基本を学ぶ
どこにあり、何が登録されたのか — 緩衝地帯が本体より狭い
モスクワの北東約70 km、セルギエフ・ポサドの町。
| 本体 | 22.75 ha |
|---|---|
| 緩衝地帯 | 15.57 ha(本体の約0.68倍) |
| 登録 | 1993年、基準 (ii)(iv) |
| dossier | 657 |
| 連続性資産 | 一覧に `Serial` の行が無い |
| 所在地の行 | `Moscow region, town Sergiev-Posad (ex Zagorsk)` |
緩衝地帯が本体より狭い
22.75 ha に対して15.57 ha で、比は約0.68倍。文化遺産で緩衝地帯が本体より狭い資産は、バリのスバック1194・オルホン渓谷1081 に続いて三つ目です。
一覧に `Serial` の行が無いのに、本文が連続性資産と書く
資産は連続性のものであり、主たる修道院の囲いの外の建物を含む。
一覧に `Serial` の記載はありません。23章のゴア234 と同じ型で、これで二つ目です。9章のサンティアゴ347 は逆(一覧が `Serial: yes` で本文に語が無い)でした。
所在地の行に町の旧名が入る
一覧の所在地の行が `Moscow region, town Sergiev-Posad (ex Zagorsk)` で、町の旧名(ザゴルスク)が括弧で添えられます。9章のモラヴィア教会入植地1468 はリンクに資産の旧名が残りましたが、ここは町の名前です。「資産の旧名」と「所在地の旧名」は別のことなので分けて記録します。
総主教の居所であり、いまも働いている修道院
聖セルギイのトロイツェ大修道院は、ロシア正教会の世界に名高い精神の中心であり、巡礼と観光の人気のある場所である。モスクワから北東へ約70 km のセルギエフ・ポサドの町に位置し、それはもっとも重要な働いているロシアの修道院であり、総主教の居所である。
この宗教と軍事の複合は、ロシア建築の成長の典型を代表し、その建築のもっとも優れた表現のいくつかを含んでいる。それはロシアと東ヨーロッパのほかの部分における建築に深い影響を及ぼした。
創設は1337年
ロシア教会建築の「真珠」である聖セルギイのトロイツェ大修道院は、14世紀の前半(1337年)に、ロシアの偉大な修道院長でありもっとも崇敬される正教の聖人のひとりである修道士ラドネジの聖セルギイによって創設された。
セルギイは、1380年のクリコヴォの戦いへの祝福を受けたモスクワ大公ドミトリー・ドンスコイの精神の助言者として大きな威信を得た。修道院はマコヴェツの丘の上の小さな木の教会として始まり、それから時代を通じて発展し強くなった。
「五十を超える建物」
幾世紀にわたって、異なる年代の五十を超える建物と建造物の唯一無二の総体が設けられた。複合の全体は、聖セルギイの遺物が見られる主たる教会、トロイツェ大聖堂(1422年)の建築の構想に従って建てられた。
「遺物が見られる(may be seen)」と書かれます。
建物の年表 — 鐘楼、城壁、火災、そして88 m
1476年 — 内部でつながっていない鐘塔
1476年に、プスコフの職人が、使徒たちへの聖霊降臨に捧げられた煉瓦の鐘楼を大聖堂の東に建てた。教会は初期モスクワとプスコフの建築の唯一無二の特徴を結びつけている。この教会の顕著な特徴は、鐘楼と大聖堂そのもののあいだに内部の相互の連絡を持たない、そのドームの下の鐘塔である。
1559-1585年 — モスクワのクレムリンに応える大聖堂
モスクワのクレムリンの生神女就寝大聖堂に応える生神女就寝大聖堂が、1559年から1585年のあいだに建てられた。生神女就寝大聖堂のフレスコ画は1684年に描かれた。大聖堂の北西の角、西の玄関廊の場所に、1780年に、ツァーリ・ボリス・ゴドゥノフとその家族の埋葬を含む地下室が建てられた。
建物(1559-1585年)、フレスコ画(1684年)、地下室(1780年)で年が三つに分かれます。
16世紀 — 6 m の高さ、3.5 m の厚さ
16世紀に、修道院は高さ6メートル、厚さ3.5メートルの防御の壁で囲まれた。それは動乱の時代のあいだのポーランド・リトアニアの侵略者による16か月の包囲のあいだにその値打ちを証した。それらは後に強められ拡げられた。
17世紀 — 数少ない天幕屋根の教会
17世紀の騒乱の後、大規模な建設の計画が始められた。このとき、ソロフキの聖ゾシマと聖サワティに捧げられた天幕屋根の教会(1635-1637年)を頂く施療院を含む新しい建物が、修道院の北西の部分に建てられた。そのような教会はいまも保存されているものが少ないので、唯一無二のタイル張りの屋根を伴うこの天幕屋根の教会は大修道院への重要な寄与である。
「数が少ないこと」が価値の根拠に挙げられます。
17世紀の末に、ナルイシキン(モスクワ)・バロック様式のいくつもの新しい建物が修道院に加えられた。
1746年 — 火災が様式を変えた
1746年の破壊的な火災の後、木の建物と建造物の大部分が破壊されたとき、大規模な再建の運動が始められ、そのあいだに多くの建物の外観がより記念碑的な様式に変えられた。このときに、ロシアでもっとも高い鐘楼のひとつ(高さ88メートル)が建てられた。
火災が、様式を変える機会になったと書かれます。「元に戻した」ではありません。
18世紀末 — 教会領の世俗化が町を作り直した
18世紀の末、多くの教会領が世俗化されたとき、修道院の周りの集落と郊外の無秩序な計画が、街路と街区の規則的な配置によって置き換えられた。セルギエフ・ポサドの町は伝統的な土塁と壁で囲まれた。
修道院の近隣に、それに属するいくつもの建物が建てられた——厩舎の庭、ホテル、巡礼者宿、救貧院、ならびに客と商人の家。修道院へ通じる主要な街道は直線化され、入口の広場を設けることによって印された。全般の都市の開発は中心となるもの——トロイツェ・セルギエフ大修道院の総体——に向けて方向づけられた。
宗教の施設(巡礼者宿)と福祉の施設(救貧院)と商いの施設(ホテル、商人の家)が同じ列挙に並びます。
町の教会は、あえて小さい
セルギエフ・ポサドの領域の内側に位置する教区教会は、元は木でできていて後に石で建て直され、大修道院のものに応えるドームの環をなした。より小さく、ほかの建物から離れて位置するので、それらは大修道院の至上をいっそう強調するだけである。
小さいことが、価値を強める働きとして書かれます。
こうして、トロイツェ・セルギエフ大修道院の建築の総体は、壁の内側の建物と建造物の両方と、修道院の近くの建物の複合を含む。それはセルギエフ・ポサドの都市計画の鍵となる要素を代表している。
基準二つ
基準(ii):トロイツェ・セルギエフ大修道院の複合は、伝統的なロシア建築と西ヨーロッパのそれとの融合を代表し、東ヨーロッパの広い地域における建築の発展に強い影響を持つ東ヨーロッパの伝統を創り出している。
基準(iv):大修道院は、その15世紀から18世紀の成長と拡大の時期に特徴的な軍事の機能を伴う、活動している正教の修道院の複合の卓越し顕著に完全な例である。
基準は二つだけで、基準(vi)はありません。「もっとも重要な働いているロシアの修道院であり、総主教の居所」と書かれていても、(vi)は付いていません。
真正性 — 「どの建物も元の状態にあるとはみなせない」
原状にある建物がひとつも無い
その創設以来、トロイツェ・セルギエフ修道院の複雑な歴史は、戦争、火災、帝室の支援と庇護から生じて、幾世紀にわたる多くの変更と建て直しをもたらしてきた。したがって、どの単一の建物も、その元の状態にあるとはみなされえない。
しかしながら、ロシアの精神と文化の同一性の象徴としての修道院の重要さが、その保全と修復に多くの時間と資源が費やされてきたことを確かにしてきた。したがって、時を越えて進化してきた総体として、それはそれ自身の真正性を持っている。
原状にある建物がひとつも無いと書いたうえで、総体としての真正性を認める資産です。これまで読んだ197件でここだけです。
別のこととして記録します。
1920年代の修復は、いまの実務とは違う
1920年代の修復の仕事は、ある種の「様式の統一」を達成することを目指し、建物を18世紀とそれ以前の外観に戻すものだった。これは現代の保全の実務とは異なる方法である。しかしながら、それは19世紀になされた改変と付加の歴史の文脈のなかで、そして遺跡のロシアの人々にとっての象徴的な重要さを強める努力の文化の文脈のなかで見られなければならない。
一次資料が、過去の修復の方法を「いまの実務とは違う」と書いたうえで、歴史と文化の文脈のなかで見るべきだと擁護します。批判して終わらせていません。
1960年代以降は、ヴェネツィア憲章におおむね適合
1960年代以降の修復の仕事は、建築家バルディンに率いられ、おおむねヴェネツィア憲章に適合してきた。これには、隠れた、また下に横たわる要素(とくに元の丸天井の形)を明らかにし修復することが含まれ、それが建物の建築の表現の一貫性を強めた。また、特定の意義を保つ後の付加は保存された。修復と保全の活動は、専門家によって行われる監視とともに、総体の真正性の継続する保存を確かにしている。
ヴェネツィア憲章の名が出て、しかも適合していると書かれます。10章のエチミアジン1011 は逆で、「過去の修復の仕事のいくつかはヴェネツィア憲章の原則に十分に適合していない」と書かれます。
修復を率いた建築家の名(バルディン)が書かれる資産です。人の名が修復の方法の説明に入ります。
完全性 — 脅威に「記念物の建設」が挙がる
トロイツェ・セルギエフ大修道院の建築の総体は、その顕著な普遍的価値を代表するすべての構成要素を備えている。とくに、資産の歴史の境界は、歴史の建物の建築とともによく保存されてきた。総体の保全は、20世紀の初めからの国立博物館保護区の創設を通じて維持されてきた。
緩衝地帯の境界の承認とともに、総体の完全性は、総体の建物と建築の構造によって占められる土地の、法的に保証され登録された境界によって与えられている。
資産に否定的な影響を持つ要因のうちには、緩衝地帯の内側における記念物の建設とほかの形の開発の圧力があり、それが大修道院の歴史の外観に悪く影響している。そして、観光と巡礼の集団の増える数がある。
「記念物の建設(the construction of monuments)」が脅威に挙がります。新しく記念物を建てることが、歴史の外観を損なうとされます。これまで読んだ197件でここだけです。
誰が守っているか — 連邦・州・市の三層と、必要とされる管理の体系
連邦の重要性を持つ文化遺産
トロイツェ・セルギエフ大修道院の建築の総体は連邦の重要性を持つ文化遺産であり、ロシア連邦の諸民族の文化遺産(歴史文化記念物)についての2002年6月25日連邦法第73-FZ号に従って規制されている。
その国家の保護と管理は、連邦の執行機関——ロシア連邦文化省の文化遺産分野における統制・監督・許可局——によって実施されており、同局は文化遺産とそれに結びついた領域の修復、利用、支援に関するすべての方法論と統制の機能を所管している。連邦の重要性を持つ文化遺産という地位は、高い水準の法的保護を許す。
三層と、教会
| 層 | 担い手 |
|---|---|
| 連邦 | 文化省の文化遺産分野における統制・監督・許可局 |
| 州 | モスクワ州政府、モスクワ州の文化省 |
| 市 | セルギエフ・ポサド市政府 |
| 教会 | ロシア正教会(上の当局が「ロシア正教会とすべての関係者と協力して」保全と開発の活動を行う) |
教会は、当局が協力する相手として書かれます。所有者とも、組織の構成員とも書かれません。9章の五通り(構成する/所有する/権利を持つ/使用の要求を通じて守る/締約国そのもの)に、「協力する相手」が加わります。
管理の体系が「適用される必要がある」
上述に基づき、総体の完全性を確保するために、広い文脈における管理の体系が、物理的な形、空間の組織と連絡、社会文化の価値、そして地域のほかの特質のあいだの相互作用を考慮に入れつつ、適用される必要がある。
管理計画の語は出ず、「管理の体系」が必要とされます。何を考慮に入れるかまで書かれているのに、それを定める文書の名は書かれていません。
一覧の下部
| 記載 | 中身 |
|---|---|
| 保存状況報告 | 記載なし |
| ほかの保全の仕組み | 記載なし |
| 所在地 | `Moscow region, town Sergiev-Posad (ex Zagorsk)`(町の旧名が括弧で添えられる) |
| 座標 | `N56 18 37.26 E38 7 52.32` |
| `Serial` | 行が無い(本文は「資産は連続性のものである」と書く) |
2級で押さえること
基準(ii)(iv)、ロシア連邦、モスクワの北東約70 km のセルギエフ・ポサド、本体22.75 ha・緩衝15.57 ha(本体の約0.68倍)で、文化遺産で緩衝が本体より狭いのはバリのスバック1194・オルホン渓谷1081 に続いて三つ目。1993年登録。一覧に `Serial` の行が無いのに本文が「資産は連続性のものであり、主たる修道院の囲いの外の建物を含む」と書く(ゴア234 と同じ型で二つ目)。一覧の所在地の行に町の旧名が入る(`town Sergiev-Posad (ex Zagorsk)`)。「もっとも重要な働いているロシアの修道院であり、総主教の居所」。1337年にラドネジの聖セルギイが創設し、セルギイは1380年のクリコヴォの戦いへの祝福を受けたモスクワ大公ドミトリー・ドンスコイの精神の助言者。マコヴェツの丘の小さな木の教会から始まり、異なる年代の「五十を超える建物と建造物」。トロイツェ大聖堂(1422年)の建築の構想に従って複合の全体が建てられた。1476年にプスコフの職人が煉瓦の鐘楼を建て、顕著な特徴は「鐘楼と大聖堂そのもののあいだに内部の相互の連絡を持たない、そのドームの下の鐘塔」。生神女就寝大聖堂は1559-1585年(モスクワのクレムリンのものに応える)、フレスコ画は1684年、ボリス・ゴドゥノフとその家族の地下室は1780年で年が三つに分かれる。16世紀の壁は高さ6 m・厚さ3.5 m で、動乱の時代の16か月の包囲にその値打ちを証した。ソロフキの聖ゾシマと聖サワティの天幕屋根の教会(1635-1637年)は「そのような教会はいまも保存されているものが少ない」ことが寄与の根拠。1746年の火災の後の再建で「多くの建物の外観がより記念碑的な様式に変えられた」(元に戻したのではない)。このときロシアでもっとも高い鐘楼のひとつ(高さ88 m)。18世紀末の教会領の世俗化で街路と街区が規則的な配置に置き換えられ、厩舎の庭・ホテル・巡礼者宿・救貧院・客と商人の家が建てられ、街道が直線化された。町の教区教会は「より小さく、ほかの建物から離れて位置するので、大修道院の至上をいっそう強調するだけ」。真正性は「どの単一の建物も、その元の状態にあるとはみなされえない」としたうえで、「時を越えて進化してきた総体として、それはそれ自身の真正性を持っている」——197件でここだけ。1920年代の修復は「ある種の『様式の統一』を達成することを目指し」「現代の保全の実務とは異なる方法」だが、「19世紀の改変と付加の歴史の文脈のなかで、そして……文化の文脈のなかで見られなければならない」と擁護される。1960年代以降は建築家バルディンに率いられ「おおむねヴェネツィア憲章に適合」(エチミアジン1011 は逆の評語)。完全性の脅威に「緩衝地帯の内側における記念物の建設」が挙がる(197件でここだけ)。ほかに開発の圧力と、観光と巡礼の集団の増える数。総体の保全は「20世紀の初めからの国立博物館保護区の創設を通じて維持されてきた」。2002年6月25日連邦法第73-FZ号。連邦(文化省の統制・監督・許可局)/州(モスクワ州政府・州文化省)/市(セルギエフ・ポサド市政府)の三層で、ロシア正教会は当局が「協力する」相手として書かれる。「広い文脈における管理の体系」が適用される必要があるとされ、文書の名は書かれていない。一覧下部は保存状況報告・ほかの保全の仕組みのいずれも記載なし。
準1級
準1級向けに理解を深める
準1級の掲載範囲は確かめていません。準1級の範囲は「日本の全遺産と主要な世界の遺産700件」ですが、どの700件かは公式に出ていません。ここに並ぶのは、ゼミが作ったキーワードの練習(試作46本)で、この記事がどのキーワードに入ったかです。公式テキストの分類ではありません。
この遺産は、準1級のキーワードで2通りに出てきます
| キーワード | このキーワードで見るもの | 本文の手がかり |
|---|---|---|
| 宗教・信仰 | いまも営まれていることを、どの語で書いているか | 「もっとも重要な働いているロシアの修道院」 |
| 火災の被害 | 同じ火災が、どの節に書かれるかで意味が変わる | 「1746年の破壊的な火災」 |
準1級は、遺産を1件ずつではなくキーワードで横に読みます。同じ資産が、キーワードごとに別の一文で引かれます。「この遺産はどのテーマか」ではなく、「このキーワードで読むと、この遺産の何が見えるか」で読みます。
キーワードで練習する
級別の確認問題
2級 確認問題
答えを選んでから、正解と解説を開きましょう。
確認1:トロイツェ・セルギエフ大修道院657 の真正性の節が、個々の建物について書いていることは?
- すべての建物が元の状態を保っており、真正性は高い
- どの単一の建物も元の状態にあるとはみなされえないが、時を越えて進化してきた総体としてそれ自身の真正性を持っている
- 元の状態を保つ建物は三つだけで、ほかは真正性を欠くとされている
- どの単一の建物も元の状態にあるとはみなされえないので、資産全体としても真正性の要件を満たしていないとされ、総体としての評価も与えられていない
正解と解説を開く
正解:2.どの単一の建物も元の状態にあるとはみなされえないが、時を越えて進化してきた総体としてそれ自身の真正性を持っている
> したがって、どの単一の建物も、その元の状態にあるとはみなされえない。> しかしながら……時を越えて進化してきた総体として、それはそれ自身の真正性を持っている。原状にある建物がひとつも無いと書いたうえで、総体としての真正性を認める資産はこれまで読んだ197件でここだけです。理由は「ロシアの精神と文化の同一性の象徴としての修道院の重要さが、その保全と修復に多くの時間と資源が費やされてきたことを確かにしてきた」ことです。
確認2:トロイツェ・セルギエフ大修道院657 の1920年代の修復について、一次資料が書いていることは?
- ある種の「様式の統一」を目指して建物を18世紀とそれ以前の外観に戻すもので、現代の保全の実務とは異なる方法だが、歴史と文化の文脈のなかで見られなければならない
- 現代の保全の実務に完全に適合していたと評価されている
- 不適切な介入だったので、1960年代にすべて取り消された
- ある種の「様式の統一」を目指すもので現代の実務とは異なるため、ヴェネツィア憲章に適合しない介入として是正措置が勧告され、18世紀の外観に戻された部分は19世紀の姿へ戻し直されたとされている
正解と解説を開く
正解:1.ある種の「様式の統一」を目指して建物を18世紀とそれ以前の外観に戻すもので、現代の保全の実務とは異なる方法だが、歴史と文化の文脈のなかで見られなければならない
> これは現代の保全の実務とは異なる方法である。しかしながら、それは19世紀になされた改変と付加の歴史の文脈のなかで、そして遺跡のロシアの人々にとっての象徴的な重要さを強める努力の文化の文脈のなかで見られなければならない。一次資料は、違うと書いたうえで擁護します。批判して終わらせていません。ヴェネツィア憲章が出るのは1960年代以降の仕事についてで、そちらは「おおむね適合してきた」とされます。
確認3:トロイツェ・セルギエフ大修道院657 の完全性の節が、否定的な影響を持つ要因として挙げているものは?
- 観光と巡礼の集団の増える数だけ
- 否定的な影響を持つ要因は挙げられていない
- 緩衝地帯の内側における高層の建物の建設と、修道院の壁の内側で進む新しい教会の建設の二つで、観光と巡礼の集団の数は減っているので要因に挙がっていない
- 緩衝地帯の内側における記念物の建設とほかの形の開発の圧力、そして観光と巡礼の集団の増える数
正解と解説を開く
正解:4.緩衝地帯の内側における記念物の建設とほかの形の開発の圧力、そして観光と巡礼の集団の増える数
> 資産に否定的な影響を持つ要因のうちには、緩衝地帯の内側における記念物の建設とほかの形の開発の圧力があり、それが大修道院の歴史の外観に悪く影響している。そして、観光と巡礼の集団の増える数がある。「記念物の建設」が脅威に挙がる資産は197件でここだけです。新しく記念物を建てることが、歴史の外観を損なうとされます。高層の建物が挙がるのはキーウ527 です。
確認4:トロイツェ・セルギエフ大修道院657 の一覧の `Serial` の記載と本文の関係は?
- 一覧と本文の両方が連続性資産と書いている
- 一覧が `Serial: yes` と書くのに、本文に連続性資産の語が無い
- 一覧に `Serial` の行が無いのに、本文が「資産は連続性のものであり、主たる修道院の囲いの外の建物を含む」と書く
- 一覧に `Serial` の行が無く、本文も壁の内側の建物と建造物だけを資産とするので、修道院の近くの建物は緩衝地帯の中にあって連続性資産ではない
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正解:3.一覧に `Serial` の行が無いのに、本文が「資産は連続性のものであり、主たる修道院の囲いの外の建物を含む」と書く
> 資産は連続性のものであり、主たる修道院の囲いの外の建物を含む。一覧に `Serial` の記載はありません。23章のゴア234 と同じ型で、これで二つ目です。9章のサンティアゴ347 は逆(一覧が `Serial: yes` で本文に語が無い)でした。本文は「壁の内側の建物と建造物の両方と、修道院の近くの建物の複合を含む」と書きます。
参考資料
確認日:2026年10月28日。世界遺産ゼミは非公式の学習コンテンツです。確認問題は独自に作成しています。特定の試験回への対応は未確定です。