はエチミアジン市の共同体に属する。
第三の区域は、神殿、カトリコスの宮殿、ほかの建造物の遺構を伴うズヴァルトノツの考古遺跡からなり、約18.8 ha を占める。
第一と第二の区域は合わせて一つの共通の緩衝地帯、約93 ha で囲まれている。第三の区域の緩衝地帯は24 ha である。
計算で確かめる
| 計算 | 結果 |
|---|---|
| 区域の合計 | 30.2 + 25.3 + 18.8 = 74.3。一覧の本体74.3 ha とぴたり合う |
| 第一区域の内訳 | 18.8 + 11.4 = 30.2。合う |
| 母座の持ち分の内訳 | 16.4 + 2.0 + 0.4 = 18.8。合う |
| 第二区域の内訳 | 6.2 + 19.2 = 25.4。本文は「約25.3 ha」なので0.1 ha 合わない |
| 緩衝地帯の合計 | 93 + 24 = 117 ha。一覧に緩衝地帯の行が無いので、比べる相手がいない |
四つの計算のうち三つが合い、ひとつだけ0.1 ha 合いません。本文は「約(about)」と書くので端数の丸めとも読めますが、ほかの三つがぴたり合うので、合わないことを記録しておきます。
一覧に緩衝地帯の行が無いのに、本文が二つの緩衝地帯を数値で書く資産です。しかも共通の緩衝地帯と、別の緩衝地帯の二つに分かれています。
所有が区域によって違う
ズヴァルトノツの考古遺跡だけが国家の所有のもとにあり、ズヴァルトノツ歴史文化博物館保護区の領域に位置する一方、残りの記念物はアルメニア使徒教会の資産である。
三つの区域のうち第三だけが国有、ほかは教会の資産です。しかも第一と第二の区域の内側でも、母座の持ち分と市の共同体の持ち分に分かれています。
町の名前が五つ、順に変わった
集落は古代から存在してきた。……エチミアジンについてのもっとも古い文字の情報は、ウラルトゥ王ルサ2世(紀元前685-645年)の時期に遡る。集落はウラルトゥの楔形文字の碑文にクアルリニという名で言及された。このアルメニアの集落における生命は途切れることなく続いてきた。
| 順 | 名前 | 時期 |
|---|---|---|
| 1 | クアルリニ | ウラルトゥ王ルサ2世(紀元前685-645年)の碑文 |
| 2 | アルティメド | エルヴァンドゥニ朝の支配のあいだ(5世紀のアルメニアの歴史家モヴセス・ホレナツィによって証される) |
| 3 | ヴァルドゲサヴァン | — |
| 4 | ヴァガルシャパト | ヴァガルシュ1世アルシャクニ王(紀元117-140年)の支配のもとでの発展の時代 |
| 5 | エチミアジン | キリスト教の採用(紀元301年)の後、ヴァガルシャパトの名とならんで使われた |
最後の二つは置き換わったのではなく、ならんで使われたと書かれます。「名前が変わった」で終わらせず、どう変わったかを読みます。
何が建っているか — ドームの系譜と、石の模型から出した高さ
紀元301-303年の大聖堂が「もっとも古いドームの教会」
もっとも古いドームの教会はエチミアジンの大聖堂であり、それは紀元301-303年にトルダト3世(ティリダテス)王と啓蒙者聖グレゴリウスによって建てられた。四つのアプスと四本の柱に載せられた中央のドームを伴うその十字形の平面は、キリスト教建築の全体に対するアルメニアの教会建築の卓越した寄与である。アルメニアの建築家たちのこの創意ある発見は、国を越えてビザンツへ、それから中央と西ヨーロッパへ広がった。
フレスコ画を描いたのが、同じ一族
その建築の質のほかに、大聖堂はその内部のフレスコ画の元の絵画によってほかのアルメニアの教会から際立つ。
| 年代 | 描いた人 |
|---|---|
| 1712年から1721年 | ナガシュ・ホヴナタン(ドームの上部の絵画と、主アプスの内側の大理石に描かれた神の聖なる母が保存されている) |
| 18世紀前半 | ハコブとハルティウン・ホヴナタニヤン |
| 18世紀後半 | ホヴナタン・ホヴナタニヤン |
| 19世紀 | ムクルトゥムとハコブ・ホヴナタニヤン |
同じ姓の人々が三世紀にわたって描き続けたことが書かれます。一次資料は「一族」とは書いていないので、「同じ姓の人々が三世紀にわたって描いた」までにとどめます。
聖ガヤネ教会(紀元630年)— 二つの形を初めて結んだ
聖ガヤネ教会(紀元630年)は、初期キリスト教とアルメニアの建築において三廊のバシリカと中央のドームを結びつけたもっとも古い例であり、その形はアルメニアと西アジアの両方で広く行われるようになった。
それは、調和した比例、中央の身廊、よく加工された凝灰岩(火山起源の石)で建てられた二つの祭具室を伴う四柱のドームのバシリカである。それはこの型の教会のもっとも良い例とみなされている。
聖ガヤネ処女の丸天井の墓所が主アプスの下にあり、それは南東の祭具室から入られる。教会の屋根と壁は1652年に改修された。三つの間を伴う前廊の広間が1683年に教会の西のファサードに沿って建てられ、その北と南の端に使徒ペテロとパウロに捧げられた礼拝堂が置かれた。前廊の広間はまた、カトリコスたちの埋葬の場所としても働いた。
修道院の塁壁は後に加えられた。1866年から1882年に、院長ヴァハン・バスタミヤンが修道院、そのアーチの門、院長と信徒のための居住の建物、学校を改修し、印刷所を設けた。
聖フリプシメ教会(紀元618年)— 綴りが二通り
中央ドームの教会の異なる型が初期中世に発展し、7世紀のあいだにアルメニアで広く行われるようになった。それらのうち、聖フリプシメ教会は中間のニッチと隅の部屋を伴う四アプスの教会の完全な例(紀元618年)である。
同じ節のなかで `St Hripsime Church` と `St Hripsimeh Church` の二通りの綴りが使われます。同じ教会を指しているので食い違いではなく、綴りの揺れとして記録します。
1970年代に、教会の隣接する区域で考古の発掘が行われ、前キリスト教と初期キリスト教の埋葬、そして一廊の教会が見つかった。
その建造の体系が地震の安定を保つために輝かしく組み合わされていることと、その装飾と建築の様式のために、聖フリプシメ教会は水晶のような明晰さを持つ。構造の体系が、その芸術の外観の主たる表現である。
「構造が外観そのものである」という書き方です。地震の安定のための工夫が、美の根拠として書かれます。
聖ショガカト教会(1694年)と聖マリアム・アストヴァツァツィン教会(1767年)
聖ショガカト教会は、キリスト教徒フリプシメの殉教者たちの上に「光の線が落とされた」4世紀の礼拝堂の場所に、1694年に建てられた。今日の教会は褐色のよく加工された凝灰岩で建てられ、その唯一無二の建築によって際立つ。
聖マリアム・アストヴァツァツィン教会は、シメオン・エレヴァンツィ・カトリコスの統治のあいだ、1767年に建てられた。それは三対の付け柱を伴う三廊の切妻屋根のバシリカである。
ズヴァルトノツ — 高さは別の場所の石の模型から出した
教会のための新しい中央ドームと十字形の平面を発展させる試みが、7世紀の半ばに建てられたズヴァルトノツ教会をもたらした。それは傑作とみなされており、そこでは四アプスの内部が多面体の外観を伴う三層の円形の構造のうちに収められている。それは10世紀に、おそらく地震によって、廃された。
「おそらく(probably)」と書かれます。原因は確定していません。
提案された復元によれば(アニにおける発掘のあいだに見つかったガグカシェン教会の11世紀の石の模型に基づく)、教会の高さは約45 m で、それは7世紀の建造の技術にとって異常に高い。
高さが、別の場所(アニ)で見つかった別の教会(ガグカシェン)の石の模型から出されています。資産そのものの遺構からではありません。「約45 m だった」ではなく「提案された復元によれば約45 m」までが書かれていることです。
ズヴァルトノツは豊かな浅浮彫りを持つ。教会と世俗の生活の断片を描く浅浮彫りと高浮彫りはきわめて巧みに実現されている。これらの装飾の要素は7世紀の後半からアルメニア建築で広く行われるようになった。ズヴァルトノツ教会は、建造、彫刻、装飾の美術の領域におけるアルメニア建築の黄金時代(初期中世)のすべての達成の、まことに頂点である。
基準二つと、完全性・真正性 — 「相応である」と「完全に真正である」
基準(ii)(iii)の二つだけ
基準(ii):エチミアジンの教会群とズヴァルトノツの考古遺跡によって卓越したしかたで代表される教会建築における発展は、広い地域にわたる教会の設計に深い影響を及ぼした。
基準(iii):エチミアジンの教会群とズヴァルトノツの考古遺跡は、その創設以来のアルメニア教会の精神性と革新の芸術の達成の両方を生き生きと描いている。
基準は二つだけで、基準(i)も(iv)も(vi)もありません。「キリスト教建築の全体に対するアルメニアの教会建築の卓越した寄与」「アルメニア建築の黄金時代のすべての達成の頂点」と概要が書いていても、基準(i)は付いていません。
完全性 — 登録の時点を基準にする
資産の内側の教会群は、アルメニアにおけるキリスト教の植えつけと、唯一無二のアルメニアの教会建築の進化にはっきり証している。資産は、教会建築の発展を示すのに十分な構造を含んでいる。これらの建物のすべて、ならびに景観は、十分に無傷であり、世界遺産リストへの登録の時点以来変わっていない。
完全性が「登録の時点以来変わっていない」ことで測られます。10章のリラの修道院216 も同じ書き方です。「元の状態から変わっていない」ではありません。
三つの脅威
遺跡の完全性への主たる脅威は、活動する地震の帯のなかのその立地、周囲の環境の汚染、そして活動的な観光の路の上にあることの圧力である。
「活動的な観光の路の上にある」ことが脅威として書かれます。訪問者の数ではなく、路の上にあるという立地です。
真正性 — 教会と考古遺跡で評語が違う
教会の記念物の真正性は相応である(reasonable)。それらが多くの世紀にわたって宗教の使用のうちにあり、その期間にわたって典礼と流行における変化を受け、周期的な修復を経てきたことを考えれば。
考古遺跡は完全に真正である。それは31の消え去った構造の発掘された遺構だけからなるからである。
| 部分 | 評語 | 理由 |
|---|---|---|
| 教会の記念物 | 「相応である(reasonable)」 | 多くの世紀の宗教の使用、典礼と流行の変化、周期的な修復 |
| 考古遺跡(ズヴァルトノツ) | 「完全に真正である(fully authentic)」 | 31の消え去った構造の発掘された遺構だけからなる |
24章のペルシアの隊商宿1668 と同じで、考古遺跡のほうが真正性が高いと書かれます。「相応である」という評語は、これまで読んだ197件でここだけです。「高い」とも「十分である」とも書かれていません。評語をそのまま写します。
ヴェネツィア憲章に「十分に適合していない」
しかしながら、過去の修復の仕事のいくつかはヴェネツィア憲章の原則に十分に適合していない。
10章のトロイツェ・セルギエフ大修道院657 は「1960年代以降の修復の仕事は……おおむねヴェネツィア憲章に適合してきた」です。同じ憲章の名が、同じ章の二つの資産で逆の評語とともに出ます。
誰が守っているか — 刑法まで並び、鉛を石板に替えた
法令が四層
残りの記念物はアルメニア使徒教会の資産であるとともに、アルメニア共和国の法律「歴史文化不動記念物と歴史環境の保護と利用について」、および規則「歴史文化不動記念物の国家登録、研究、保護、補強、修復、再建、利用について」によって保護されている。記念物の保護のために、アルメニア共和国の民法、行政法、土地法、刑法に追加の条項が存在する。
刑法(Criminal Code)が挙げられる資産です。法律・規則・四つの法典と、保護の根拠が重なります。
守る側に「関心を持つ人々」が入る
権限を与えられた国家の機関としてのその専門の単位を伴うアルメニア文化省と、所有者としてのその専門の単位と教区を伴うアルメニア使徒教会、ならびに非政府の、自然保護の単位とアルメニアの遺産の保全に関心を持つ人々が、修道院の複合の保護に関わっている。
「関心を持つ人々(people interested)」が保護の担い手に並ぶ資産です。組織の名ではありません。
国と教会が「等しく代表される」
世界遺産リストに登録された遺跡の保全、復旧、利用に関する事項は、アルメニア文化省によって形づくられる専門の協議会(方法論の協議会、建築の協議会)と聖エチミアジン母座において議論され、そこでは双方の代表者と専門家が等しく代表される。
「等しく代表される(equally represented)」と明記されます。9章のサンティアゴ347 は大司教区がコンソルシオの構成員でしたが、構成の比は書かれていませんでした。
鉛を石板に替えた
時を越えて資産が直面する課題に、遺跡の境界の内側とその主たる建物において応えるため、その真正性を確保するために、科学の研究、改修、補強、設計、予防の措置が講じられてきた。鉛が2000年に大聖堂のドームから取り除かれ、石の板で置き換えられた。
具体的な材料の交換が、年つきで一つだけ書かれる資産です。何を何に替えたかが分かります。
財源が三つ
資産の予算は、国家の予算からの配分、企業の活動、そして私的な寄付から形づくられている。
財源が三つ名指しされる資産です。職員の数は書かれていません。
一覧の下部
| 記載 | 中身 |
|---|---|
| 保存状況報告 | 記載なし |
| GIS のデータ | 未受領 |
| ほかの保全の仕組み | 2003年無形文化遺産保護条約 1要素——「アルメニアの文字の技芸とその文化の表現」 |
| タブ | `Assistance` |
無形文化遺産条約の要素が挙がるのは六つ目です。要素は文字の技芸で、建物の技術でも祝祭でもありません。
2級で押さえること
基準(ii)(iii)、アルメニア・アルマヴィル地方、本体74.3 ha、一覧に緩衝地帯の行が無い(本文は共通の緩衝地帯約93 ha と第三区域の24 ha の二つを書く)、2000年登録、`Serial: yes`。三つの区域の内訳が概要にそのまま書かれ、計算で確かめられる——30.2+25.3+18.8=74.3 で一覧の本体とぴたり合い、第一区域(18.8+11.4=30.2)と母座の持ち分(16.4+2.0+0.4=18.8)も合うが、第二区域は6.2+19.2=25.4 で本文の「約25.3 ha」と0.1 ha 合わない。ズヴァルトノツの考古遺跡だけが国有で、残りはアルメニア使徒教会の資産。第一・第二区域の内側でも母座の持ち分と市の共同体の持ち分に分かれる。町の名前は五つ順に変わった——クアルリニ(ウラルトゥ王ルサ2世の碑文)/アルティメド(5世紀の歴史家モヴセス・ホレナツィが証す)/ヴァルドゲサヴァン/ヴァガルシャパト(ヴァガルシュ1世アルシャクニ王、紀元117-140年)/エチミアジン(キリスト教の採用=紀元301年の後、ヴァガルシャパトとならんで使われた)。「このアルメニアの集落における生命は途切れることなく続いてきた。」大聖堂は紀元301-303年にトルダト3世王と啓蒙者聖グレゴリウスが建てた「もっとも古いドームの教会」で、四つのアプスと四本の柱に載る中央のドームの十字形の平面が「キリスト教建築の全体に対するアルメニアの教会建築の卓越した寄与」、ビザンツ、それから中央と西ヨーロッパへ広がった。フレスコ画は同じ姓の人々が三世紀にわたって描いた(ナガシュ・ホヴナタン1712-1721年/18世紀前半・後半・19世紀のホヴナタニヤンたち)。聖ガヤネ教会(紀元630年)は三廊のバシリカと中央のドームを結びつけたもっとも古い例で、凝灰岩(火山起源の石)の四柱のドームのバシリカ、この型のもっとも良い例。屋根と壁は1652年改修、前廊の広間は1683年(カトリコスたちの埋葬の場所)、1866-1882年に院長ヴァハン・バスタミヤンが印刷所を設けた。聖フリプシメ教会(紀元618年)は中間のニッチと隅の部屋を伴う四アプスの教会の完全な例で、「構造の体系が、その芸術の外観の主たる表現である」(地震の安定の工夫が美の根拠)。同じ節で `St Hripsime` と `St Hripsimeh` の二通りの綴りが使われる。聖ショガカト教会(1694年)は「光の線が落とされた」4世紀の礼拝堂の場所に。聖マリアム・アストヴァツァツィン教会(1767年)は三対の付け柱の三廊の切妻屋根のバシリカ。ズヴァルトノツ(7世紀半ば)は四アプスの内部が多面体の外観を伴う三層の円形の構造に収まり、「10世紀に、おそらく地震によって、廃された」。高さ約45 m は、アニの発掘で見つかった別の教会(ガグカシェン)の11世紀の石の模型に基づく「提案された復元」から出た数で、「7世紀の建造の技術にとって異常に高い」。完全性は「世界遺産リストへの登録の時点以来変わっていない」ことで測られる。脅威は活動する地震の帯のなかの立地・周囲の環境の汚染・「活動的な観光の路の上にあること」。真正性は部分で評語が違う——教会の記念物は「相応である(reasonable)」(197件でここだけの評語)/考古遺跡は「完全に真正である」(31の消え去った構造の発掘された遺構だけからなるため)。「過去の修復の仕事のいくつかはヴェネツィア憲章の原則に十分に適合していない」(トロイツェ・セルギエフ657 は「おおむね適合してきた」で逆の評語)。保護は法律・規則・民法・行政法・土地法・刑法の追加条項。守る側に「アルメニアの遺産の保全に関心を持つ人々」が並ぶ。協議会では国と教会の「双方の代表者と専門家が等しく代表される」。鉛が2000年に大聖堂のドームから取り除かれ、石の板で置き換えられた。財源は国家の予算からの配分・企業の活動・私的な寄付の三つ。一覧下部は保存状況報告の記載なし/GIS 未受領/無形文化遺産条約1要素(アルメニアの文字の技芸)/タブに `Assistance`。
準1級
準1級向けに理解を深める
準1級の掲載範囲は確かめていません。準1級の範囲は「日本の全遺産と主要な世界の遺産700件」ですが、どの700件かは公式に出ていません。ここに並ぶのは、ゼミが作ったキーワードの練習(試作46本)で、この記事がどのキーワードに入ったかです。公式テキストの分類ではありません。
この遺産は、準1級のキーワードで4通りに出てきます
| キーワード | このキーワードで見るもの | 本文の手がかり |
|---|---|---|
| 古代文明 | 何を「古さ」と「位置づけ」の根拠にしているか | 「集落はウラルトゥの楔形文字の碑文に」 |
| 歴史上の人物 | 人の名が、その資産でどんな働きをしているか | 「同じ姓の人々が三世紀にわたって描き続けたことが書かれます。」 |
| 墓地・埋葬 | 墓が、資産の内と外のどちらに置かれているか | 「信徒の集まりの墓地が0.4 ha」 |
| 地震の被害 | 同じ地震でも、書かれる資産と書かれない資産がある | 「地震の安定」 |
準1級は、遺産を1件ずつではなくキーワードで横に読みます。同じ資産が、キーワードごとに別の一文で引かれます。「この遺産はどのテーマか」ではなく、「このキーワードで読むと、この遺産の何が見えるか」で読みます。
キーワードで練習する
級別の確認問題
2級 確認問題
答えを選んでから、正解と解説を開きましょう。
確認1:エチミアジン1011 の三つの区域の面積と、一覧の本体の面積の関係は?
- 三つの区域の合計は一覧の本体の面積と合わず、理由も書かれていない
- 一覧に本体の面積の行が無いので、比べる相手がいない
- 30.2+25.3+18.8=74.3 で、一覧の本体74.3 ha とぴたり合う
- 三つの区域の合計は74.3 ha で一覧と合うが、緩衝地帯も93+24=117 ha が一覧の数値とぴたり合う
正解と解説を開く
正解:3.30.2+25.3+18.8=74.3 で、一覧の本体74.3 ha とぴたり合う
第一区域30.2 ha + 第二区域25.3 ha + 第三区域18.8 ha = 74.3 ha。一覧の本体は74.3 ha で、ぴたり合います。第一区域の内訳(18.8+11.4=30.2)と母座の持ち分(16.4+2.0+0.4=18.8)も合います。ただし第二区域は6.2+19.2=25.4 で、本文の「約25.3 ha」と0.1 ha 合いません。緩衝地帯は一覧に行が無いので、93+24=117 ha には比べる相手がいません。
確認2:エチミアジン1011 の真正性の節が、教会の記念物と考古遺跡をどう書き分けているか?
- どちらも「完全に真正である」とされている
- 教会の記念物のほうが高く、考古遺跡は遺構だけなので真正性を欠くとされている
- どちらも「相応である」とされ、理由として周期的な修復と発掘の影響が同じように挙げられている
- 教会の記念物は「相応である」、考古遺跡は「完全に真正である」とされ、考古遺跡のほうが高い
正解と解説を開く
正解:4.教会の記念物は「相応である」、考古遺跡は「完全に真正である」とされ、考古遺跡のほうが高い
教会の記念物——「相応である(reasonable)」(多くの世紀の宗教の使用、典礼と流行の変化、周期的な修復を経てきたことを考えれば)。考古遺跡——「完全に真正である」(31の消え去った構造の発掘された遺構だけからなるため)。24章のペルシアの隊商宿1668 と同じで、考古遺跡のほうが高いとされます。「相応である」という評語は、これまで読んだ197件でここだけです。
確認3:エチミアジン1011 のズヴァルトノツ教会の高さ約45 m は、何から出された数か?
- アニにおける発掘で見つかったガグカシェン教会の11世紀の石の模型に基づく「提案された復元」から
- 資産そのものに残る壁の高さの実測から
- 7世紀の文書に書かれた記録から
- アニにおける発掘で見つかったガグカシェン教会の11世紀の石の模型と、ズヴァルトノツの柱の実測を合わせた計算から
正解と解説を開く
正解:1.アニにおける発掘で見つかったガグカシェン教会の11世紀の石の模型に基づく「提案された復元」から
> 提案された復元によれば(アニにおける発掘のあいだに見つかったガグカシェン教会の11世紀の石の模型に基づく)、教会の高さは約45 m で、それは7世紀の建造の技術にとって異常に高い。別の場所で見つかった別の教会の模型から出された数です。資産そのものの遺構からではありません。「約45 m だった」ではなく「提案された復元によれば約45 m」までが書かれていることです。
確認4:エチミアジン1011 の保護管理の節に書かれている、守る側の顔ぶれは?
- 文化省とアルメニア使徒教会の二者だけ
- 文化省、所有者としてのアルメニア使徒教会、非政府の、自然保護の単位、そしてアルメニアの遺産の保全に関心を持つ人々
- 文化省だけで、教会は守る側には入っていない
- 文化省、アルメニア使徒教会、非政府の単位、そして遺産の保全に関心を持つ人々だが、協議会では国の側の代表者のほうが多数を占めると書かれている
正解と解説を開く
正解:2.文化省、所有者としてのアルメニア使徒教会、非政府の、自然保護の単位、そしてアルメニアの遺産の保全に関心を持つ人々
> 権限を与えられた国家の機関としてのその専門の単位を伴うアルメニア文化省と、所有者としてのその専門の単位と教区を伴うアルメニア使徒教会、ならびに非政府の、自然保護の単位とアルメニアの遺産の保全に関心を持つ人々が……関わっている。「関心を持つ人々」が保護の担い手に並ぶ資産です。組織の名ではありません。なお協議会では「双方の代表者と専門家が等しく代表される」と明記されます。
参考資料
確認日:2026年10月28日。世界遺産ゼミは非公式の学習コンテンツです。確認問題は独自に作成しています。特定の試験回への対応は未確定です。