基本を学ぶ
どこにあり、何が登録されたのか
ジンバブエ。マスヴィンゴから約30 km、標高約1,100 mのロウヴェルドにあり、バントゥ/ショナの人びとの人口の希薄な地域です。
1100年から1450年のあいだに築かれ、三つのまとまりに分かれます。
| まとまり | 中身 |
|---|---|
| 丘の遺跡(Hill Ruins) | 北東/南西に面する尾根の上の巨大な花崗岩の塊。11世紀から15世紀まで継続して居住され、人の居住の痕跡が幾層にも重なる。一般に「王の都市」と考えられ、西の囲いは歴代の首長の居所、東の囲いは鳥を戴く6本の凍石の直立柱が見つかった場所で、儀礼の目的に供したと考えられる |
| 大囲壁(Great Enclosure) | 丘の南。14世紀。切り出した花崗岩の切石を規則的な層に積んで建てられ、ダガ(daga)の小屋の居住区・共同の区域・高い円錐形の塔へ至る狭い通路を含む。ダガの煉瓦は花崗岩質の砂と粘土の混合で作られた |
| 谷の遺跡(Valley Ruins) | 谷に散る一連の居住のまとまりで、19世紀のもの。煉瓦の建造(小屋・屋内の床と腰掛け・容器の台・水盤など)が多く、空石積みの壁が各まとまりを断熱する。シェブロン(山形)と市松の壁の装飾が印象的 |
時代が三つに分かれています。11-15世紀の丘、14世紀の大囲壁、19世紀の谷。
交易の広がり
考古学的な発掘で、中国とペルシアのガラス玉と磁器、キルワの金とアラブの貨幣が見つかり、外の世界との長く続いた交易の広がりを証しています。土器片と鉄器は社会経済の複雑さ、農耕と牧畜の活動を示します。
伝統的に崇敬された聖なる霊的な場に位置する花崗岩の記念碑的な十字架は、共同体と宣教師の接触も示しています。
面積が三通り出てくる
UNESCO 自身のページで、この資産の面積が三つ出てきます。
| 出どころ | 面積 |
|---|---|
| 説明文(Description) | 約80 ha(”nearly 80 ha”) |
| 顕著な普遍的価値(Brief synthesis・完全性) | 約800 ha(”almost 800 ha”。2か所で同じ) |
| ページ下部の一覧(Property) | 722 ha |
説明文と顕著な普遍的価値は10倍違います。どちらかが桁の誤りの可能性がありますが、どちらが間違いだと決めつけることはできません。
ゼミはページ下部の一覧(722 ha)を採ります。ただし食い違いがあること自体を記録に残します。姫路城の建物の数(83と82)、キューバのコーヒー農園の登録基準((iii)(iv) と (ii)(iv))と同じ扱いです。
ムスカウ公園(1127)の 559.9 ha と 352.14 ha は食い違いではありませんでした——公園の広がりと登録範囲という別のものを指していました。大ジンバブエは同じものを指して数字が違います。ここを書き分けます。
| 登録 | 1986年 |
|---|---|
| 基準 | (i)(iii)(vi) |
| 本体 | 722 ha(一覧) |
なぜ放棄されたのか — 食料と森
科学的な研究で、大ジンバブエが11世紀に、先史時代に希薄に居住されていた場所の上に、鉄器時代のバントゥの人びと、ショナによって築かれたことが証されています。
14世紀には金に富む台地にまたがる主要な国家の中心都市で、人口は10,000人を超えました。
放棄の理由が二つ書かれている
1450年ごろ、首都は放棄された。後背地が過密になった都市に食料を供給できなくなったため、そして森林破壊のため。
「食料が足りなくなった」と「森が無くなった」。ラパ・ヌイ(715)の資源の枯渇による生態的危機と並べて読める書き方です。
その結果の移動はカミ(Khami)に利し、カミが地域で最も影響力のある都市になりましたが、政治的な力の衰えを示すものでもありました。1505年にポルトガル人がソファラに定住したとき、この地域はトルワ王国とムウェネ・ムタパ王国という競合する勢力に分かれていました。
基準 — 国の紋章になった鳥
| 基準 | 対象 |
|---|---|
| (i) | 唯一無二の芸術的達成。中世以来アフリカとヨーロッパの旅行者の想像を打ってきた——聖書に由来を帰する根強い伝説がそれを証する |
| (iii) | 11世紀から15世紀のショナの失われた文明の唯一無二の証 |
| (vi) | ジンバブエ国民の全体がこの歴史的に象徴的なまとまりに自己を重ね、凍石の鳥を国の紋章として採った。それは王のトーテムだったかもしれない |
(vi) が「国の紋章になったこと」に対して認められています。いまの国家のアイデンティティが、登録基準の対象です。
完全性と真正性 — 伝統が守り、気候が壊す
完全性 — 守っているのは伝統的な障壁
資産は比較的無傷で、伝統的な共同体と都市の共同体の多様な文化的必要・機能・交流を継続する過程の中で保つのに適した大きさとされます。
資産は、周囲の文化的・伝統的な障壁と伝統的な共同体そのものによって、近代の環境的な圧力と代替的な土地利用からよく守られている。
法ではなく「伝統的な障壁」と「共同体そのもの」が守っていると書かれています。ティムリチ・オヒンガ(1450)の長老の規則とタブーと同じ読み方ができます。
ただし自然の側は失われています。
在来の動物相は、密猟とその他の手段によって大部分が除去されてしまった。植物相は周囲の地域とあまり変わらないが、とくに侵略的なランタナ(lantana camara)から管理下に保たれる必要がある。
真正性 — 「非機能的な聖なる考古遺跡」
資産の真正性は疑いようがなく、とくに撹乱されないまま残る必要のある化石の産地がそうである。これは非機能的な聖なる考古遺跡でありながら、いまも現代の共同体によって霊的な理由で使われている。
「非機能的」と「いまも使われている」が同じ文にあります。都市としては機能していないが、祈る場所としては機能しています。
ショナ語で Zimbabwe は「石の家」を意味します。遺跡の中で見つかった神聖な凍石の像、ジンバブエ・バードは、古代から現在にわたる礼拝の場としての利用を証しています。
何が真正性を脅かすか
気温・土壌水分の変動、観光の圧力、侵入してくる侵略的な植生、不適切な保存の方法によって腐朽の現象が起きてきた。
これらは持続した保全と維持の計画によって管理される必要があるとされ、保全の技法と材料、そして国際的な要件を満たしながら資産での伝統的な利用と釣り合いの取れた保全の基準の適用にとくに注意が必要とされます。
資産の連想的な価値を実体化する儀礼と慣行を受け入れるための備えもなされるべきである。
「国際的な基準」と「伝統的な利用」の釣り合いが明記されている例です。
誰が守っているか
| 法的保護 | 1893年以来。現在は国立博物館・記念物法 Chapter 25:11(1976年) |
|---|---|
| 管理 | ジンバブエ国立博物館・記念物(NMMZ)(内務省の下) |
| 財源 | 主に中央政府。入場料・宿泊・出版物の販売による限られた収入は、NMMZ 理事会の裁量で国レベルの事業に充てられる |
法的保護が1893年以来というのは、この章で最も古いものです。
管理計画が「決定的に重要」とされている
資産には管理の取り決めがあるものの、更新され統合された管理計画が、資産の長期の保全を確かにし、既存の要因——主として潜在的な侵入、計画されない、あるいは不適切な観光開発と公開利用からの影響——に対処するために決定的に重要である。
| 必要とされているもの |
|---|
| 十分な財源——保全・維持・監視の活動の持続した実施を確かにするため |
| 熟練した職員——歴史的な構造の漸進的な劣化を緩和するために存在する必要 |
| 管理計画が共同体の参加を高める事業と遺跡の宗教的な機能の継続を促す事業の実施を強調すべきこと |
「宗教的な機能の継続を促す」が管理計画に求められています。真正性の節がいまも霊的な理由で使われていると書いていたことと対応します。
2級で押さえること
面積が UNESCO のページ内で三通り出てくる——説明文約80 ha/顕著な普遍的価値約800 ha(2か所)/一覧722 ha。説明文と顕著な普遍的価値は10倍違う。ゼミは一覧を採り食い違いを記録する。ムスカウ公園の 559.9/352.14 は別のものを指していたので食い違いではない——この二つを書き分ける。時代が三つ(11-15世紀の丘/14世紀の大囲壁/19世紀の谷)。放棄の理由が二つ——後背地が過密な都市に食料を供給できなくなった、そして森林破壊。基準(vi)が「国の紋章になったこと」に対して認められている(凍石の鳥=ジンバブエ・バード)。完全性を守っているのは周囲の文化的・伝統的な障壁と共同体そのものだが、在来の動物相は密猟で大部分が除去された。真正性は「非機能的な聖なる考古遺跡でありながら、いまも霊的な理由で使われている」。法的保護は1893年以来でこの章で最も古い。
準1級
準1級向けに理解を深める
準1級の掲載範囲は確かめていません。準1級の範囲は「日本の全遺産と主要な世界の遺産700件」ですが、どの700件かは公式に出ていません。ここに並ぶのは、ゼミが作ったキーワードの練習(試作46本)で、この記事がどのキーワードに入ったかです。公式テキストの分類ではありません。
この遺産は、準1級のキーワードで3通りに出てきます
| キーワード | このキーワードで見るもの | 本文の手がかり |
|---|---|---|
| 神話・伝説 | 神話・伝説が、その記述でどんな役を果たすか | 「聖書に由来を帰する根強い伝説」 |
| 宗教・信仰 | いまも営まれていることを、どの語で書いているか | 「非機能的な聖なる考古遺跡でありながら」 |
| 密猟 | 脅威の順位・内と外・止められたという書き方 | 「大部分が除去されてしまった」 |
準1級は、遺産を1件ずつではなくキーワードで横に読みます。同じ資産が、キーワードごとに別の一文で引かれます。「この遺産はどのテーマか」ではなく、「このキーワードで読むと、この遺産の何が見えるか」で読みます。
キーワードで練習する
級別の確認問題
2級 確認問題
答えを選んでから、正解と解説を開きましょう。
確認1:大ジンバブエ国家記念物の面積について、UNESCO のページの記述に合うものは?
- 説明文は約80 ha、顕著な普遍的価値は約800 ha、一覧は722 ha と三通り出てくる
- どの箇所も722 ha で一致している
- 説明文と一覧が一致し、顕著な普遍的価値だけが異なる
- 説明文は約80 ha、顕著な普遍的価値と一覧がどちらも約800 ha で、説明文だけが桁を誤っている
正解と解説を開く
正解:1.説明文は約80 ha、顕著な普遍的価値は約800 ha、一覧は722 ha と三通り出てくる
三通り出てきます——説明文は約80 ha、顕著な普遍的価値(Brief synthesis と完全性の2か所)は約800 ha、ページ下部の一覧は722 ha。説明文と顕著な普遍的価値は10倍違います。どちらが間違いだと決めつけることはできないので、ゼミは一覧(722 ha)を採り、食い違いを記録に残します。なおムスカウ公園1127 の 559.9 ha と 352.14 ha は食い違いではありません——公園の広がりと登録範囲という別のものを指しています。
確認2:大ジンバブエが1450年ごろに放棄された理由として UNESCO が挙げているものは?
- ポルトガル人の到来による交易路の変化
- トルワ王国とムウェネ・ムタパ王国の抗争
- 後背地が過密になった都市に食料を供給できなくなったこと、そして森林破壊
- 金の鉱脈が枯渇し、台地の交易の中心がカミへ移ったことで、首都としての機能が失われたこと
正解と解説を開く
正解:3.後背地が過密になった都市に食料を供給できなくなったこと、そして森林破壊
> 1450年ごろ、首都は放棄された。後背地が過密になった都市に食料を供給できなくなったため、そして森林破壊のため。その結果の移動はカミに利しましたが、政治的な力の衰えを示すものでもありました。ポルトガル人のソファラ定住は1505年で、トルワとムウェネ・ムタパへの分割はそのときの状況です。
確認3:大ジンバブエの登録基準(vi)が認められた対象は?
- 11世紀から15世紀のショナの失われた文明の証であること
- 中世以来の旅行者の想像を打ってきた唯一無二の芸術的達成であること
- 中国やペルシアの磁器やアラブの貨幣が見つかり、外の世界との長く続いた交易を証していること
- ジンバブエ国民の全体がこのまとまりに自己を重ね、凍石の鳥を国の紋章として採ったこと
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正解:4.ジンバブエ国民の全体がこのまとまりに自己を重ね、凍石の鳥を国の紋章として採ったこと
基準(vi)は「ジンバブエ国民の全体がこの歴史的に象徴的なまとまりに自己を重ね、凍石の鳥を国の紋章として採った。それは王のトーテムだったかもしれない」に対して認められています。いまの国家のアイデンティティが登録基準の対象です。基準(i)は芸術的達成、(iii)は失われた文明の証。交易の証拠はBrief synthesis の記述で、基準そのものではありません。
確認4:大ジンバブエの完全性で、資産を守っているとされているものは?
- 国立博物館・記念物法による法的な保護のみ
- 周囲の文化的・伝統的な障壁と、伝統的な共同体そのもの
- ジンバブエ国立博物館・記念物(NMMZ)の常駐職員
- 周囲の自然環境が障壁となっていることと、在来の動物相が密猟者の立ち入りを妨げてきたこと
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正解:2.周囲の文化的・伝統的な障壁と、伝統的な共同体そのもの
> 資産は、周囲の文化的・伝統的な障壁と伝統的な共同体そのものによって、近代の環境的な圧力と代替的な土地利用からよく守られている。法ではなく伝統が守っていると書かれています。ティムリチ・オヒンガ1450 の長老の規則とタブーと同じ読み方です。なお在来の動物相は密猟とその他の手段で大部分が除去されたと書かれており、守る側ではありません。
参考資料
確認日:2026年10月26日。世界遺産ゼミは非公式の学習コンテンツです。確認問題は独自に作成しています。特定の試験回への対応は未確定です。