円形都市ハトラ

砂漠の中に立つ、アーチと列柱の残る石造の遺構。
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登録年
1985年
所在国
イラク
登録区分
文化遺産
地域
アジア
登録基準
(ii) (iii) (iv) (vi)

基本を学ぶ

どこにあり、何が登録されたのか — 同じ章で読んだアッシュルが出てくる

イラク北部、ティグリスとユーフラテスのあいだ、開けた半砂漠。ニナワ県。

本体 626 ha
緩衝地帯 一覧に行が無い
登録 1985年、基準 (ii)(iii)(iv)(vi)
dossier 277rev
連続性資産 一覧に `Serial` の行が無い
危機遺産リスト `2015 – Present`

17章で読んだアッシュルが、位置の説明に出てくる

アッシリアの集落の廃墟の上に創設された古代の要塞化された市、ハトラは……モスルの南西110 km、そして首都アッシュルの西約70 km、ワディ・アッタルタールの西3 km に位置する。

17章で読んだアッシュル(1130)が、位置の基準点として出てきます。ただし一次資料は「世界遺産の」とは書かず、「首都アッシュル」と書くだけです。名前が書かれていても、世界遺産として名指ししているとは読みません。

アッシュル1130 のほうは、ハトラに触れていません。同じ章・同じ国の二つの資産でも、書き方は対称ではありません。

名前の意味が二重に限定される

その名は、おそらくアラム語かアラビア語の起源で、おそらく「囲い」を指していた。

`possibly` と `probably` が続きます。起源も意味も確定していません。

位置が、二つの帝国のあいだ

その位置は、西のローマ帝国と東のパルティア帝国を結んだ軍事と交易の路に沿い、メソポタミアをアラビア湾に結んだティグリスとユーフラテスに境して、重要な宗教と商業の中心としてのハトラの発展に有利であった。

宗教の要因が、紀元前1世紀の小さな村から紀元2世紀の半ばの大きな王国への市の発展の主な理由の一つであった。

それはパルティア帝国のもっともよく保存された市(紀元前約200年-紀元220年)である。

この一文は概要と基準(iii)の両方に、ほとんど同じ形で出てきます。同じページの中の繰り返しです。

二重の城壁を数で読む

要素 数
外の壁 円周9 km の土の堤
内の主たる壁 直径約2 km。石で建てられ、171の大小の塔といくつもの要害で強化されている
濠 深さ4-5 m、幅約8-14 m。内の主たる壁の外側に接して掘られた
門 内の壁に四つの要塞化された門。おおよそ四つの基本方位に対応する

直径2 km の円の円周は約6.3 km なので、円周9 km の外の壁はそれより外側の環と読めます。一次資料は計算を示していないので、「内が直径約2 km、外が円周9 km」までを記録します。

要塞は、116年のトラヤヌスと198年のセプティミウス・セウェルスに率いられたローマの軍に対して市をうまく守り、市はその攻め落とせなさで名高くなった。

説明文は「紀元116年と198年」、概要は「116 CE」「198 CE」で一致します。

聖域と、七つ・十四・八つ

テメノスの中と外で、数が違う

市の中心に、巨大な矩形のテメノスがあり、東西に向き、壁で囲まれ、さらなる壁によって二つの不等の空間——大きな中庭と小さな中庭、そして聖域と同定される——に分けられている。主たる聖域は小さな中庭にある。

場所 数
テメノスの内側 七つの神殿と祠。それぞれが特定の神に捧げられ、すべてがイワーン(高い円筒ヴォールトの屋根を持つ開いた広間。パルティアの革新)を持つ
聖なる囲いの外側 十四の小さな神殿(基準(ii))
小さな中庭の奥 八つの連続して一貫したイワーンが東向きに並び、長さ115 m・幅23 m のファサードをなす。この構造が「大神殿」として知られる

七つ(内側)、十四(外側)、八つ(イワーンの列)は別のものを数えているので食い違いではありません。どれが何の数かを添えて記録します。

ハトラはイラクのジャジーラのすべての住民のための宗教、社会、経済の活動の中心であった。

矩形の囲いの四つの側のそれぞれに、付け柱のある柱廊に面する部屋が見つかってきた。

壁の中に湖があった

ハトラの人々は水源として井戸に頼り、ハトラの壁の内側の湖を管理した。したがって、水源の限りにもかかわらず、彼らは水を巧みに使うことができ、自ら持続することができた。

城壁の内側に湖があったと書かれます。

彼らはまたワディ・アッタルタール川の橋と、市の近くの井戸も建てた。資産の現在の境界の外である。これらの構造の遺構は、いまもハトラの周囲に生き残っている。

資産の境界の外に属性があると書かれます。14章のネムルット・ダー448(儀礼の道)、17章のテーベ87(スフィンクス参道)と並べます。ハトラ277 は、境界の変更に取り組んでいるとは書いていません。

建築の材料と、採石場

ハトラは、異なる様式と影響、そして異なる建造の技法——泥煉瓦、煉瓦、瀝青と石膏、石と石膏——を映す際立った建築を持つ。市は建築の材料について遺跡の近くの石の採石場に頼っていたからである。

ハトラのテメノスの大イワーンの設計は、イスラムの時代までこの地域の建築に長く続く影響を及ぼした。

彫像と、博物館

考古の調査は数百の石の像と小像を産み、そのいくつかは神々や支配の王朝の構成員を表し、ほかの彫刻された像とともに、ハトラに固有の一種のポスト・ヘレニズムの美術の様式にある。これらの彫刻のいくつかはアラム語の碑文を帯びている。

これらの発見と美術作品の一部は、テメノス/大神殿の部屋に収められた在地の博物館に展示されている。ほかの彫刻はイラクのさまざまな博物館に展示されている。

古代の建物の部屋そのものが博物館になっています。14章のデルフィ393(資産の中の考古博物館だけ)、17章の殷墟1114(二つの博物館を建てた)と違い、ハトラ277 は既存の建物の中です。

基準四つ

基準(iv):ハトラは、クテシフォン、フィールーザーバード、ジンジルリのような東の円形の計画に沿う要塞化された市の優れた例である。

資産に含まれない三つの遺跡と比べて書かれます。

基準(vi):ローマの軍に対する市の成功が、それがパルティアの力の卓越した象徴とみなされることへ導いた。

一次資料は `The city success against Roman forces, led to` と、`city’s` の所有格が抜け、コンマの位置も不自然です。

完全性と真正性 — 2015-2017年の損害は、主体を書かない

完全性 — 景観が保護を必要とする

ハトラは、その外の壁の周囲の内側にその顕著な普遍的価値を支えるすべての属性を含んでいる。ハトラのすぐの、そしてより広い環境——橋、道、井戸、ほかのインフラのいくつもの考古の遺構が生き残る半砂漠の景観が、壁の市をほとんどすべての側で囲んでいる——は、市の重要さと、かつては堂々としていた要塞の理解と評価に意義ある寄与をなしている。この考古の景観は保護と防護を必要とする。

2015-2017年の損害

ハトラは以前の紛争によって影響を受けており、局所の損害をもたらした。より最近に2015-2017年のあいだに与えられた損害によって苦しんだ建築の装飾のいくつかを含めてである。

年の範囲は書かれますが、与えた主体は書かれません。同じ28章のバーミヤン208 は、説明文が「ターリバーンによる」と主体を名指しし、概要と基準(vi)は名指ししませんでした。ハトラ277 は、どの節も主体を書きません。

ページのお知らせには2017年4月28日の「UNESCO 事務局長がハトラの解放を歓迎し、緊急の評価の派遣を『できるかぎり早く』送るだろう」があります。一次資料の本文は、この語を使っていません。お知らせと本文は別の出どころです。

しかしながら、ハトラの建築の記念物は大部分が比較的良い状態にある。ただし遺跡は放置と略奪に苦しんでおり、厳しい風化の対象である。したがってその完全性は脆弱なままである。

「大部分が比較的良い状態」と「完全性は脆弱なまま」が同じ文のなかで続きます。どちらかに寄せません。

ハトラのほとんどの建物は発掘のあいだに廃墟の状態で見つかり、一方でいくつかの建物は保存された構成要素を持つ。在地の博物館として使われてきたテメノスの多くの部屋のような。過去において、保全と修復の仕事が、それらの壁と建物を元の状態へ戻すことにおいて主要な役割を演じてきた。

真正性 — 同じ採石場、モスルの石工

円形の要塞化された市の配置とその唯一無二の都市計画は、その要塞、壁、要塞化された入口、塹壕、防御の塔とともに、ハトラで発展した進んだ戦争の技術と連携して使われるよう設計され、市が繰り返す包囲に耐えた理由を説明している。

ハトラの大きな矩形のイワーンの円筒ヴォールトは建造における革新を代表し、当時の技術の革命を示唆している。

考古の当局は、いくつもの建物において、ハトラの人々によって使われたのと同じ石の採石場を使って、専門の考古学者と、標準の特質に従って石を切り彫った石工の関与をもって仕事を行ってきた。石工はモスルで名高かった。

同じ採石場を使ったことと、石工の出どころ(モスル)が書かれます。5章のカルパティアの木造教会群1424 の「技法と職人技に関わる技術の知識の継続」と並べられます。

発掘を通じて発見された真正な織物を保存するためには、専門の考古学者と熟練した職人の関与をもって、注意深い考古の保全の仕事が必要である。

誰が守っているか — 「ハトラの保護についての特定の条項は無い」

法令が二つ、そして固有の条項が無い

ハトラが世界遺産リストに登録された時点での遺産保護の主たる法令は1936年法律第59号であった。登録に続く数年後、イラクは2002年法律第55号を採択し、それがいまも執行されている。

17章のアッシュル1130 も「2002年10月付の古物遺産法第55号」でした。イラクの二つの資産が同じ法律で守られています。

ハトラの保護についての特定の条項は無い。しかしながら、2002年法律第55号は、ハトラを含むイラクのすべての考古遺跡に保護を与えた。

資産に固有の条項が無いと明記されます。10章のファジル・ゲビ19 は「特別の法的枠組みは与えられていない」、キーウ527 は逆に政令が「遺跡固有の法的枠組み」を与え、17章の殷墟1114 は資産の名が入った条例がありました。

三つの部署が分かれる

担い手 役割
古物遺産国家委員会(SBAH) 世界遺産の遺跡の管理に責任を負う当局
国際機関部 1972年条約の実施に責任を負い、現地では世界遺産の遺跡管理者によって代表される
調査発掘総局 考古遺跡におけるすべての活動に責任を負う

すべての活動はSBAH の長の承認をもってのみ実施されうる。SBAH の権限は2002年法律第55号の内側にはっきり示されており、認められた考古遺跡におけるいかなる活動、開発、改変についても書面の同意が必要である。

何が必要か

ハトラは、最近の武力紛争のあいだの相対的な放置と維持の欠如から生じる自然の劣化と損害に対処するために、継続する手入れと維持を必要とする。時間、財政の資源、保護の仕組み、そして考古の仕事と保全の措置のあいだの均衡を含む戦略が、すべて要求される。

発掘と保全のあいだの均衡が必要だと書かれます。14章のブトリント570 は完全性の脆弱な点に「保全の仕事と考古の発掘のより良い調整の必要」が入っていました。同じ論点が、別の資産の保護管理の節に出ます。

「遺跡の居住者」

考古の保全の仕事のための計画は存在する。とくに自然の要因の結果として侵食された建物のためである。

考古の当局の職員で、「遺跡の居住者(the resident of the site)」として知られる人が、案内と解釈のために訪問者に同行する。

一人の役が、呼び名つきで書かれる資産です。これまで読んだ215件でここだけです。人数は書かれていません。

管理計画も、職員の水準も、まだ

明確な管理の体系、遺跡の水準での十分な職員の水準、そして考古と保全の計画、訪問者と意識啓発の戦略、関連する運用の計画を含む管理計画が、ハトラの顕著な普遍的価値を支える属性の長期の保護を保証するために決定的である。

管理計画も、職員の水準も、まだ無いと読めます。28章のビキニ環礁1339 は逆に「有形の遺構を保存するための特定の計画は必要でないとみなされうる」でした。同じ章の二つの資産で、計画の必要がまったく逆に書かれます。

一覧の下部

記載 中身
緩衝地帯 行が無い(本文にも緩衝地帯の記述が無い)
危機遺産リスト `2015 – Present`
保存状況報告 12年分(1995・2001・2015-2026年のうち)
ほかの保全の仕組み 記載なし
タブ `Assistance`

保存状況報告が1995年と2001年にあり、そのあと2015年から続きます。危機遺産リストへの記載(2015年)の前に二年分あり、2002年から2014年までは記載がありません。年の並びに空きがあることも記録します。

お知らせは17件あり、2015年7月1日の「イラクの遺跡ハトラが危機遺産リストに加えられた」と2017年4月28日の「ハトラの解放」が残ります。

2級で押さえること

基準(ii)(iii)(iv)(vi)、イラク北部、ティグリスとユーフラテスのあいだ、本体626 ha、緩衝地帯の行は無い(本文にも緩衝地帯の記述が無い)、1985年登録、dossier 277rev、危機遺産リスト `2015 – Present`。位置が「モスルの南西110 km、首都アッシュルの西約70 km、ワディ・アッタルタールの西3 km」と書かれ、17章で読んだアッシュル1130 が基準点として出てくる(ただし「世界遺産の」とは書かれない。アッシュル1130 はハトラに触れていない)。名は「おそらくアラム語かアラビア語の起源」で「おそらく『囲い』を指していた」。西のローマ帝国と東のパルティア帝国を結んだ軍事と交易の路に沿い、宗教の要因が「紀元前1世紀の小さな村から紀元2世紀の半ばの大きな王国へ」の発展の主な理由の一つ。「パルティア帝国のもっともよく保存された市(紀元前約200年-紀元220年)」が概要と基準(iii)の両方にほぼ同じ形で出る。二重の城壁——外の壁は円周9 km の土の堤/内の主たる壁は直径約2 km で石造、171の大小の塔/濠は深さ4-5 m・幅約8-14 m/内の壁に四つの要塞化された門(四つの基本方位に対応)。116年のトラヤヌスと198年のセプティミウス・セウェルスのローマの軍に対して市をうまく守り「その攻め落とせなさで名高くなった」。数が別のものを数えている——テメノスの内側に七つの神殿と祠/聖なる囲いの外側に十四の小さな神殿(基準(ii))/小さな中庭の奥に八つの連続したイワーンが長さ115 m・幅23 m のファサードをなす(「大神殿」)。イワーンは「パルティアの革新」。「ハトラの人々は水源として井戸に頼り、ハトラの壁の内側の湖を管理した」。ワディ・アッタルタール川の橋と市の近くの井戸は資産の現在の境界の外で、遺構はいまも周囲に生き残っている。建造の技法は泥煉瓦・煉瓦・瀝青と石膏・石と石膏で、「市は建築の材料について遺跡の近くの石の採石場に頼っていた」。大イワーンの設計はイスラムの時代までこの地域の建築に影響した。数百の石の像と小像は「ハトラに固有の一種のポスト・ヘレニズムの美術の様式」で、いくつかはアラム語の碑文を帯びる。一部はテメノス/大神殿の部屋に収められた在地の博物館に展示される(古代の建物の部屋そのものが博物館)。基準(iv)はクテシフォン、フィールーザーバード、ジンジルリと比べて書かれる。基準(vi)は「ローマの軍に対する市の成功」が「パルティアの力の卓越した象徴」へ導いた。完全性は「この考古の景観は保護と防護を必要とする」とし、「より最近に2015-2017年のあいだに与えられた損害」と書くが、与えた主体はどの節も書かない(バーミヤン208 は説明文だけが主体を名指しした)。お知らせには2017年4月28日の「ハトラの解放」が残るが、本文はこの語を使わない。「大部分が比較的良い状態にある」としつつ「放置と略奪」と「厳しい風化」で「その完全性は脆弱なままである」。真正性では、円形の配置が「ハトラで発展した進んだ戦争の技術と連携して使われるよう設計され」、大イワーンの円筒ヴォールトは「当時の技術の革命を示唆」。考古の当局は「ハトラの人々によって使われたのと同じ石の採石場を使って」仕事を行い、「石工はモスルで名高かった」。法令は1936年法律第59号から2002年法律第55号へ(アッシュル1130 と同じ)。「ハトラの保護についての特定の条項は無い」と明記される。SBAH が管理し、国際機関部が1972年条約の実施、調査発掘総局が考古遺跡の活動に責任を負う。すべての活動は SBAH の長の承認と書面の同意が必要。「時間、財政の資源、保護の仕組み、そして考古の仕事と保全の措置のあいだの均衡を含む戦略が、すべて要求される。」考古の当局の職員で「遺跡の居住者」として知られる人が案内と解釈のために訪問者に同行する(215件でここだけ。人数は書かれない)。「明確な管理の体系、遺跡の水準での十分な職員の水準、そして……管理計画が……決定的である」——どれもまだ無いと読める(同じ章のビキニ環礁1339 は逆に「保存の特定の計画は必要でない」)。一覧下部は保存状況報告12年分(1995・2001・2015-2026年のうち。2002年から2014年までは記載なし)、タブに `Assistance`、お知らせ17件(2015年の危機遺産リストへの追加と2017年の「解放」)。

準1級 準1級向けに理解を深める

準1級の掲載範囲は確かめていません。準1級の範囲は「日本の全遺産と主要な世界の遺産700件」ですが、どの700件かは公式に出ていません。ここに並ぶのは、ゼミが作ったキーワードの練習(試作46本)で、この記事がどのキーワードに入ったかです。公式テキストの分類ではありません。

この遺産は、準1級のキーワードで3通りに出てきます

キーワードこのキーワードで見るもの本文の手がかり
帝国系「帝国」が、その資産に対してどの向きで働くか「西のローマ帝国と東のパルティア帝国を結んだ軍事と交易の路」
戦争・紛争戦争が、登録の理由・真正性・完全性のどこに出るか「最近の武力紛争」
文化財返還問題持ち去りが「失われた」だけで終わらない「放置と略奪」

準1級は、遺産を1件ずつではなくキーワードで横に読みます。同じ資産が、キーワードごとに別の一文で引かれます。「この遺産はどのテーマか」ではなく、「このキーワードで読むと、この遺産の何が見えるか」で読みます。

キーワードで練習する

級別の確認問題

2級 確認問題

答えを選んでから、正解と解説を開きましょう。

確認1:ハトラ277 の位置の説明に出てくる、17章で読んだ資産は?

  1. 殷墟で、交易の路の終点として書かれる
  2. 古代都市テーベで、比較の相手として書かれる
  3. 首都アッシュルで、「西約70 km」の基準点として書かれる
  4. 首都アッシュルで、「西約70 km」の基準点として書かれ、アッシュル1130 のページもハトラを基準点として書いている
正解と解説を開く

正解:3.首都アッシュルで、「西約70 km」の基準点として書かれる

> ハトラは……モスルの南西110 km、そして首都アッシュルの西約70 km、ワディ・アッタルタールの西3 km に位置する。ただし一次資料は「世界遺産の」とは書かず、「首都アッシュル」と書くだけです。名前が書かれていても、世界遺産として名指ししているとは読みません。アッシュル1130 のほうはハトラに触れていません。同じ章・同じ国の二つの資産でも、書き方は対称ではありません。

確認2:ハトラ277 の神殿の数について、一次資料に書かれているのは?

  1. テメノスの内側に七つの神殿と祠、聖なる囲いの外側に十四の小さな神殿、小さな中庭の奥に八つの連続したイワーン
  2. テメノスの内側と外側を合わせて七つの神殿
  3. 神殿の数は書かれていない
  4. テメノスの内側に十四、外側に七つで、数が食い違っており、一次資料はどちらが正しいかを書いていないと完全性の節が認めている
正解と解説を開く

正解:1.テメノスの内側に七つの神殿と祠、聖なる囲いの外側に十四の小さな神殿、小さな中庭の奥に八つの連続したイワーン

七つ(テメノスの内側の神殿と祠)、十四(聖なる囲いの外側の小さな神殿。基準(ii))、八つ(小さな中庭の奥の連続したイワーン。長さ115 m・幅23 m のファサードをなす「大神殿」)です。別のものを数えているので食い違いではありません。どれが何の数かを添えて記録します。イワーンは「高い円筒ヴォールトの屋根を持つ開いた広間」で「パルティアの革新」とされます。

確認3:ハトラ277 の2015-2017年の損害について、一次資料が書いていることは?

  1. 説明文が主体を名指ししている
  2. 基準(vi)が主体を名指ししている
  3. 完全性の節が主体を名指しし、お知らせの「解放」がそれを裏づけている
  4. 年の範囲は書かれるが、損害を与えた主体はどの節も書いていない
正解と解説を開く

正解:4.年の範囲は書かれるが、損害を与えた主体はどの節も書いていない

> ハトラは以前の紛争によって影響を受けており、局所の損害をもたらした。より最近に2015-2017年のあいだに与えられた損害によって苦しんだ建築の装飾のいくつかを含めてである。年の範囲は書かれますが、与えた主体はどの節も書きません。同じ28章のバーミヤン208 は、説明文だけが「ターリバーンによる」と主体を名指しし、概要と基準(vi)は名指ししませんでした。お知らせには2017年4月28日の「ハトラの解放」がありますが、本文はこの語を使っていません。

確認4:ハトラ277 の法令について、保護管理の節が書いていることは?

  1. ハトラの保護についての専門の法律が2002年に作られた
  2. 1936年法律第59号から2002年法律第55号へ変わり、「ハトラの保護についての特定の条項は無い」が、同法がすべての考古遺跡を覆う
  3. 法令については書かれていない
  4. 1936年法律第59号がいまも執行されており、ハトラの保護についての特定の条項を含んでいるので、2002年の法律は適用されないと書かれている
正解と解説を開く

正解:2.1936年法律第59号から2002年法律第55号へ変わり、「ハトラの保護についての特定の条項は無い」が、同法がすべての考古遺跡を覆う

> ハトラが世界遺産リストに登録された時点での遺産保護の主たる法令は1936年法律第59号であった。登録に続く数年後、イラクは2002年法律第55号を採択し、それがいまも執行されている。ハトラの保護についての特定の条項は無い。しかしながら、2002年法律第55号は、ハトラを含むイラクのすべての考古遺跡に保護を与えた。資産に固有の条項が無いと明記されます。17章のアッシュル1130 も同じ2002年の法律第55号です。

参考資料

確認日:2026年10月28日。世界遺産ゼミは非公式の学習コンテンツです。確認問題は独自に作成しています。特定の試験回への対応は未確定です。

参照した公式教材の版: くわしく学ぶ世界遺産300 <第6版>

この遺産が出題される級は、上のバッジから確認できます。