ローマ帝国の境界線

登録年
1987年
所在国
ドイツ/英国
登録区分
文化遺産
地域
ヨーロッパ
登録基準
(ii) (iii) (iv)

基本を学ぶ

どこにあり、何が登録されたのか — 長さと目的が食い違う

ドイツと英国の越境資産。

本体 526.9 ha
緩衝地帯 5,225.7 ha(本体の約9.9倍)
登録 1987年
重要な境界変更 2005年・2008年
基準 (ii)(iii)(iv)
dossier 430ter(三度目)
連続性資産 はい(Serial: yes)
概要の見出し `Brief Synthesis`(S が大文字)
保存状況報告 3年分(1992・1993・1997年)
ほかの保全の仕組み 3制度・6要素(生物圏保存地域1+ジオパーク3+ラムサール2)

ハドリアヌスの長城の長さが食い違う

書かれている場所 長さ
説明文 「118 km の長さのハドリアヌスの長城」
概要 「東のタイン川の河口からソルウェー湾まで130 km を走る」+「境界線はさらに36 km ソルウェー海岸を下って、相互に見える軍事施設の連なりとして延びた」

118 km/130 km/(130+36=166 km)です。

どちらかに決めず、両方を記録します。

アントニヌスの長城の目的が食い違う

書かれている場所 年と目的
説明文 「142年にアントニヌス・ピウス帝が北の『野蛮人』に対する防御として始めた」
概要 「140年代にアントニヌス・ピウス帝のもとで、北ブリテンの一部を征服する試みとして建てられた」

「防御として」と「征服する試みとして」です。年も「142年」と「140年代」で違います。

16章では、年代と数の食い違いを記録しました。ローマ帝国の境界線430 は、目的が食い違う例です。数値の食い違いより扱いが難しいので、どちらかに決めず両方を記録します。

説明文の「5,000 km」

「ローマのリメス」は、紀元2世紀におけるその最大の広がりでのローマ帝国の境界線を表している。それは、北ブリテンの大西洋岸から、ヨーロッパを通って黒海へ、そしてそこから紅海へ、北アフリカを横切って大西洋岸へ、5,000 km を超えて伸びた。

「5,000 km を超えて」は説明文の数値です。

ただし登録されているのは三つの区間だけなので、「5,000 km が登録されている」とは読みません。

24章で記録した `_part_of_a_whole`(これが全部ではない)の系統です。

三つの区間 — 長さと保存の状態が違う

資産は境界線の三つの区間からなる——ハドリアヌスの長城、上ゲルマニア・ラエティア境界線、アントニヌスの長城で、帝国の北西部に位置し、かつてのローマの属州ブリタンニア、ゲルマニア・スペリオル、ラエティアの人工の境界をなしている。

区間 長さ 時期
ハドリアヌスの長城 130 km(+海岸沿いに36 km) 122年、ハドリアヌス帝の命により
上ゲルマニア・ラエティア境界線 550 km(ライン川のラインブロールからドナウ川のアイニングまで) 2世紀のあいだに段階的に
アントニヌスの長城 約60 km(スコットランド中部をフォース川からクライド川まで) 140年代、アントニヌス・ピウス帝のもとで

ハドリアヌスの長城

長城は、ウァルムの溝と土手、支える砦、行軍の宿営、そして北と南の広い区域のほかの特徴によって補われ、広範な道路の網によって結ばれていた。 それは、何世代もの過程で技師たちによって完成された、野心的で一貫した防御の建造物の体系を例示しており、切石での建設と、それが通り抜けた壮観な高地の地形の優れた活用において際立っている。

上ゲルマニア・ラエティア境界線

それは単に軍の防塁だったのではなく、経済と文化の限界も定めた。 文化の影響は境界線を越えて広がったが、それはローマ化された世界とローマ化されていないゲルマンの人びととのあいだの文化の分かれ目を表していた。

大部分で、それは地形の事情を考慮しない任意の直線だった。したがって、それは測量におけるローマの精確さの優れた実証である。

「地形を考慮しない直線だったから、測量の精確さの実証である」という書き方です。

16章のカカドゥ147 は「直線の境界は人工的なもの」で、行政の決定の歴史に関わるとされました。ローマ帝国の境界線430 の直線は、価値のほうに数えられています。

アントニヌスの長城

それは一世代のあいだしか使われなかったので、特定の時点における境界線のスナップショットを与え、境界線がどのように設計され建てられたかへの固有の洞察を与えている。

「一世代しか使われなかったことが価値」という書き方です。

ゼミは、短く使われたことが弱点ではなく価値として書かれることを記録します。

三つの基準 — 境界線は不可侵の障壁ではなかった

基準 中身
(ii) 要塞化されたゲルマニアの境界線、ハドリアヌスの長城、アントニヌスの長城は、ヨーロッパに存在するローマの境界線の意義ある要素をなす。ローマの軍事建築の発展を通じて、建設と管理の技術の知識を帝国のまさに端まで拡げ、ローマ帝国の盛期における人と文化の価値の重要な交流を示している
(iii) ローマ帝国の防御の全般の体系の一部として、並外れて高い文化の価値を持つ。その北西の境界線の固めを通じたローマ帝国の力の最大の拡張への例外的な証をなし、したがってローマの帝国の政策の物理の現れをなしている
(iv) ローマの軍事建築と建設技術、およびその技術の発展の際立った例であり、何世代もの過程で技師たちによって完成された。帝国の北西部における固有の地形と気候、また政治・軍事・社会の事情へのローマ人の応答の多様さと洗練を示している

境界線は不可侵ではなかった

境界線は不可侵の障壁をなしたのではなく、人びとの移動を統制し、許した——軍の部隊だけでなく、民間人と商人も。 それゆえに、それらは異なる国民からの兵士と民間人の移動を通じて文化の価値の交換を引き起こした。

「境界線が交換を引き起こした」という書き方です。

ゼミは、「境界線=隔てるもの」と読み替えません。一次資料は「統制し、許した」と書いています。

これは、定住の型、建築、景観の設計と空間の組織の点で、それぞれの地域における深い変化と発展を伴った。

境界線は今日もなお景観の目立つ部分をなしている。

基準(iii)に並ぶローマの伝統

それらは、それぞれの領土におけるローマの植民、ローマ文化とその異なる伝統——軍事、工学、建築、宗教の管理と政治——の普及、そして防御に結びついた多数の人間の集落を証している。それらは、ローマ帝国のこの部分で兵士とその家族がどのように暮らしたかの理解に寄与する。

「兵士とその家族がどのように暮らしたか」が価値に入っています。

「垂直の緩衝地帯」という考え方

完全性 — 区間ごとに保存の状態が違う

区間 保存の状態
ハドリアヌスの長城 約5分の4が開かれた土地を走る。中央の45 km では例外的によい保存の状態で、ローマの軍の存在の意義ある目に見える痕跡をいまも含む景観の一部として生き延びている。この中央の地帯の外でも、多くの個々の遺跡がよく保存されている
上ゲルマニア・ラエティア境界線 全体として歴史の形で保存されている。その長さの約半分が、いまも見えるか、現在の境界または道と同一である。その価値は、目に見える土塁と埋もれた遺構の組み合わせにある
アントニヌスの長城 約3分の1が、複雑な一連の土塁と関連する構造物として今日見える。おおよそ別の3分の1は開かれた田園にあるがその線は見えない。最後の3分の1は都市区域の下にある

三つとも割合が数値で書かれています。

境界線のいくつもの区域は上に建てられているが、意義ある考古の遺構が存在すると証明されたところでは、それらは資産に含められている。

「垂直の緩衝地帯」

境界線の一部に重なる後の開発は、垂直の緩衝地帯として扱われる。 境界線の要素(砦や望楼のような)の再建がいくつもある。1965年以降の再建は連続性資産の一部とは見なされないが、やはり垂直の緩衝地帯として働く。

「垂直の緩衝地帯(vertical buffer zones)」という概念が出てくる資産は、これまで読んだ133件でここだけです。

ふつうの緩衝地帯は資産の周りに水平に広がりますが、ここでは、遺構の上に重なるもの(後の開発と、1965年以降の再建)が「垂直の」緩衝地帯として扱われています。

ゼミは、この概念を「緩衝地帯が無い」と読み替えません。一覧には緩衝地帯5,225.7 ha があり、本文の「垂直の緩衝地帯」はそれとは別のことです。

真正性 — 区間ごとに違う

区間 真正性
ハドリアヌスの長城 形と設計、とくにその線的な性格、および建築と軍事の要素はいまも理解しやすく、その位置と景観の中の環境は明らかに感じ取れる。立っている部分は最高の標準に従って保全され、よい修理の状態にある
上ゲルマニア・ラエティア境界線 多くが地下にあり、発掘されたことがないか埋め戻された。発掘された部分はその後ふさわしく保全され、地上の象徴的な画線によって提示され、その真正性と周囲の環境と完全性を守っている。一部の場合に、遺跡が登録される前に建てられた再建によって真正性が損なわれてきた
アントニヌスの長城 概してよい状態にあり、見える区間はときに意義ある高さと深さを持つ。よりよい理解と保護のために行われた保全と固めの措置は、資産の環境に合っており、その真正性を減じていない

「地上の象徴的な画線によって提示」という方法は、12章のランス・オー・メドー4 の「埋め戻し」と並べて読めます。

「登録される前に建てられた再建によって真正性が損なわれてきた」と書かれる資産は、これまで読んだ133件でここだけです。

誰が守っているか — 国際に三つの体、国ごとに別の法

国際の水準に三つの体

体 役割
政府間委員会(IGC) 国際の水準で全体の管理を監督し調整する
管理グループ 資産の遺跡管理に直接責任を持つ者を集め、最良の実践を共有する主要な仕組みを与える
ブラチスラヴァ・グループ 国際的な助言の体。ローマ帝国の境界線の登録された、または潜在的な部分を持つ締約国からの専門の委員を伴う

「潜在的な部分を持つ締約国」も含まれています。

5章で、国際的な調整の仕組みは資産ごとに名前も実績も違うことを記録しました。ローマ帝国の境界線430 は三層で、まだ登録されていない国も助言の体に入る点が独特です。

遺産 調整の仕組み
ローマ帝国の境界線430 政府間委員会(IGC)+管理グループ+ブラチスラヴァ・グループ(潜在的な部分を持つ締約国も含む)
ヨーロッパの大温泉都市群1613(5章) 四層(政府間委員会/11市長のGSMB/遺跡管理者グループ/共同資金の事務局)
ブナ原生林1133(5章) 統合管理体系+共同管理委員会+共同意図宣言+調整者の職
ワッデン海1314(5章) 三国ワッデン海協力
アッピア街道1708 単一の体の指定を定めている(将来形)

国の水準

国の水準では、それぞれの締約国がふさわしい国の法令と規制を通じてその部分を保護する。 国の管理体系は、遺跡の意義の同定と定義、その保全、アクセス、すべての関係者の関心と関与、そしてその持続可能な経済の使用に取り組む。

それぞれの締約国の既存の法令と管理の体系の中で、ふさわしい管理体系が策定されており、それぞれの構成要素の同定・保護・保全・持続可能な使用のための、定期的に更新される管理計画を通じて表されている。

三つの区間の法と所有

区間 法 所有
ハドリアヌスの長城 1979年古代記念物・考古区域法、1990年都市農村計画法、1990年計画法。2012年国家計画政策枠組と2013年国家計画実務指針。ほかに国立公園、特別自然美観区域、ローマ城壁崖面特別科学関心地 8つの異なる体が公開のアクセスのために管理するが、大部分は私有
上ゲルマニア・ラエティア境界線 各州(Länder)の記念物保護法。全般の管理計画に基づく詳細なリメス開発計画。州をまたぐ調整のため、2003年にドイツ・リメス委員会が設立された 大部分は私有だが、公有の部分が増えている
アントニヌスの長城 1979年古代記念物・考古区域法、スコットランドの計画の法(1997年・2006年)。スコットランド歴史環境政策とスコットランド計画政策 大部分は私有だが、一部の区間は地方当局とヒストリック・スコットランドの管理のもとにある

三つとも「大部分は私有」です。

「公有の部分が増えている」と書かれるのはドイツだけです。

Notes に統合の経緯が書かれている

このページにも `Notes` の節があります。

以前に世界遺産リストに登録されていた「ハドリアヌスの長城」は、越境資産「ローマ帝国の境界線」の一部である。

`Notes` に経緯が書かれる資産は、これまで読んだ133件で二つ目です。

遺産 Notes の中身
マルタの巨石神殿群132(16章) 「ジュガンティーヤ神殿」を拡張して五つを含め、「マルタの巨石神殿群」に改名することを委員会が決定した
ローマ帝国の境界線430 以前に登録されていた「ハドリアヌスの長城」は、越境資産「ローマ帝国の境界線」の一部である

どちらも、資産の範囲と名前が登録後に変わった経緯です。

一覧の「重要な境界変更 2005年・2008年」と並べて読むと、1987年にハドリアヌスの長城が登録され、2005年に上ゲルマニア・ラエティア境界線、2008年にアントニヌスの長城が加わったと読めます。ただし一次資料はそう書いていないので、ゼミはNotes と一覧の年を並べて記録します。

2級で押さえること

基準(ii)(iii)(iv)、本体526.9 ha・緩衝5,225.7 ha(約9.9倍)、1987年登録・2005年と2008年に重要な境界変更(dossier は 430ter=三度目)、ドイツと英国の越境資産、連続性資産(Serial: yes)、概要の見出しが `Brief Synthesis`(S が大文字)、保存状況報告3年分(1992・1993・1997年)、ほかの保全の仕組みが3制度・6要素(生物圏保存地域1+ジオパーク3+ラムサール2。5章のブナ原生林1133 の5制度・21要素に次ぐ多さ)。ハドリアヌスの長城の長さが食い違う——説明文「118 km」/概要「130 km」+「さらに36 km」。アントニヌスの長城の目的も食い違う——説明文「142年に……北の『野蛮人』に対する防御として」/概要「140年代に……北ブリテンの一部を征服する試みとして」。年も目的も違うので、どちらかに決めず両方を記録する(16章は年代と数の食い違いだったが、ここは目的)。説明文は「5,000 km を超えて伸びた」と書くが、登録されているのは三つの区間だけなので「5,000 km が登録されている」とは読まない。三つの区間——ハドリアヌスの長城(130 km+海岸沿いに36 km、122年)/上ゲルマニア・ラエティア境界線(550 km、ラインブロールからアイニングまで、2世紀に段階的に)/アントニヌスの長城(約60 km、フォース川からクライド川まで、140年代)。上ゲルマニア・ラエティア境界線は「大部分で、地形の事情を考慮しない任意の直線だった。したがって、それは測量におけるローマの精確さの優れた実証である」——16章のカカドゥ147 の「直線の境界は人工的なもの」とは逆に、直線が価値のほうに数えられている。アントニヌスの長城は「一世代のあいだしか使われなかったので、特定の時点における境界線のスナップショットを与え」、短く使われたことが価値として書かれる。基準(ii)は「境界線は不可侵の障壁をなしたのではなく、人びとの移動を統制し、許した——軍の部隊だけでなく、民間人と商人も」とし、「境界線が文化の価値の交換を引き起こした」と書く——「境界線=隔てるもの」と読み替えない。基準(iii)は軍事・工学・建築・宗教の管理と政治の普及と、「兵士とその家族がどのように暮らしたかの理解」を挙げる。完全性で区間ごとの保存の割合が数値で書かれる——ハドリアヌスの長城は約5分の4が開かれた土地を走り中央の45 km が例外的によい状態/上ゲルマニア・ラエティア境界線は長さの約半分がいまも見えるか現在の境界または道と同一/アントニヌスの長城は約3分の1が見え、別の3分の1は線が見えず、最後の3分の1は都市区域の下。「垂直の緩衝地帯(vertical buffer zones)」という概念が出てくる——境界線の一部に重なる後の開発と、1965年以降の再建(連続性資産の一部とは見なされない)が、垂直の緩衝地帯として扱われる——これまで読んだ133件でここだけ。一覧には緩衝地帯5,225.7 ha があり、本文の「垂直の緩衝地帯」はそれとは別のことなので、「緩衝地帯が無い」と読み替えない。上ゲルマニア・ラエティア境界線は「多くが地下にあり、発掘されたことがないか埋め戻された」「発掘された部分は……地上の象徴的な画線によって提示され」、かつ「一部の場合に、遺跡が登録される前に建てられた再建によって真正性が損なわれてきた」——これも133件でここだけ。国際の水準に三つの体——政府間委員会(IGC)/管理グループ(最良の実践を共有する主要な仕組み)/ブラチスラヴァ・グループ(国際的な助言の体。「登録された、または潜在的な部分を持つ締約国」からの専門の委員を伴う)——まだ登録されていない国も助言の体に入る点が独特。三つの区間とも「大部分は私有」で、ハドリアヌスの長城は8つの異なる体が公開のアクセスのために管理し、ドイツは「公有の部分が増えている」、アントニヌスの長城は一部が地方当局とヒストリック・スコットランドの管理のもとにある。州をまたぐ調整のため2003年にドイツ・リメス委員会が設立された。`Notes` に統合の経緯が書かれる——「以前に世界遺産リストに登録されていた『ハドリアヌスの長城』は、越境資産『ローマ帝国の境界線』の一部である」。16章のマルタの巨石神殿群132 に続いて二つ目で、どちらも資産の範囲と名前が登録後に変わった経緯。Notes と一覧の年(重要な境界変更2005年・2008年)を並べて記録する。

準1級 準1級向けに理解を深める

準1級の掲載範囲は確かめていません。準1級の範囲は「日本の全遺産と主要な世界の遺産700件」ですが、どの700件かは公式に出ていません。ここに並ぶのは、ゼミが作ったキーワードの練習(試作46本)で、この記事がどのキーワードに入ったかです。公式テキストの分類ではありません。

この遺産が出てくるキーワード

キーワードこのキーワードで見るもの本文の手がかり
帝国系「帝国」が、その資産に対してどの向きで働くか「1965年以降の再建は連続性資産の一部とは見なされないが、やはり垂直の緩衝地帯として働く」

いまのところ、この遺産が出てくるキーワードは1つです。ゼミの試作46本で数えた話で、公式テキストの分類ではありません。

準1級は、遺産を1件ずつではなくキーワードで横に読みます。このキーワードの練習では、ほかの参加記事と並べて読みます——同じ論点が、別の資産でどう書かれているかを見るためです。

キーワードで練習する

級別の確認問題

2級 確認問題

答えを選んでから、正解と解説を開きましょう。

確認1:アントニヌスの長城の目的について、UNESCO のページに書かれているのは?

  1. 説明文は「北の『野蛮人』に対する防御として」、概要は「北ブリテンの一部を征服する試みとして」
  2. 説明文も概要も「防御として」
  3. 目的についての記述は無い
  4. 説明文は「防御として」、概要は「征服する試みとして」で、一次資料はその二つが同じことを述べていると明記している
正解と解説を開く

正解:1.説明文は「北の『野蛮人』に対する防御として」、概要は「北ブリテンの一部を征服する試みとして」

説明文は「142年にアントニヌス・ピウス帝が北の『野蛮人』に対する防御として始めた」、概要は「140年代にアントニヌス・ピウス帝のもとで、北ブリテンの一部を征服する試みとして建てられた」です。年も「142年」と「140年代」で違います。16章は年代と数の食い違いでしたが、ここは目的の食い違いです。どちらかに決めず両方を記録します。

確認2:上ゲルマニア・ラエティア境界線の直線について、UNESCO の記述に合うものは?

  1. 地形に合わせて引かれたので、測量の精確さの実証である
  2. 大部分で地形の事情を考慮しない任意の直線だったので、測量におけるローマの精確さの優れた実証である
  3. 直線についての記述は無い
  4. 大部分で地形の事情を考慮しない任意の直線だったため、測量の精確さの実証とはされず、価値を減じていると書かれている
正解と解説を開く

正解:2.大部分で地形の事情を考慮しない任意の直線だったので、測量におけるローマの精確さの優れた実証である

> 大部分で、それは地形の事情を考慮しない任意の直線だった。したがって、それは測量におけるローマの精確さの優れた実証である。価値を減じているとは書かれていません。16章のカカドゥ147 の「直線の境界は人工的なもの」(行政の決定の歴史に関わる)とは逆に、ここでは直線が価値のほうに数えられています。

確認3:ローマ帝国の境界線の真正性に出てくる「垂直の緩衝地帯」とは何か?

  1. 一覧に記載された緩衝地帯5,225.7 ha のことである
  2. 「垂直の緩衝地帯」についての記述は無い
  3. 境界線の一部に重なる後の開発と、1965年以降の再建(連続性資産の一部とは見なされない)が、そう扱われる
  4. 境界線の一部に重なる後の開発のことで、それは一覧に記載された緩衝地帯5,225.7 ha と同じものを指す
正解と解説を開く

正解:3.境界線の一部に重なる後の開発と、1965年以降の再建(連続性資産の一部とは見なされない)が、そう扱われる

> 境界線の一部に重なる後の開発は、垂直の緩衝地帯として扱われる。> 1965年以降の再建は連続性資産の一部とは見なされないが、やはり垂直の緩衝地帯として働く。一覧の緩衝地帯5,225.7 ha とは別のことです。この概念が出てくる資産は、これまで読んだ133件でここだけなので、「緩衝地帯が無い」と読み替えません。

確認4:ローマ帝国の境界線の `Notes` に書かれていることは?

  1. 資産の名前が変わった経緯は書かれていない
  2. `Notes` の節は無い
  3. 以前に登録されていた「ハドリアヌスの長城」が越境資産の一部であることが書かれ、あわせて加わった年も記されている
  4. 以前に世界遺産リストに登録されていた「ハドリアヌスの長城」は、越境資産「ローマ帝国の境界線」の一部である
正解と解説を開く

正解:4.以前に世界遺産リストに登録されていた「ハドリアヌスの長城」は、越境資産「ローマ帝国の境界線」の一部である

年は Notes には書かれていません。一覧の「重要な境界変更 2005年・2008年」と並べて読むと、1987年にハドリアヌスの長城が登録され、2005年と2008年に区間が加わったと読めますが、一次資料はそう書いていないので、ゼミは Notes と一覧の年を並べて記録します。`Notes` に経緯が書かれる資産は、16章のマルタの巨石神殿群132 に続いて二つ目です。

参考資料

確認日:2026年10月27日。世界遺産ゼミは非公式の学習コンテンツです。確認問題は独自に作成しています。特定の試験回への対応は未確定です。

参照した公式教材の版: くわしく学ぶ世界遺産300 <第6版>

この遺産が出題される級は、上のバッジから確認できます。