ESMA博物館と記憶の場:拘禁と拷問、虐殺のかつての機密拠点

登録年
2023年
所在国
アルゼンチン
登録区分
文化遺産
地域
南北アメリカ
登録基準
(vi)

どこにあり、何が登録されたのか — 本体が0.907 ha

アルゼンチン、ブエノスアイレス市。海軍機械学校(ESMA)のかつての将校宿舎。座標は S34 32 11.91 W58 27 55.2。

本体 0.907 ha(小数点以下三桁。これは初めてではない——後述)
緩衝地帯 16.77 ha(本体の約18.5倍)
登録 2023年(境界の変更の行はどちらも無い)
基準 (vi)=1つだけ
区分 文化遺産
dossier 1681(接尾辞なし)
シリアル 一覧に行が無い
保存状況報告 節が無い
お知らせ 節が無い
リンク 1件(ESMA 記憶の場博物館)
ほかの保全の仕組み 節が無い
訳のある言語 6つ(英・仏・アラビア・中・露・西。日本語と蘭語が無い)

本体が0.907 ha で、小数点以下三桁まで書かれます。面積が小数点以下三桁まで書かれる資産は初めてではありません(2026-10-29 訂正。ここに「初めて」と書いたのは誤り。3章のアーヘン3(0.223 ha)・ヴィエリチカ32(1,104.947 ha)以来、本体が小数第3位まで書かれる資産は28件ある。14章のキレーネ190 の節にも「小数第3位」と書いてあった。同じ章の3件と隣の章(35章の西天山1490 は一桁、34章のニュングウェ1697 は二桁)しか見ずに「初めて」と書いていた)。これまで小さいと記録した資産(10章のゲラティ710 の4.2 ha、37章のステウンスの崖壁1416 の50 ha)よりさらに小さいですが、全件の面積を数え直してはいないので「いちばん小さい」とは書きません。一つの建物(かつての将校宿舎)が資産です。緩衝地帯(16.77 ha)が、その建物を含むより広い敷地にあたります。

何が起きた場所か

ESMA 将校宿舎に設けられた機密センターにおいて、アルゼンチン海軍に属する将校と部下が5,000人超の人びとを誘拐し、拷問し、殺害し、捕囚中に生まれた赤子を盗む計画を進め、性およびジェンダーの暴力を行い、拘禁・失踪させられた人びとの集団を様々な種類の強制労働に従わせ、被害者の動産・不動産の収奪を組織した。

書かれている罪
誘拐・拷問・殺害 5,000人超
捕囚中に生まれた赤子を盗む計画 —
性およびジェンダーの暴力 —
強制労働 様々な種類
動産・不動産の収奪 組織された

罪の種類が五つ書き分けられます。人数が付くのは最初の一つだけです。1976-1983年の軍民独裁(the civil-military dictatorship)の間の、アルゼンチン海軍の主要な秘密拘禁センターだったと説明文が書きます。越境の計画の一部として書かれます——「独裁による秘密裏に行われた暴力の体系的で組織された行使は、アメリカ南部円錐地域の独裁の間の協力の越境の計画の一部として起きた」。一つの国の出来事としてではなく、複数の独裁の協力として書かれます。なぜ象徴になったかが五つの理由で書かれます——①建物と作戦の規模 ②市の中心という立地 ③海軍将校と拘禁・失踪させられた人びとの共存 ④犯された罪の多様さと複雑さ ⑤出来事の越境の含意。そこから「ESMA 機密センターは政治と地理の境界を超えて、国連が今日人道に対する罪とみなす、人の強制失踪の特徴を代表する国際的で象徴的な象徴になった」と結ばれます。「国連が今日……とみなす」と、現在の国際法の位置づけが添えられます。

建物が「司法の証拠」として保護されている

建物は、そこで犯された人道に対する罪のために、1998年以降、司法の証拠として保護されてきた。それ以降、いかなる種類の改変も禁じられた。

年 何が
1998年 司法の証拠として保護が始まる。「いかなる種類の改変も禁じられた」
2004年 「アルゼンチン海軍は建物を明け渡し引き渡した」
2014年まで 「維持と劣化の停止の工事だけが行われた」
2014-2015年 博物館と記憶の場を創り開くための工事。「建物の状態の保存(退役の時のままの)とその司法の証拠としての身分への綿密な尊重をもって」
現在 「拘禁・失踪させられた人びとのその場での滞在を示す様々な痕跡と残存が保存されている」

保存の根拠が、遺産の法ではなく裁判である資産です。これまで読んだ269件で初めてです。「建物は今日、新しい司法の証拠へのアクセスを可能にしうる研究を続けるために必要な不変性の条件を示す。さらに、そこで起きた出来事の歴史の再構成のための記録の源を代表する」と書かれます。だから建物に二重の性質があると明記されます——「司法の証拠と記録の源という二重の性質」。「今日、建物のすべての保存と修復の措置は、……この二重の性質によってそれを保存するために進められる科学の研究に基づく」。保存の議定書を承認した三者が書かれます——①その事柄の専門家 ②人権組織の代表からなる助言評議会 ③司法の機関。司法の機関が保存の議定書を承認する形です。法廷が継続的に関与します——「法廷が建物全体の保存に関わる主題について継続的に特定の規定を発する」。一度の命令ではなく、続く関与です。

真正性が、裁判で確認されたことを根拠にする

人道に対する罪の裁判における司法の証拠としての建物の確認は、施設の真正性とそのような出来事に言及する証言の真実性の承認に基づき、資産のそれらの出来事との有形で密接な結びつきを裏づける。

段 書かれていること
① 何が確認されたか 建物が司法の証拠であること
② 何に基づくか 施設の真正性と証言の真実性の承認
③ 何を裏づけるか 資産と出来事の有形で密接な結びつき

真正性が、裁判の過程で確認されたことによって裏づけられる形です。29章のルワンダ1586 は証言の集め方で真正性を述べました。1681 は裁判での確認で述べます。裁判の経緯が書かれます——「犯罪の出来事についての事実を確かめ正義を求める、骨の折れる早くから始まった過程が、1985年の軍事評議会の最初の裁判(民事法廷による)につながった。この裁判とそれに続く大型事件は、ESMA で起きたことの圧倒的な証拠を生み出した」。「真実と正義を求める過程はいまも続いており、強固な和解の過程の基礎をなすべきである」と結ばれます。

保護が三つの水準で、記憶の場が緩衝地帯になる

水準 何が
法的 1998年以降、司法の証拠としての身分で現状維持の差止命令のもとで保護。法廷が継続的に特定の規定を発する
遺産 2008年に国の歴史記念物に指定。緩衝地帯(記憶と人権の促進・擁護のための空間〈旧 ESMA〉に充てられた敷地)が国の歴史的遺跡に指定
制度 国の政令が博物館を国家人権事務局の分権化された機関として行政の役割を定める。使命は「機密センターで起きた出来事、その先行するものと帰結を知らせ伝えること」

本体と緩衝地帯が、別の遺産の身分で指定されています(記念物と歴史的遺跡。)。緩衝地帯が「記憶と人権の促進・擁護のための空間(旧 ESMA)」という名を持つ区域です。緩衝地帯そのものが記憶のための空間で、19章のジョグジャカルタ1671 の「州の文化遺産区域」とは性質が違います。博物館が人権の事務局の下に置かれる点も記録します。文化の省庁ではありません。

誰が決めるか

主体 役
執行理事会 博物館と記憶の場を管理する
助言評議会 「記憶と人権の促進・擁護のための空間に属する人権組織の理事会から来る同じ構成員」からなる
執行機関 「記憶と人権の促進・擁護のための空間(旧 ESMA)」を運営。国政府、ブエノスアイレス自治市、人権組織からなる理事会の代表からなる

人権組織が管理の構造に二度出てきます(助言評議会の構成員と、執行機関の理事会)。緩衝地帯の中に何があるかも書かれます——「いまでは地方、国、地域の広がりを持つ公の機関と市民社会の団体を収めている」。緩衝地帯が使われている区域です。最後に長期の条件が書かれます——「ESMA 博物館と記憶の場の使命——これらの出来事が二度と起こらないというアルゼンチンの願いを果たすのに同伴する——の長期の維持は、独裁の間に起きたことをそのすべての複雑な先行するものと帰結とともに提示し、資産がすべてのアルゼンチン人の遺産であり続け、こうして世界のものとなることを保障する、すべての関連する機関の継続する関与を必要とする」。「すべてのアルゼンチン人の遺産であり続け、こうして世界のものとなる」という向きで書かれます。国のものから世界のものへという順序を、そのまま写します。

同じ章のほかの資産と比べる

基準(vi)だけの資産が三つ

遺産 基準
ESMA1681 (vi)だけ
ルワンダ虐殺の記憶の場1586 (vi)だけ
ネルソン・マンデラの遺産1676 (vi)だけ
第一次世界大戦(西部戦線)1567 (iii)(iv)(vi)

4件すべてに(vi)が付き、三つは(vi)だけです。12章(仏教)と13章(世界の宗教)では「宗教の遺産だから基準(vi)が付くのではない」と記録しました。29章は逆に、4件すべてに(vi)が付く章です。それでも「記憶の場だから(vi)」とは一次資料が書いていないので、4件すべてに付いていることまでを記録します。

保存の根拠が四通りに分かれる

遺産 保存の根拠
ESMA1681 司法の証拠(1998年以降、改変が禁じられた)+国の歴史記念物(2008年)
ルワンダ虐殺の記憶の場1586 七つの法令(文化遺産の法、記念の式典の法、環境の組織法など)
ネルソン・マンデラの遺産1676 1999年国家遺産資源法第25号で14すべてが国の遺産の遺跡
第一次世界大戦(西部戦線)1567 三つの法域(ワロニー・フランドル・フランス)がそれぞれの法令を適用

1681 だけは、遺産の法より前に裁判の命令で保護が始まりました(1998年の差止命令が2008年の記念物指定より10年早い)。順序を記録します。

本体の大きさが四通り

遺産 本体 緩衝地帯
ESMA1681 0.907 ha(小数点以下三桁) 16.77 ha(約18.5倍)
ルワンダ虐殺の記憶の場1586 24.65 ha 136.16 ha(約5.5倍)
ネルソン・マンデラの遺産1676 42.04 ha 300.12 ha(約7.1倍)
第一次世界大戦(西部戦線)1567 879.91 ha 30,061.22 ha(約34倍)

4件すべてで緩衝地帯が本体より広く、倍率は約5.5倍から約34倍まで散ります。記憶の場は、守るべき建物や区画が小さく、その環境が広いという形になりやすいと読めますが、一次資料はそう書いていません。

2級で押さえること

本体0.907 ha(小数点以下三桁。2026-10-29 訂正。ここに「小数点以下三桁まで書かれるのは初めて」と書いたのは誤りで、3章のアーヘン3(0.223 ha)以来28件が先にある。同じ章のほかの3件と隣の章しか見ていなかった。ゲラティ710 の4.2 ha やステウンスの崖壁1416 の50 ha より小さいが、全件を数え直していないので「いちばん小さい」とは書かない)/緩衝地帯16.77 ha(本体の約18.5倍)、2023年登録(境界の変更の行はどちらも無い)、基準(vi)=1つだけ、区分は文化遺産、dossier 1681、シリアルの行が無い、保存状況報告・お知らせ・ほかの保全の仕組みの節がどれも無い、リンク1件、訳のある言語は6つ(日本語と蘭語が無い)。一つの建物(海軍機械学校〈ESMA〉のかつての将校宿舎)が資産で、緩衝地帯がその建物を含むより広い敷地。1976-1983年の軍民独裁の間の、アルゼンチン海軍の主要な秘密拘禁センター。罪の種類が五つ書き分けられ、人数が付くのは最初の一つだけ(5,000人超の誘拐・拷問・殺害/捕囚中に生まれた赤子を盗む計画/性およびジェンダーの暴力/様々な種類の強制労働/被害者の動産・不動産の収奪)。越境の計画の一部として書かれる(「アメリカ南部円錐地域の独裁の間の協力の越境の計画」)。象徴になった理由が五つ(建物と作戦の規模/市の中心という立地/海軍将校と拘禁・失踪させられた人びとの共存/罪の多様さと複雑さ/越境の含意)で、「国連が今日人道に対する罪とみなす、人の強制失踪の特徴を代表する国際的で象徴的な象徴になった」と結ばれる。建物が「司法の証拠」として保護されている——「1998年以降、司法の証拠として保護されてきた。それ以降、いかなる種類の改変も禁じられた」。269件で初めてで、保存の根拠が遺産の法ではなく裁判。年が五段(1998年に保護開始/2004年に海軍が明け渡し引き渡した/2014年まで維持と劣化の停止の工事だけ/2014-2015年に博物館を創る工事を「退役の時のままの建物の状態の保存とその司法の証拠としての身分への綿密な尊重をもって」/現在は拘禁・失踪させられた人びとの滞在を示す痕跡と残存が保存されている)。建物に「司法の証拠と記録の源という二重の性質」が明記され、保存と修復の措置が科学の研究に基づく。保存の議定書を三者が共同で承認した(その事柄の専門家/人権組織の代表からなる助言評議会/司法の機関)。法廷が「継続的に特定の規定を発する」。真正性が裁判で確認されたことを根拠にする——「司法の証拠としての建物の確認は、施設の真正性とそのような出来事に言及する証言の真実性の承認に基づく」。1985年の軍事評議会の最初の裁判(民事法廷による)とそれに続く大型事件が「ESMA で起きたことの圧倒的な証拠」を生み、「真実と正義を求める過程はいまも続いており、強固な和解の過程の基礎をなすべきである」。保護が三つの水準(司法=1998年の差止命令/遺産=2008年の国の歴史記念物、緩衝地帯は国の歴史的遺跡/制度=国の政令で国家人権事務局の分権化された機関)で、本体と緩衝地帯が別の遺産の身分。裁判の命令が遺産の指定より10年早い。緩衝地帯が「記憶と人権の促進・擁護のための空間(旧 ESMA)」という名を持ち、公の機関と市民社会の団体を収めている。博物館が文化ではなく人権の事務局の下に置かれる。人権組織が管理の構造に二度出る(助言評議会の構成員と、国政府・ブエノスアイレス自治市・人権組織からなる執行機関の理事会)。「資産がすべてのアルゼンチン人の遺産であり続け、こうして世界のものとなることを保障する」という順序で書かれる。この章は4件すべてに基準(vi)が付き、三つは(vi)だけ。4件すべてで緩衝地帯が本体より広く、倍率は約5.5倍から約34倍まで散る。

オリジナル確認問題

答えを選んでから、正解と解説を開きましょう。

確認1:ESMA博物館と記憶の場の建物が保護されている根拠として、一次資料が書いているのは?

  1. 2023年の世界遺産への登録によって初めて法的な保護が与えられたということ
  2. 海軍が建物を使い続けているため、軍の規則によって立ち入りが制限されているということ
  3. 建物の老朽化が進んだため、全面的な改修を前提にした保護の枠組みが作られたということ
  4. 1998年以降、司法の証拠にあたるものとして保護され、改変が禁じられたこと
正解と解説を開く

正解:4.1998年以降、司法の証拠にあたるものとして保護され、改変が禁じられたこと

「建物は、そこで犯された人道に対する罪のために、1998年以降、司法の証拠として保護されてきた。それ以降、いかなる種類の改変も禁じられた」と書かれます。保存の根拠が遺産の法ではなく裁判である資産は、これまで読んだ269件で初めてです。国の歴史記念物への指定は2008年なので、裁判の命令のほうが10年早いことになります。

確認2:ESMA博物館と記憶の場の建物の性質について、一次資料が書いているのは?

  1. 博物館の展示施設としての性質だけを持ち、裁判との関わりはすでに終わったということ
  2. 建物そのものは失われ、記録と証言だけが資産の価値を担っているということ
  3. 司法の証拠と記録の源という二重の性質を持つということ
  4. 将来の司法の証拠にはなりえないので、自由に改修できるようになったということ
正解と解説を開く

正解:3.司法の証拠と記録の源という二重の性質を持つということ

「今日、建物のすべての保存と修復の措置は、司法の証拠と記録の源という二重の性質によってそれを保存するために進められる科学の研究に基づく」と書かれます。建物は「新しい司法の証拠へのアクセスを可能にしうる研究を続けるために必要な不変性の条件」を示すとも書かれます。保存の議定書は、専門家、人権組織の代表からなる助言評議会、そして司法の機関が共同で承認しました。

確認3:ESMA博物館と記憶の場の真正性の節が、何を根拠にしているか?

  1. 裁判で証拠として確認されたことと、証言の真実性の承認
  2. 建物の材料と工法が建設の当初のまま保たれていることだけを根拠にしている
  3. 真正性の節は無く、完全性の節が状態の評価をまとめて行っている
  4. 復元された内装が当時の写真と一致していることを根拠にしている
正解と解説を開く

正解:1.裁判で証拠として確認されたことと、証言の真実性の承認

「人道に対する罪の裁判における司法の証拠としての建物の確認は、施設の真正性とそのような出来事に言及する証言の真実性の承認に基づき、資産のそれらの出来事との有形で密接な結びつきを裏づける」と書かれます。1985年の軍事評議会の最初の裁判とそれに続く大型事件が、そこで起きたことの圧倒的な証拠を生み出したとも書かれます。「真実と正義を求める過程はいまも続いており、強固な和解の過程の基礎をなすべきである」と結ばれます。

確認4:ESMA博物館と記憶の場の緩衝地帯について、一次資料に書かれているのは?

  1. 緩衝地帯は設定されておらず、一覧にも行が無いので周囲の保護は読み取れないこと
  2. 「記憶と人権の促進・擁護のための空間」として国の歴史的遺跡に指定されたこと
  3. 緩衝地帯は本体より狭く、建物のすぐ周りだけに限られていること
  4. 緩衝地帯は眺望を守るために設けられていて、建物の高さだけを規制していること
正解と解説を開く

正解:2.「記憶と人権の促進・擁護のための空間」として国の歴史的遺跡に指定されたこと

本体が2008年に国の歴史記念物に指定され、緩衝地帯(記憶と人権の促進・擁護のための空間〈旧 ESMA〉に充てられた敷地)が国の歴史的遺跡に指定されました。本体と緩衝地帯が別の遺産の身分で指定される形です。その区域はいまでは地方、国、地域の広がりを持つ公の機関と市民社会の団体を収めていると書かれます。

参考資料

確認日:2026年10月29日。世界遺産ゼミは非公式の学習コンテンツです。確認問題は独自に作成しています。特定の試験回への対応は未確定です。

参照した公式教材の版: くわしく学ぶ世界遺産300 <第6版>

この遺産が出題される級は、上のバッジから確認できます。