トロイアの考古遺跡

登録年
1998年
所在国
トルコ
登録区分
文化遺産
地域
アジア
登録基準
(ii) (iii) (vi)

基本を学ぶ

どこにあり、何が登録されたのか — 数が指すものを読み分ける

トルコ、チャナッカレ県。ヒサルルクの塚。

本体 158 ha
緩衝地帯 一覧に行が無い
登録 1998年、基準 (ii)(iii)(vi)
dossier 849
連続性資産 一覧に `Serial` の行が無い

年数が四つ出てくる。それぞれ指すものが違う

数 何の年数か どこに
4,000年 トロイアの歴史 説明文と概要と基準(iii)
8,000年 トロイアとトロアス地域に人が住んできた期間 概要
3,000年を超える 途切れない居住の連なり 基準(ii)
140年 24回の発掘の運動が広がる期間 概要

どの数も「トロイアの古さ」に見えますが、指すものが違います。8,000年は地域、4,000年は遺跡、3,000年を超えるのは途切れない連なりです。数だけを覚えると取り違えます。

攻めた側の名前と年代が、説明文と概要で違う

出どころ 攻めた側 年代
説明文 ギリシャからのスパルタとアカイアの戦士 紀元前13世紀または12世紀
概要 ギリシャからのミュケナイの戦士 紀元前13世紀

攻めた側の呼び名と、年代の幅が両方違います。どちらかに決めず、両方を記録します。概要のほうが年代を一つに絞り、呼び名は「ミュケナイ」です。

シュリーマンと「近代考古学の出発点」

トロイアはトルコのエーゲ海岸に沿う平野を見下ろすヒサルルクの塚の上に位置し、ダーダネルス海峡の南の入口から4.8 km である。名高い考古学者ハインリヒ・シュリーマンが1870年に遺跡で最初の発掘を行い、それらの発掘は近代考古学とその公衆の認知の出発点とみなされうる。

発掘した人の名が、価値の説明に入ります。しかも「近代考古学の出発点とみなされうる」と、考古学そのものの歴史に位置づけられます。

幾世紀を通じて、トロイアは、移住、占領、交易、知識の伝達を通じて、トロアス地域とバルカン、アナトリア、エーゲ海、黒海の地域のあいだの文化の橋として働いてきた。

24回の発掘が明らかにしたもの

過去140年にわたって広がる24回の発掘の運動が、城塞と下の町における占領のすべての時期からの多くの特徴を明らかにした。これらには、城塞の周りの防御の壁の23の区間、十一の門、舗装された石の斜道、五つの防御の稜堡の下の部分が含まれる。

それらの考古の遺構は大部分がトロイア II と VI に遡る。しかしながら、最古の壁の一区間(トロイア I)が最初の防御の南の門の近くに生き残っている。

過去15年のうちに、下の町が塚の南にすべての先史の時期に存在し、後期青銅器時代に約30 ha まで広がっていたことが明らかになった。

本体158 ha のうち、下の町が約30 ha と書かれます。「過去15年のうちに明らかになった」と、分かった時期も書かれます。

ギリシャとローマのイリオン

アテナ神殿と最近発掘された聖域を含むいくつもの記念物が、トロイアの遺跡にあるギリシャとローマの都市イリオンの一部である。ローマの都市の組織は、アゴラ(中央の市場の場所)の縁の二つの主要な公共の建物、オデイオン(音楽堂)と近くのブーレウテリオン(評議会の家)によって映されている。

周囲の景観に、20世紀の戦場が入る

周囲の景観は多くの重要な考古と歴史の遺跡を含んでいる。先史の集落と墓地、ヘレニズムの墳丘、記念碑的な墳墓、ギリシャとローマの集落、ローマとオスマンの橋、そしてガリポリの戦いの数多くの記念物を含めて。

青銅器時代の遺跡の周囲の景観に、20世紀の戦場の記念物が並びます。一次資料はそれを景観の価値の一部として挙げます。時代の幅がそれだけ広いことを、そのまま記録します。

基準三つと、完全性・真正性 — アナスティローシスという語

基準(ii) — ヨーロッパ文明の早い段階

トロイアの考古遺跡は、その早い発展における決定的な段階におけるヨーロッパ文明の発展の理解において計り知れない意義を持つ。それは3,000年を超える途切れない居住の連なりを記録し、文明の継承に証している。トロイアの役割は、三つの文化が出会う地点におけるその立地を考えると、アナトリア、エーゲ海、バルカンのあいだの関係を記録することにおいてとくに重要である。

基準(iii) — 四つの時代が並ぶ

トロイアの考古遺跡は、4,000年を超えて区域を占めたさまざまな文明に証している。トロイア II とトロイア VI は、宮殿と行政の建物を囲む壮大な要塞化された城塞と、それを囲む広大な要塞化された下の町を伴う、エーゲ海の文脈における古代の東方の都市の特徴的な例を与えている。いくつものほかの記念物と遺構はローマとギリシャの集落の特徴を映し、ほかの明確な属性はオスマンの集落に証している。

青銅器時代・ギリシャ・ローマ・オスマンの四つが基準(iii)に並びます。

基準(vi) — 二つの作品の名

トロイアの考古遺跡は、ホメロスの『イリアス』とウェルギリウスの『アエネイス』のような意義ある文学の作品、そして一般に芸術に、二千年を超えて及ぼした深い影響のために、例外的な文化の重要さを持つ。

基準(vi)は `Homer’s Illiad` と、`Illiad`(L が二つ)と綴られています。説明文は `Iliad` と正しく綴るので、綴りの誤りです。引き写さず、意味を取って訳します。

完全性 — 短い

登録された資産は、その顕著な普遍的価値を表すのに必要なすべての要素を含んでいる。考古の遺構はいまも、要塞、宮殿、行政の建物を伴う青銅器時代の都市への印象的な洞察を許している。ギリシャとローマの時期のものについては、アゴラの縁の二つの主要な公共の建物がほとんど完全な状態で生き残ってきた。

完全性の節は三文で、脅威も弱点も書かれません。評価だけで止まる節です。評価だけであることを「問題が無い」とは読みません。

真正性 — アナスティローシスという語が出る

考古遺跡の真正性は高い。再建がごく少なかったからである。防御において行われたものは、厳密にアナスティローシスの原則に従って実施されてきた。

「アナスティローシス(anastylosis)」という語が出る資産です。14章のデルフィ393 は同じことを語を使わずに「古代の建築材料をその元の場所に移し戻すこと」と書きます。語が出るか出ないかも記録します。

周囲の景観の真正性も高く、押しつけがましい観光の開発を受けてこなかった先史から現世紀までの有機的な発展を代表している。

「受けてこなかった」ことが真正性の根拠です。

誰が守っているか — 国の指定を世界遺産の境界に合わせた

四つの指定が重なる

年 指定
1968年 不動文化・自然財産上級協議会の政令第3925号がトロイアの考古遺跡を歴史の遺跡として指定
1981年 不動古物・記念物最高協議会の決定第12848号で第一等の考古遺跡として登録され、保全の帯域が作られた
1995年 エディルネ文化・自然財産保全協議会の決定第2414号が古代都市トロイアの限界を定め、それは世界遺産の資産の限界と一致するよう作られた
1996年 閣議政令第8676号で、古代都市トロイアと周囲の景観が「国立歴史公園」として登録された

国内の指定の境界が、世界遺産の境界と一致するよう作られたと書かれる資産です。ふつうは国内の指定が先にあって、世界遺産の境界がそれに合わせます。ここは逆向きに書かれています。

こうしてそれは、文化・自然財産の保全についてのトルコ共和国の法律第2863号の規定のもとで保護されている。この法令のもとで、遺跡とそこで見つかった動産の財産は国家の財産であり、関連する地域協議会の認可なしにいかなる作業も行われえない。

14章のネムルット・ダー448 も同じ法律第2863号です。同じ国の二つの資産が同じ法律で守られています(ギリシャの491・393 も同じ法律第3028/2002号でした)。

所有が割合で書かれ、取得が進行中

今日まで、トロイアの考古学的に関連する区域の大多数は国家によって所有され、こうして法律によって保護されている。1994年のいくつもの保有の強制買収に続いて、下の町と墓地の75%がいまでは国家の所有にあり、さらなる取得の措置が現在進行中である。私的な所有に残る土地は耕作のもとにある。

所有の割合が数字で書かれ、しかも「強制買収」と「進行中」まで書かれる資産です。これまで読んだ203件でここだけです。

遺産 国家の所有
トロイア849 下の町と墓地の75%。1994年の強制買収による。さらなる取得が進行中。残る私有地は耕作のもと
エピダウロス491 「古代のあいだに聖域が発展した区域の大部分はギリシャ国家に属する」(割合は無い)
エチミアジン1011(10章) 三つの区域のうち一つだけが国有
メディナ・アサーラ1560(11章) 大部分が公有。それが保護を助ける

管理の責任と、協力する機関

指定された遺跡の保護と保全の全体の責任は文化遺産・博物館総局にある。地域の水準で協力する機関は、チャナッカレ文化遺産保全協議会、チャナッカレ県知事府、チャナッカレ博物館である。

主たる計画の文書が、森林省のもの

森林省の国立公園局が、周囲の景観に関する事項について文化省と協力する。その保存のための計画が1971年に同局によって作成され、2010年に改訂され、資産の管理のための主たる計画の文書をなしている。

資産の管理のための主たる計画の文書が、文化の省庁ではなく森林省の国立公園局が作った景観の保存の計画です。しかも作成は1971年——登録(1998年)より27年前です。

遺産 資産を覆う計画は誰のものか
トロイア849 森林省国立公園局の景観保存の計画(1971年作成・2010年改訂)が「資産の管理のための主たる計画の文書」
ブトリント570 国立公園が緩衝地帯として働き、文化大臣が議長の理事会を持つ国立公園が世界遺産の管理に責任を負う
リラの修道院216(10章) 機能しているのは自然公園「リラの修道院」の管理計画
コルドゥアン灯台1625(27章) 海洋自然公園の管理計画が「灯台そのものを除いて」資産の全体を覆う

「管理計画がある」と書く前に、誰の、何の計画かを読みます。

一覧の下部

記載 中身
緩衝地帯 行が無い(本文にも緩衝地帯の記述が無い)
`Serial` 行が無い
保存状況報告 記載なし
ほかの保全の仕組み 記載なし
タブ `Assistance` は無い

2級で押さえること

基準(ii)(iii)(vi)、トルコ・チャナッカレ県のヒサルルクの塚、本体158 ha、緩衝地帯と `Serial` の行は無い(本文にも緩衝地帯の記述が無い)、1998年登録。年数が四つ出て、それぞれ指すものが違う——4,000年=トロイアの歴史/8,000年=トロイアとトロアス地域に人が住んできた期間/3,000年を超える=途切れない居住の連なり/140年=24回の発掘の運動が広がる期間。攻めた側の名前と年代が説明文と概要で違う——説明文「ギリシャからのスパルタとアカイアの戦士」「紀元前13世紀または12世紀」/概要「ギリシャからのミュケナイの戦士」「紀元前13世紀」。ハインリヒ・シュリーマンが1870年に最初の発掘を行い、「それらの発掘は近代考古学とその公衆の認知の出発点とみなされうる」。ダーダネルス海峡の南の入口から4.8 km。トロイアは移住・占領・交易・知識の伝達を通じてトロアス地域とバルカン、アナトリア、エーゲ海、黒海の地域のあいだの「文化の橋」。24回の発掘が明らかにしたのは、城塞の周りの防御の壁の23の区間、十一の門、舗装された石の斜道、五つの防御の稜堡の下の部分で、大部分がトロイア II と VI、最古の壁の一区間(トロイア I)が南の門の近くに残る。「過去15年のうちに」下の町が塚の南に存在し後期青銅器時代に約30 ha まで広がっていたことが明らかになった。アテナ神殿と「最近発掘された聖域」はギリシャとローマの都市イリオンの一部、ローマの都市の組織はアゴラの縁のオデイオンとブーレウテリオンに映される。周囲の景観に、先史の集落と墓地・ヘレニズムの墳丘・記念碑的な墳墓・ギリシャとローマの集落・ローマとオスマンの橋とともに「ガリポリの戦いの数多くの記念物」が並ぶ。基準(iii)に青銅器時代・ギリシャ・ローマ・オスマンの四つの時代が並ぶ。基準(vi)はホメロスの『イリアス』とウェルギリウスの『アエネイス』への「二千年を超えて」の影響(`Illiad` と綴りの誤りがある)。完全性は三文で、脅威も弱点も書かれない。「アゴラの縁の二つの主要な公共の建物がほとんど完全な状態で生き残ってきた」。真正性は「再建がごく少なかった」ことを根拠にし、防御で行われたものは「厳密にアナスティローシスの原則に従って」実施された(デルフィ393 は同じことを語を使わずに書く)。周囲の景観は「押しつけがましい観光の開発を受けてこなかった」。国内の指定が四つ重なり、1995年の決定第2414号が定めた古代都市トロイアの限界は「世界遺産の資産の限界と一致するよう作られた」(ふつうと逆向き)。法律第2863号のもとで「遺跡とそこで見つかった動産の財産は国家の財産」(ネムルット・ダー448 と同じ法律)。1996年の閣議政令第8676号で「国立歴史公園」。所有が割合で書かれる——1994年の強制買収に続いて「下の町と墓地の75%がいまでは国家の所有にあり、さらなる取得の措置が現在進行中」。私的な所有に残る土地は耕作のもと(203件でここだけ)。全体の責任は文化遺産・博物館総局、地域ではチャナッカレの文化遺産保全協議会・県知事府・博物館が協力。資産の管理のための主たる計画の文書は、森林省の国立公園局が1971年に作成し2010年に改訂した景観の保存の計画(登録より27年前の作成)。保存状況報告・ほかの保全の仕組みの記載なし、`Assistance` のタブも無い。

準1級 準1級向けに理解を深める

準1級の掲載範囲は確かめていません。準1級の範囲は「日本の全遺産と主要な世界の遺産700件」ですが、どの700件かは公式に出ていません。ここに並ぶのは、ゼミが作ったキーワードの練習(試作46本)で、この記事がどのキーワードに入ったかです。公式テキストの分類ではありません。

この遺産は、準1級のキーワードで2通りに出てきます

キーワードこのキーワードで見るもの本文の手がかり
文学文学が、価値のどこに入るか「二千年を超えて」
森林森が、その資産でどの役を与えられているか「森林省の国立公園局が、周囲の景観に関する事項について文化省と協力する」

準1級は、遺産を1件ずつではなくキーワードで横に読みます。同じ資産が、キーワードごとに別の一文で引かれます。「この遺産はどのテーマか」ではなく、「このキーワードで読むと、この遺産の何が見えるか」で読みます。

キーワードで練習する

級別の確認問題

2級 確認問題

答えを選んでから、正解と解説を開きましょう。

確認1:トロイア849 に出てくる8,000年という数が指すものは?

  1. トロイアの遺跡の歴史
  2. 途切れない居住の連なり
  3. ホメロスの『イリアス』が書かれてからの年数
  4. トロイアとトロアス地域に人が住んできた期間
正解と解説を開く

正解:4.トロイアとトロアス地域に人が住んできた期間

> トロイアとトロアス地域で行われた研究と発掘は、地域が8,000年にわたって人が住まれてきたことを明らかにする。8,000年は地域、4,000年は遺跡(トロイアの歴史)、3,000年を超えるのは途切れない居住の連なり、140年は24回の発掘の運動が広がる期間です。どの数も「トロイアの古さ」に見えますが、指すものが違います。数だけを覚えると取り違えます。

確認2:トロイア849 のトロイアを攻めた側について、説明文と概要はどう違うか?

  1. 説明文と概要のどちらも「ミュケナイの戦士」「紀元前13世紀」で一致している
  2. 呼び名は同じだが年代だけが違う
  3. 説明文は「スパルタとアカイアの戦士」「紀元前13世紀または12世紀」、概要は「ミュケナイの戦士」「紀元前13世紀」と、呼び名と年代の幅が両方違う
  4. 説明文は「スパルタとアカイアの戦士」「紀元前13世紀または12世紀」、概要は「ミュケナイの戦士」「紀元前12世紀」と、呼び名も年代も違うが、基準(vi)が概要を正しいとしている
正解と解説を開く

正解:3.説明文は「スパルタとアカイアの戦士」「紀元前13世紀または12世紀」、概要は「ミュケナイの戦士」「紀元前13世紀」と、呼び名と年代の幅が両方違う

説明文——「ギリシャからのスパルタとアカイアの戦士」「紀元前13世紀または12世紀」。概要——「ギリシャからのミュケナイの戦士」「紀元前13世紀」。呼び名と年代の幅が両方違います。概要のほうが年代を一つに絞ります。どちらかに決めず、両方を記録します。どちらが正しいとする記述はありません。

確認3:トロイア849 の国家の所有について、保護管理の節が書いていることは?

  1. 資産の全体が国家の所有にある
  2. 1994年の強制買収に続いて下の町と墓地の75%が国家の所有にあり、さらなる取得の措置が現在進行中で、私有に残る土地は耕作のもとにある
  3. 所有については書かれていない
  4. 1994年の強制買収によって下の町と墓地のすべてが国家の所有になり、私有地は残っていないので、さらなる取得の措置ももう必要でないと書かれている
正解と解説を開く

正解:2.1994年の強制買収に続いて下の町と墓地の75%が国家の所有にあり、さらなる取得の措置が現在進行中で、私有に残る土地は耕作のもとにある

> 1994年のいくつもの保有の強制買収に続いて、下の町と墓地の75%がいまでは国家の所有にあり、さらなる取得の措置が現在進行中である。私的な所有に残る土地は耕作のもとにある。所有の割合が数字で書かれ、しかも「強制買収」と「進行中」まで書かれる資産はこれまで読んだ203件でここだけです。エピダウロス491 は「大部分はギリシャ国家に属する」で割合がありません。

確認4:トロイア849 の「資産の管理のための主たる計画の文書」は何か?

  1. 森林省の国立公園局が1971年に作成し2010年に改訂した、周囲の景観の保存のための計画
  2. 文化遺産・博物館総局が1998年の登録に合わせて作成した管理計画
  3. 1996年の閣議政令第8676号による「国立歴史公園」の指定そのもの
  4. 森林省の国立公園局が2010年に新しく作成した、周囲の景観とその内側の記念物の保存のための計画
正解と解説を開く

正解:1.森林省の国立公園局が1971年に作成し2010年に改訂した、周囲の景観の保存のための計画

> その保存のための計画が1971年に同局によって作成され、2010年に改訂され、資産の管理のための主たる計画の文書をなしている。文化の省庁ではなく森林省の国立公園局が作った景観の保存の計画です。しかも作成は1971年で、登録(1998年)より27年前です。10章のリラの修道院216、27章のコルドゥアン灯台1625、同じ章のブトリント570 も、別の制度の計画や組織が資産を覆う例です。

参考資料

確認日:2026年10月28日。世界遺産ゼミは非公式の学習コンテンツです。確認問題は独自に作成しています。特定の試験回への対応は未確定です。

参照した公式教材の版: くわしく学ぶ世界遺産300 <第6版>

この遺産が出題される級は、上のバッジから確認できます。