ポツダムとベルリンの宮殿と庭園

登録年
1990年
所在国
ドイツ
登録区分
文化遺産
地域
ヨーロッパ
登録基準
(i) (ii) (iv)

基本を学ぶ

どこにあり、何が登録されたのか — 一覧の境界の変更の行に年が二つ

ドイツ、ブランデンブルク州とベルリン州。ハーフェル川とグリーニッケ湖の岸に沿います。

本体 2,064 ha
緩衝地帯 一覧に行が無い(ただし本文に契約と宣言がある)
登録 1990年、基準 (i)(ii)(iv)=3つ
重要な境界の変更 1992年、1999年(年が二つ)
dossier 532ter
保存状況報告 10年分(1993-2004年)
ほかの保全の仕組み 記載なし
GIS データ 未受領
`Activities` 1件(世界遺産都市プログラム)
訳のある言語 8つ(日本語を含む)

「重要な境界の変更」の行に年が二つ並ぶ

遺産 行 年
ポツダムとベルリン532 `Significant modifications to the boundaries` 1992年、1999年
キーウ527(10章) `Minor boundary modification inscribed year` 2005年、2021年

年が二つ並ぶ行は、キーウ527 では軽微なほう、この資産では重要なほうです。行が違うので別のこととして記録します。

dossier が `532ter`(三度目)なのは、1992年と1999年の二度の変更と並べて読めますが、一次資料は規則を書いていないので対応を断定しません。

座標の秒が60

一覧の座標は `N52 23 60 E13 1 60` で、秒が二つとも `60` です。33章のオカヴァンゴ1432(`S19 16 60 E22 53 60`)と同じ形で、231件で二つ目です。秒は通常59までなので繰り上がらなかった形と読めますが、一次資料は理由を書いていないので推測せず、そのまま写して「原文のまま」と添えます。

説明文の「500 ha」と一覧の「2,064 ha」

どこ 数 何を指すか
説明文 500 ha 公園(parks)
説明文 150 1730年から1916年のあいだに建てられた建物
一覧 2,064 ha 本体

どちらも正しく、指すものが違います。

何が登録されたのか — 構成要素の名前が長く並ぶ

概要が、ポツダムとベルリンに分けて構成要素を列挙します。一覧に構成資産の表は無いので、面積の内訳は未確認のままにします。

ポツダム側

構成要素
サンスーシ公園/新宮殿の西のリンデンアレー/旧庭師養成学校/旧皇帝駅とその周辺/リントシュテット宮殿とその低地の周囲/ゼーコッペルの放牧地/サンスーシへの並木道/ヴォルテールヴェーク並木道(サンスーシ公園と新庭園をつなぐ)/新庭園/いわゆるミルバッハ小森とプフィングストベルクの丘と新庭園の連結/ヴィラ・ヘンケルと庭園/プフィングストベルクの丘/ヴィラ・アレクサンダーの庭園/バーベルスベルク公園とその接近路/バーベルスベルク天文台/ザクロウ公園/ザクロウ村の周りの王の森/ロシア人の植民地アレクサンドロフカとカペレンベルク/ボルンシュテットの人工のイタリア村/クライン・グリーニッケの人工のスイス村

ベルリン側

構成要素
グリーニッケ公園/アレクサンドラのロッジアを伴うベッチャーベルクの丘/グリーニッケ狩猟小屋/孔雀島(Peacock Island。すべての建物を含む)

人工の村が三つ入っている

村
ロシア人の植民地アレクサンドロフカ —
ボルンシュテットの人工のイタリア村 `artificial`
クライン・グリーニッケの人工のスイス村 `artificial`

宮殿のまわりに、ほかの国の村を模した集落が作られ、それが資産の一部として登録されています。一次資料は「人工の(artificial)」という語を使い、誰のために作られたかは書いていないので補いません。

設計した人の名が生没年つきで並ぶ

人 生没年
G. W. フォン・クノーベルスドルフ 1699-1753年
C. フォン・ゴンタルト 1731-1791年
C. G. ランガンス 1732-1808年
K. F. シンケル 1781-1841年
P. J. レネ 1789-1866年

「彼らの協力者たち」と、「きわめて想像力に富む彫刻家、画家、職人、建築の働き手、庭師たち」とともに、「高い質、ヨーロッパの地位、国際的な立場を持つ全体としての芸術作品(an overall work of art)」として作られたとされます。

「資産は、サクロウ城と公園、そしてザウヴール教会と直観的に、領域的に、歴史的に揃えられている(intuitively, territorially and historically aligned)建物、公園、設計された空間を包み込む」と書かれます。「直観的に」という語が境界の説明に入る資産は、これまで読んだ231件でここだけです。

三つの基準 — 基準が「登録できなかったもの」を書く

基準 中身
(i) 「例外的な芸術の達成であり、その折衷的で進化する特徴がその唯一性を強める——クノーベルスドルフからシンケルへ、アイザーベックからレネへ、一連の建築と造園の傑作が一つの空間のなかに建てられ、対立し和解しえないと評判の様式を、時を越えて漸進的に設計されてきた全体の構成の調和を損なうことなく例示している」。1845年の平和教会(Friedenskirche)の建設の始まりは「意図的な歴史主義の象徴」で、「このローマのサン・クレメンテ聖堂の『ナザレ派』のパスティーシュは、1745年4月14日のサンスーシ——ロココ宮殿の極致——の礎石の据え付けを記念する」
(ii) 「ポツダム=サンスーシ——しばしば「プロイセンのヴェルサイユ」と呼ばれる——は、イタリア、イングランド、フランドル、パリ、ドレスデンからの多数の影響の結晶である」。「18世紀のヨーロッパの都市と宮廷における芸術の潮流の総合であり、宮殿と公園は、オーデル川の東における記念碑的芸術の発展と空間の組織に大きな影響を与えた新しい模型を提供する」
(iv) 「ヨーロッパ内部の君主の権力の構想と結びついた建築の創造と造園の発展の優れた例である」

基準(iv)がほかの世界遺産を年つきで名指しする

計画の広大さによって、これらの王の総体は、ヴュルツブルクとブレナムのような君侯の住居というきわめて明確な範疇に属する(それぞれ1981年と1987年に世界遺産リストに含められた)。

ほかの世界遺産を、登録の年まで添えて名指しする資産は、これまで読んだ231件でここだけです。

基準の文が「登録できなかったもの」を書く

1945年4月14日の爆撃が、フリードリヒ・ヴィルヘルム1世によって二段階で発展させられた都市の総体——1721年から1725年までの「第一の新市街」と、1733年に始まる「第二の新市街」——を世界遺産リストに推薦することを不可能にした(has made it impossible to nominate)。

基準の文が、登録されたものではなく登録できなかったものを書きます。これまで読んだ231件でここだけです。

同じ4月14日が二つの基準に出ます——基準(i)の1745年4月14日(サンスーシの礎石)と、基準(iv)の1945年4月14日(爆撃)。一次資料は二つを結びつけていないので、「ちょうど200年後」という読みをこちらから足しません。

完全性・真正性 — 50年を年の範囲で書く

完全性は二文だけ

ポツダムとベルリンの宮殿と庭園は、プロイセンの住居の景観の顕著な普遍的価値を表すのに必要なすべての要素を含む。それは、資産の意義を伝える特徴と過程を確かにするのに十分な大きさである。

脅威も弱点も書かれません。「完全性の節が短いこと」を「問題が無いこと」と読み替えません。

真正性が50年を年の範囲で書く

1939年から1989年のあいだに起きた歴史が、放置、建物の集団的な再利用、軍事施設の建設を通じてポツダムの資産にその跡を残した。ただし配置はいまもレネの計画に従っている。

遺産 損失の時期の書き方
ポツダムとベルリン532 年の範囲(1939年から1989年)。主体も政治の名も書かれない
カザン980(25章) 政治の時期の名(「スターリンの時期」)+評語(「残念である」)
バーミヤン208(28章) 説明文だけ主体(「ターリバーンによる」)+評語(「悲劇の」)
ハトラ277(28章) 年の範囲(2015-2017年)だけ

532 は50年を一続きの「歴史」として書き、その中で何が起きたかを三つ(放置・集団的な再利用・軍事施設の建設)だけ挙げます。一次資料が名指ししていない主体を補いません。

修復の方針が機関の方針として書かれる

機関
ブランデンブルク州とベルリン州 —
ポツダム市 —
プロイセン宮殿庭園財団ベルリン=ブランデンブルク(SPSG) —

これらの方針は、広範な歴史の研究に基づき、計画された景観の歴史の構造と配置を強調しながら、新しい環境と都市の発展の枠組みを形づくりつつ、資産を修復することをめざしている。これが良心的で責任ある修復と改修を保証する。部分的な再建も時に起こるが、これも集中的な予備の研究と調査に基づく。

「修復する」ことを方針として書く資産です。同じ章のドロットニングホルム559 は「修復ではなく保存」を第一の指針にするので、同じ章の二つの資産で方針が逆です。

保護管理 — 緩衝地帯が一覧に無いのに契約と宣言がある

法と規程が日付つきで並ぶ

文書 日付
ブランデンブルク州記念物保護法 2004年5月24日
「UNESCO 世界遺産リストに従ったベルリン=ポツダム文化的景観の記念物地区の保護のための規程、ポツダム行政区記念物地区規程」 1996年10月30日
「プロイセン宮殿庭園財団ベルリン=ブランデンブルク」の設立についての国家条約 1994年8月23日/1995年1月4日/1995年1月9日公布(三つの日付)

規程の名に「UNESCO 世界遺産リストに従った」が入ります。25章のブランクーシ1473 の法564/2001(「世界遺産リストに登録された歴史的記念物の保護措置に関する」)と同じ軸ですが、こちらは資産固有の地区の規程で、国内のすべての世界遺産に及ぶ法ではありません。

全域が「ブランデンブルク州記念物保護法に従って記念物区域として分類されている」とされます。

訪問者の数が保存の指針で決まる

宮殿、ほかの建物(博物館)、公園に入ることを許される訪問者の数は、保存と保全の指針に依存する。

訪問者の上限が「保存の指針で決まる」と書かれる資産は、これまで読んだ231件でここだけです。数そのものは書かれていないので、仕組みまでを記録します。

緩衝地帯が一覧に無いのに、契約と宣言がある

どこ 緩衝地帯
一覧 行が無い
保護管理の節(ポツダム側) 「ポツダム市の領域における世界遺産資産のための緩衝地帯についての契約が、2011年1月27日にブランデンブルク州、ポツダム市、歴史的記念物保存の州事務所、プロイセン宮殿庭園財団ベルリン=ブランデンブルクによって署名された」
保護管理の節(ベルリン側) 「連邦首都ベルリンの領域における世界遺産資産のための緩衝地帯についての宣言が、2004年11月24日に署名された」

一覧に緩衝地帯の行が無いのに、本文には署名された契約と宣言があります。同じ章のドロットニングホルム559 と25章のセビーリャ383 は逆の向き(一覧に数があるのに本文が「提案された」)でした。一覧と本文のどちらかに寄せず、両方をそのまま記録します。

契約の目的は「資産とその直接の周囲の視覚と構造の完全性の永続する保護と持続した保全を確かにするため」とされます。

都市計画の文書が年を追って書かれる

年 出来事
1998/1999年 Leitplanung(ポツダム世界遺産の周辺区域の都市の発展のための指導計画)が作られた
2005年 市議会が最終の環境計画の文書を可決
いま 「継続的な改善の対象である」

推薦書の「都市計画の状況/計画の意図」の段落がこの計画に「相当な重点を置いている」と書かれます。推薦書の節の名が本文に引かれる資産は少数です。

管理の主体と仕組み

管理の責任 SPSG、ポツダム市、ベルリンの各区
地元の調整 ポツダム市は、その行政の責任の内側にある資産の区域のために地元の遺跡調整者(a local site coordinator)をさらに指名した
記録 SPSG はすべての公園の構成要素について詳しい記録(写真、測量、地図)を持つ
委員会 SPSG の記念物委員会(美術史家、建築家、技術者、修復家、保存家、造園家)が「修復の論点のような基本的な措置を検討する」

保全と建設の論点は、SPSG・ポツダム市・二つの州の歴史的記念物事務所(ブランデンブルクとベルリン)・学術研究文化省・ベルリンの都市発展環境局の緊密な協力のなかで組織され管理されるとされます。

2級で押さえること

本体2,064 ha/緩衝地帯は一覧に行が無い(ただし本文に署名された契約と宣言がある)、1990年登録・重要な境界の変更1992年と1999年、基準(i)(ii)(iv)=3つで231件で8件目、dossier 532ter、保存状況報告10年分(1993-2004年)、ほかの保全の仕組みの記載なし・GIS データ未受領、`Activities` 1件、訳のある言語は8つで日本語を含む。「重要な境界の変更」の行に年が二つ並ぶ——キーウ527 は「軽微な境界変更」の行に二つ(2005年、2021年)だったので、行が違うので別のこととして記録する。dossier が `532ter`(三度目)なのは二度の変更と並べて読めるが、一次資料は規則を書いていないので対応を断定しない。座標の秒が二つとも60——`N52 23 60 E13 1 60`。33章のオカヴァンゴ1432 と同じ形で231件で二つ目。そのまま写して「原文のまま」と添える。説明文の「500 ha の公園」「1730年から1916年のあいだに建てられた150の建物」と一覧の2,064 ha は、どちらも正しく指すものが違う。構成要素の名前が長く並ぶ——ポツダム側はサンスーシ公園・新宮殿の西のリンデンアレー・旧庭師養成学校・旧皇帝駅とその周辺・リントシュテット宮殿・ゼーコッペルの放牧地・サンスーシへの並木道・ヴォルテールヴェーク並木道・新庭園・ミルバッハ小森・ヴィラ・ヘンケルと庭園・プフィングストベルクの丘・ヴィラ・アレクサンダーの庭園・バーベルスベルク公園・バーベルスベルク天文台・ザクロウ公園・ザクロウ村の周りの王の森・ロシア人の植民地アレクサンドロフカとカペレンベルク・ボルンシュテットの人工のイタリア村・クライン・グリーニッケの人工のスイス村。ベルリン側はグリーニッケ公園・アレクサンドラのロッジアを伴うベッチャーベルクの丘・グリーニッケ狩猟小屋・孔雀島(すべての建物を含む)。一覧に構成資産の表は無いので面積の内訳は未確認のままにする。人工の村が三つ入っている——ロシア人の植民地アレクサンドロフカ、ボルンシュテットの人工のイタリア村、クライン・グリーニッケの人工のスイス村。宮殿のまわりにほかの国の村を模した集落が作られ、それが資産の一部として登録されている。一次資料は「人工の(artificial)」という語を使い、誰のために作られたかは書いていないので補わない。設計した人の名が生没年つきで並ぶ——G. W. フォン・クノーベルスドルフ(1699-1753年)・C. フォン・ゴンタルト(1731-1791年)・C. G. ランガンス(1732-1808年)・K. F. シンケル(1781-1841年)・P. J. レネ(1789-1866年)と「彼らの協力者たち」、そして「きわめて想像力に富む彫刻家、画家、職人、建築の働き手、庭師たち」。「高い質、ヨーロッパの地位、国際的な立場を持つ全体としての芸術作品」として作られた。「資産は、サクロウ城と公園、そしてザウヴール教会と直観的に、領域的に、歴史的に揃えられている建物、公園、設計された空間を包み込む」。「直観的に」という語が境界の説明に入る資産は231件でここだけ。基準(i)は「対立し和解しえないと評判の様式を、時を越えて漸進的に設計されてきた全体の構成の調和を損なうことなく例示している」で、1845年の平和教会の建設の始まりを「意図的な歴史主義の象徴」とし、「このローマのサン・クレメンテ聖堂の『ナザレ派』のパスティーシュは、1745年4月14日のサンスーシ——ロココ宮殿の極致——の礎石の据え付けを記念する」と書く。基準(ii)は「ポツダム=サンスーシ——しばしば『プロイセンのヴェルサイユ』と呼ばれる——は、イタリア、イングランド、フランドル、パリ、ドレスデンからの多数の影響の結晶である」「オーデル川の東における記念碑的芸術の発展と空間の組織に大きな影響を与えた新しい模型を提供する」。基準(iv)は「ヨーロッパ内部の君主の権力の構想と結びついた建築の創造と造園の発展の優れた例」。基準(iv)がほかの世界遺産を登録の年まで添えて名指しする——「これらの王の総体は、ヴュルツブルクとブレナムのような君侯の住居というきわめて明確な範疇に属する(それぞれ1981年と1987年に世界遺産リストに含められた)」。登録の年まで添えて名指しする資産は231件でここだけ。基準の文が「登録できなかったもの」を書く——「1945年4月14日の爆撃が、フリードリヒ・ヴィルヘルム1世によって二段階で発展させられた都市の総体——1721年から1725年までの『第一の新市街』と、1733年に始まる『第二の新市街』——を世界遺産リストに推薦することを不可能にした」。231件でここだけ。同じ4月14日が二つの基準に出る(1745年の礎石と1945年の爆撃)が、一次資料は二つを結びつけていないので「ちょうど200年後」という読みをこちらから足さない。完全性は二文だけで、脅威も弱点も書かれない。「完全性の節が短いこと」を「問題が無いこと」と読み替えない。真正性が50年を年の範囲で書く——「1939年から1989年のあいだに起きた歴史が、放置、建物の集団的な再利用、軍事施設の建設を通じてポツダムの資産にその跡を残した。ただし配置はいまもレネの計画に従っている」。主体も政治の名も書かれないので、一次資料が名指ししていない主体を補わない。カザン980 は政治の時期の名と評語、バーミヤン208 は主体と評語、ハトラ277 は年の範囲だけだった。修復の方針が機関の方針として書かれる——ブランデンブルク州とベルリン州、ポツダム市、プロイセン宮殿庭園財団ベルリン=ブランデンブルク(SPSG)の方針が「広範な歴史の研究に基づき、計画された景観の歴史の構造と配置を強調しながら、新しい環境と都市の発展の枠組みを形づくりつつ、資産を修復することをめざしている」「これが良心的で責任ある修復と改修を保証する」「部分的な再建も時に起こるが、これも集中的な予備の研究と調査に基づく」。同じ章のドロットニングホルム559 は「修復ではなく保存」を第一の指針にするので、同じ章の二つの資産で方針が逆。法と規程が日付つきで並ぶ——ブランデンブルク州記念物保護法(2004年5月24日)、「UNESCO 世界遺産リストに従ったベルリン=ポツダム文化的景観の記念物地区の保護のための規程、ポツダム行政区記念物地区規程」(1996年10月30日)、SPSG の設立についての国家条約(1994年8月23日/1995年1月4日/1995年1月9日公布の三つの日付)。規程の名に「UNESCO 世界遺産リストに従った」が入るが、こちらは資産固有の地区の規程で、国内のすべての世界遺産に及ぶ法ではない。全域が「記念物区域」として分類されている。訪問者の数が保存の指針で決まる——「宮殿、ほかの建物(博物館)、公園に入ることを許される訪問者の数は、保存と保全の指針に依存する」。231件でここだけで、数そのものは書かれていないので仕組みまでを記録する。緩衝地帯が一覧に無いのに、本文には署名された契約と宣言がある——ポツダム市の領域については2011年1月27日にブランデンブルク州・ポツダム市・歴史的記念物保存の州事務所・SPSG が契約に署名し、ベルリンの領域については2004年11月24日に宣言が署名された。目的は「資産とその直接の周囲の視覚と構造の完全性の永続する保護と持続した保全を確かにするため」。同じ章のドロットニングホルム559 と25章のセビーリャ383 は逆の向き(一覧に数があるのに本文が「提案された」)だったので、一覧と本文のどちらかに寄せず両方をそのまま記録する。都市計画の文書が年を追って書かれる——Leitplanung(ポツダム世界遺産の周辺区域の都市の発展のための指導計画)が1998/1999年に作られ、2005年に市議会が最終の文書を可決し、いまも「継続的な改善の対象である」。推薦書の「都市計画の状況/計画の意図」の段落がこの計画に「相当な重点を置いている」と書かれ、推薦書の節の名が本文に引かれる資産は少数。管理は SPSG・ポツダム市・ベルリンの各区の責任で、ポツダム市は地元の遺跡調整者をさらに指名した。SPSG はすべての公園の構成要素について詳しい記録(写真、測量、地図)を持ち、記念物委員会(美術史家、建築家、技術者、修復家、保存家、造園家)が「修復の論点のような基本的な措置を検討する」。保全と建設の論点は SPSG・ポツダム市・二つの州の歴史的記念物事務所・学術研究文化省・ベルリンの都市発展環境局の緊密な協力のなかで組織され管理される。

準1級 準1級向けに理解を深める

準1級の掲載範囲は確かめていません。準1級の範囲は「日本の全遺産と主要な世界の遺産700件」ですが、どの700件かは公式に出ていません。ここに並ぶのは、ゼミが作ったキーワードの練習(試作46本)で、この記事がどのキーワードに入ったかです。公式テキストの分類ではありません。

この遺産は、準1級のキーワードで2通りに出てきます

キーワードこのキーワードで見るもの本文の手がかり
天文学関連天体に合わせた造りか、暦という語の別の意味か「バーベルスベルク天文台」
戦争・紛争戦争が、登録の理由・真正性・完全性のどこに出るか「推薦することを不可能にした」

準1級は、遺産を1件ずつではなくキーワードで横に読みます。同じ資産が、キーワードごとに別の一文で引かれます。「この遺産はどのテーマか」ではなく、「このキーワードで読むと、この遺産の何が見えるか」で読みます。

キーワードで練習する

級別の確認問題

2級 確認問題

答えを選んでから、正解と解説を開きましょう。

確認1:ポツダムとベルリンの宮殿と庭園の基準(iv)が、1945年4月14日の爆撃について書いているのは?

  1. ある都市の総体を世界遺産リストに推薦することを不可能にした
  2. 爆撃については書かれていない
  3. 爆撃を受けた都市の総体も、再建された後に資産の一部として登録されたと書かれている
  4. 爆撃による損害は軽微で、都市の総体の推薦にはいかなる影響もなかったと書かれている
正解と解説を開く

正解:1.ある都市の総体を世界遺産リストに推薦することを不可能にした

基準の文が、登録されたものではなく登録できなかったものを書く例です。これまで読んだ231件でここだけです。挙げられているのは1721年から1725年の「第一の新市街」と1733年に始まる「第二の新市街」です。

確認2:ポツダムとベルリンの宮殿と庭園の緩衝地帯について、一覧と保護管理の節に書かれているのは?

  1. 緩衝地帯についてはどこにも書かれていない
  2. 一覧に2,064 ha と載っており、本文もその数を確定したものとして繰り返している
  3. 一覧に行は無く、本文も「緩衝地帯を定める必要がある」という将来形で書いているだけである
  4. 一覧に行は無いが、本文には署名された契約と宣言がある
正解と解説を開く

正解:4.一覧に行は無いが、本文には署名された契約と宣言がある

同じ章のドロットニングホルム559 と25章のセビーリャ383 は逆の向きでした。一覧と本文のどちらかに寄せず、両方をそのまま記録します。

確認3:ポツダムとベルリンの宮殿と庭園の訪問者の数について、保護管理の節に書かれているのは?

  1. 訪問者の数については書かれていない
  2. 入ることを許される数が、保存と保全の指針に依存する
  3. 年間の訪問者数が具体的な人数で示され、その数が前年より増えていることが記録されている
  4. 訪問者の数に上限は設けられておらず、公園も宮殿も自由に立ち入れると書かれている
正解と解説を開く

正解:2.入ることを許される数が、保存と保全の指針に依存する

訪問者の上限が「保存の指針で決まる」と書かれる資産は、231件でここだけです。数そのものは書かれていないので、仕組みまでを記録します。

確認4:ポツダムとベルリンの宮殿と庭園の真正性の節が、資産に跡を残したものとして書いているのは?

  1. 資産に跡を残したものは書かれていない
  2. 18世紀から19世紀にかけての歴代の君主の趣味の変化だけであり、20世紀には何も起きていない
  3. 1939年から1989年のあいだに起きた歴史
  4. 特定の政権の名が挙げられ、その方針が放置と軍事施設の建設をもたらしたと名指しされている
正解と解説を開く

正解:3.1939年から1989年のあいだに起きた歴史

50年を一続きの「歴史」として書き、主体も政治の名も書いていません。一次資料が名指ししていない主体を補いません。配置はいまもレネの計画に従っています。

参考資料

確認日:2026年10月28日。世界遺産ゼミは非公式の学習コンテンツです。確認問題は独自に作成しています。特定の試験回への対応は未確定です。

参照した公式教材の版: くわしく学ぶ世界遺産300 <第6版>

この遺産が出題される級は、上のバッジから確認できます。