テオティワカンの古代都市

高い位置から見た、一直線に伸びる大通りと左右に並ぶ基壇。
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登録年
1987年
所在国
メキシコ
登録区分
文化遺産
地域
南北アメリカ
登録基準
(i) (ii) (iii) (iv) (vi)

基本を学ぶ

どこにあり、何が登録されたのか — 距離が二通り

メキシコ、テオティワカン・デ・アリスタ市とサン・マルティン・デ・ラス・ピラミデス市。

本体 250 ha
緩衝地帯 3,118.15 ha(本体の約12.5倍)
登録 1987年、基準 (i)(ii)(iii)(iv)(vi)=5つ
dossier 414
保存状況報告 9年分(1997〜2014年)
境界データ GIS のデータ未受領の注記がある
ほかの保全の仕組み 1954年ハーグ条約1要素

1954年ハーグ条約(武力紛争の際の文化財の保護)は、24章のロロペニ1225 で初めて出てきました。この章ではテオティワカン414 とパレンケ411 の二つに付いています。

メキシコシティからの距離が二通り

書かれている場所 距離
説明文 「メキシコシティの北東約50 km」
真正性の節 「メキシコシティの北東48 km」

「約50 km」と「48 km」なので丸めとも読めますが、一次資料は関係を明記していません。

ゼミは両方を記録します。

いつ、どれだけの人が

谷の人間の占拠 紀元前に始まった
市としての発展 1世紀から7世紀のあいだ
住民 少なくとも25,000人
位置づけ アメリカ大陸の最大の古代都市の一つ
頂点での広がり 36 km²
儀礼の中心 その堂々とした大きさにもかかわらず、全表面の10%しか表さない
終わり 7世紀のあいだに火で焼き払われ、その後放棄された

「儀礼の中心は全表面の10%」という割合が書かれています。

11章のメディナ・アサーラ1560 の「遺跡の10%だけが発掘されている」、同じ章のパレンケ411 の「1,400の建物のうち約10%だけが探査されている」と並べて読みます。どれも「10%」ですが、述べていることは違います。

遺産 10%が意味すること
テオティワカン414 儀礼の中心が、市の全表面に占める割合
パレンケ411 記録された1,400の建物のうち、探査された割合
メディナ・アサーラ1560(11章) 遺跡のうち、発掘された割合

自然を取り込んだ都市計画

市の都市計画は、サン・フアン川のようなテオティワカン渓谷の自然の要素を統合した——その流れは、死者の大通りを横切るように変えられた。

「川の流れを変えて大通りを横切らせた」と書かれています。

この南北に向いた市の主要な参照の軸は、記念碑的な建物と複合体で縁取られており、そこから太陽と月のピラミッド、およびケツァルコアトルの神殿(羽毛の蛇の神殿としても知られる)を伴う大囲い地が際立っている。

市の市民と宗教の建築の一つの特徴は「タルード・タブレロ」であり、それがこの文化の際立った特徴となった。

五つの基準 — 「神々が創られた場所」

基準 中身
(i) 記念物の巨大な大きさと、宇宙の調和に基づく配置の厳格さの両方によって、唯一無二の芸術の達成を表す
(ii) メソアメリカの古典文明の最初の偉大な文明の影響が、メキシコ中央地域の全体、ユカタン、そして遠くグアテマラ(カミナルフユの遺跡)まで及んだ
(iii) 儀礼の中心の狭い地帯よりはるかに大きく、少なくとも25,000人の住民の都市に対応する
(iv) 死者の大通りを縁取る、テオティワカンの聖なる記念物と礼拝の場の唯一無二の群が、プレ・コロンビアの儀礼の中心の際立った例をなしている
(vi) 650年ごろの市の破壊と放棄の後、遺構は伝説に浸された

基準(i)の数値

太陽のピラミッド
建てられた場所 350 m² の台地の上
基部 225 × 222メートル
高さ 75メートル
総体積 100万 m³

「350 m² の台地」は、基部の225 × 222メートルより小さい数値です。

ゼミは、一次資料の数値をそのまま記録し、「おそらく誤記」とも「正しい」とも決めません。「一次資料にそう書かれている」と残します。

芸術の対比

テオティワカンの芸術は、メキシコの古典文明のあいだでもっとも発達していた。 ここでそれは、その連続的で補完的な側面に表されている——太陽と月のピラミッドの乾いた強迫的な幾何学が、ケツァルコアトル(羽毛の蛇)のピラミッドの例外的な豊かさの彫刻され彩色された装飾と対照をなす。

「乾いた強迫的な幾何学(the dry and obsessive geometry)」という語が使われています。

基準(vi) — 20日ごとの犠牲

アステカの名「テオティワカン」は「神々が創られた場所」を意味する。 16世紀からの書き物によれば、モクテスマが遺跡で20日ごとに行った犠牲が、信仰の持続を証していた——それがテオティワカンを例外的な価値の聖なる場所にした。

「16世紀からの書き物によれば」という出典の示し方です。

宮殿と住宅区域

儀礼の中心の外では、発掘が大きな関心を引く宮殿と住宅の区画を明らかにしてきた——たとえば西のラ・ベンティーヤ、テティトラ、サクアラ、ヤヤワラ、東のシャラとテパンティトラ。

六つの地名が挙げられています。

さらに、相当な数の建物が壁画で装飾され、そこに当時の世界観と環境の要素が物質化された。

市は、都市化と大規模な計画の模型と考えられており、同時代とその後の文化の考え方に大きく影響した。

完全性と真正性 — 不適切な材料で負の影響を受けた

完全性

テオティワカンの古代都市は、その記念碑性、都市の設計、芸術の豊かさ、および建築の構造物と自然の環境との関係——景観の中のその環境を含めて——を完全に保存している。 これは、遺跡が受けてきた維持、保全、恒久の保護のためである。

もっとも重要な脅威は自然の要因

しかしながら、雨、風、太陽放射のような自然の要因が絶えず遺跡とその要素に影響しており、もっとも重要な脅威と考えられている。

「自然の要因がもっとも重要な脅威」と書かれる資産は、この章ではここだけです。

過去の保全が負の影響を与えた

過去のすべての保全の試みが成功したわけではなく、遺跡の一部の要素は、不適切な材料(たとえばコンクリートとポリマー)の使用によって負の影響を受けた。

材料の名が具体的に挙げられています。

15章のポンペイ829 も「1980年代より前の修復で活用されたコンクリートと鋼」でした。同じ材料が、別の資産で同じように問題になっています。

委員会の会期が引かれる

これは、世界遺産委員会が第36回会期(2012年)で要請したとおり、介入のための保全の指針の必要と、遺跡での予防の保全と監視のための計画の必要を浮き彫りにしている。

委員会の会期と年が引かれる資産は、これまで読んだ136件でここだけです。

さらなる深刻な脅威は、遺跡の周りの開発の圧力であり、絶えず増大している。

真正性 — 探査の歴史

年 何が起きたか
1864年 最初の測量
1884年 最初の発掘
1905〜1910年 一部の記念物が修復された。太陽のピラミッドについては、その発見者レオポルド・バトレスが恣意的に第五層を復元した
1962年以来 国立人類学歴史研究所(INAH)が考古の研究を調整している

INAH は、壮観な発見(ケツァルマリポサの宮殿、太陽のピラミッドの下の洞窟)を促しながら、儀礼地帯の直近の周辺における発掘の同定と監督に関するより厳格な方針を始めた。

過去の再建が、それ自身の歴史性を持つ

前世紀初めに遡るより早い再建の作業の一部は、同時代の用語では疑問であるが、いまやそれ自身の歴史性を持つと考えられうる。

「それ自身の歴史性を持つ」と書かれる資産は、これまで読んだ136件で三つ目です。

遺産 書かれ方
テオティワカン414 前世紀初めの再建は同時代の用語では疑問だが、いまやそれ自身の歴史性を持つと考えられうる
ポンペイ829(15章) 初期の修復は場合によってそれ自身の歴史の意義を持つと論じられうる(アメデオ・マイウリの野外博物館)
ヒマー1619(16章) 古代の再敲打は、その真正性の一部と考えられうる

三つとも「考えられうる」「論じられうる」で、断定ではありません。

誰が守っているか — 私有地の上でも公的所有

誰が管理するか

テオティワカンは、国立人類学歴史研究所(INAH)の保護のもとにある——それは国立文化芸術評議会(CONACULTA)と公教育省(SEP)の機関である。

私有地の上でも公的所有

遺跡は1972年メキシコ連邦記念物・考古・芸術・歴史地帯法によって法的に保護されている。 この法は、すべての考古の財産の公的所有を確立している——それらが私有の土地に位置していても。

「私有地に位置していても公的所有」と書かれる資産は、これまで読んだ136件でここだけです。

保護地帯の拡大

年 中身
1907年と1964年 大統領令がテオティワカンの考古記念物地帯を宣言した
1988年 新しい政令がそれらに取って代わり、二つの追加の保護地帯(BとC)を定め、保護区域を合計3,381 ha 超へ拡大した

一覧の緩衝地帯は3,118.15 ha です。本文の「3,381 ha 超」と違います。

「保護区域」と「緩衝地帯」は別の概念とも読めますが、一次資料はその関係を明記していません。ゼミは両方を記録します。

土地の取得と交渉

遺跡の緩衝地帯をさらに拡げられるようにするため、考古地帯を取り囲む土地が過去10年にわたって取得された。 最近、地帯を拡げるためにより多くの土地所有者との交渉で重要な進展があった。

この章では、範囲を広げる動きが三つの資産で書かれました。

遺産 範囲を広げる動き
テオティワカン414 土地の取得が進み、より多くの所有者との交渉で重要な進展があった
ティカル64 隣接する森林区域を覆う拡張を検討する意図が推薦の日以来あった
コパン129 締約国が国立公園の拡張を土地所有者と交渉している
ティワナク567 ボリビア国家のためのほかの区域の取得の計画がある

四つの資産で、範囲を広げる動きが書かれています。

市と共同で

テオティワカン・デ・アリスタ市とサン・マルティン・デ・ラス・ピラミデス市と協調して、共同の市の都市開発計画と都市イメージ規制が策定され、それぞれ2008年と2009年に公示された。 文書は、考古遺跡を、保護を要する開発の推進力として認めている。

「開発の推進力(a driving force of development)」という言い方です。

管理計画

年 中身
2004年 協議と既存情報の統合の過程が始まった
2009年 テオティワカンの考古記念物地帯のための管理計画2010-2015の公示で結実した

文書は管理の方針を定め、遺跡とその構成要素の包括的な保護と保全のための固有の目標を立てている。 さらに計画は、研究、保存、普及、共同体の関与、維持の点で作業の輪郭を立てている。

定められた計画の道具の持続可能な実施と、保全と管理への資源の配分が、長期に資産の顕著な普遍的価値の保全を確かにするために必要な手段である。

2級で押さえること

基準(i)(ii)(iii)(iv)(vi)=5つ、本体250 ha・緩衝3,118.15 ha(約12.5倍)、1987年登録、保存状況報告9年分、GIS データ未受領、1954年ハーグ条約1要素(この章ではパレンケ411 にも付く)。メキシコシティからの距離が二通り——説明文「北東約50 km」/真正性の節「北東48 km」。1世紀から7世紀のあいだに発展し、少なくとも25,000人の住民を持つアメリカ大陸の最大の古代都市の一つとなった。頂点で36 km² に広がり、儀礼の中心は「その堂々とした大きさにもかかわらず、全表面の10%しか表さない」。7世紀のあいだに火で焼き払われ、その後放棄された。「10%」は資産ごとに別のことを述べている——テオティワカン414 は儀礼の中心が市の全表面に占める割合、パレンケ411 は1,400の建物のうち探査された割合、メディナ・アサーラ1560 は発掘された割合。都市計画はサン・フアン川を統合し、その流れは死者の大通りを横切るように変えられた。南北に向いた主要な参照の軸に太陽と月のピラミッド、ケツァルコアトルの神殿を伴う大囲い地が際立つ。市民と宗教の建築の特徴は「タルード・タブレロ」。基準(i)は太陽のピラミッドを「350 m² の台地の上に建てられ、基部で225 × 222メートル、高さ75メートル、総体積100万 m³」とする——「350 m²」は基部より小さい数値だが、一次資料をそのまま記録し、誤記とも正しいとも決めない。「太陽と月のピラミッドの乾いた強迫的な幾何学」が「ケツァルコアトルのピラミッドの例外的な豊かさの彫刻され彩色された装飾」と対照をなす。基準(ii)は影響がメキシコ中央地域の全体、ユカタン、遠くグアテマラ(カミナルフユ)まで及んだとする。基準(vi)はアステカの名が「神々が創られた場所」を意味し、「16世紀からの書き物によれば、モクテスマが遺跡で20日ごとに行った犠牲が、信仰の持続を証していた」とする。儀礼の中心の外にラ・ベンティーヤ、テティトラ、サクアラ、ヤヤワラ(西)、シャラ、テパンティトラ(東)の宮殿と住宅の区画がある。完全性は記念碑性・都市の設計・芸術の豊かさ・自然の環境との関係を完全に保存しているとするが、「雨、風、太陽放射のような自然の要因」が「もっとも重要な脅威」とされる。「過去のすべての保全の試みが成功したわけではなく、遺跡の一部の要素は、不適切な材料(たとえばコンクリートとポリマー)の使用によって負の影響を受けた」(15章のポンペイ829 の「コンクリートと鋼」と同じ材料)。「世界遺産委員会が第36回会期(2012年)で要請したとおり」保全の指針と、予防の保全と監視のための計画が必要——委員会の会期と年が引かれるのはこれまで読んだ136件でここだけ。さらなる深刻な脅威は、遺跡の周りの開発の圧力で、絶えず増大している。真正性は探査の歴史で述べられる——最初の測量1864年、最初の発掘1884年、1905〜1910年に一部の記念物が修復され、太陽のピラミッドについては発見者レオポルド・バトレスが「恣意的に第五層を復元した」、1962年以来 INAH が調整。「前世紀初めに遡るより早い再建の作業の一部は、同時代の用語では疑問であるが、いまやそれ自身の歴史性を持つと考えられうる」——「それ自身の歴史性」はこれまで読んだ136件で三つ目(15章のポンペイ829、16章のヒマー1619)。三つとも「考えられうる」「論じられうる」で断定ではない。INAH(CONACULTA と SEP の機関)が管理し、1972年メキシコ連邦記念物・考古・芸術・歴史地帯法が「すべての考古の財産の公的所有を確立している——それらが私有の土地に位置していても」——これも136件でここだけ。1907年と1964年の大統領令が1988年の新しい政令に取って代わられ、二つの追加の保護地帯(BとC)を定めて保護区域を合計3,381 ha 超へ拡大した(一覧の緩衝地帯3,118.15 ha と違うので両方を記録する)。過去10年にわたって考古地帯を取り囲む土地が取得され、「地帯を拡げるためにより多くの土地所有者との交渉で重要な進展があった」。二つの市と協調した共同の市の都市開発計画と都市イメージ規制が2008年と2009年に公示され、「考古遺跡を、保護を要する開発の推進力として認めている」。2004年に始まった過程が2009年の管理計画2010-2015 の公示で結実した。

準1級 準1級向けに理解を深める

準1級の掲載範囲は確かめていません。準1級の範囲は「日本の全遺産と主要な世界の遺産700件」ですが、どの700件かは公式に出ていません。ここに並ぶのは、ゼミが作ったキーワードの練習(試作46本)で、この記事がどのキーワードに入ったかです。公式テキストの分類ではありません。

この遺産が出てくるキーワード

キーワードこのキーワードで見るもの本文の手がかり
神話・伝説神話・伝説が、その記述でどんな役を果たすか「遺構は伝説に浸された」

いまのところ、この遺産が出てくるキーワードは1つです。ゼミの試作46本で数えた話で、公式テキストの分類ではありません。

準1級は、遺産を1件ずつではなくキーワードで横に読みます。このキーワードの練習では、ほかの参加記事と並べて読みます——同じ論点が、別の資産でどう書かれているかを見るためです。

キーワードで練習する

級別の確認問題

2級 確認問題

答えを選んでから、正解と解説を開きましょう。

確認1:テオティワカンの儀礼の中心について、UNESCO の記述に合うものは?

  1. 市の全表面の大半を占める
  2. その堂々とした大きさにもかかわらず、全表面の10%しか表さない
  3. 儀礼の中心についての記述は無い
  4. 全表面の10%しか表さないが、それは発掘された区域の割合である
正解と解説を開く

正解:2.その堂々とした大きさにもかかわらず、全表面の10%しか表さない

> 儀礼の中心は、その堂々とした大きさにもかかわらず、全表面の10%しか表さない。発掘された割合ではありません。同じ「10%」でも述べていることは違います——パレンケ411 は「1,400の建物のうち探査された割合」、11章のメディナ・アサーラ1560 は「発掘された割合」です。

確認2:テオティワカンの完全性に引かれている、これまで読んだ140件でここだけの記述は?

  1. すべての属性が資産の境界の中にあること
  2. 完全性についての記述は無い
  3. 世界遺産委員会が第36回会期(2012年)で要請したとおり、介入のための保全の指針が必要であること
  4. 委員会の会期が第36回(2012年)と引かれていることと、それが自然の要因への対策を求めたものであること
正解と解説を開く

正解:3.世界遺産委員会が第36回会期(2012年)で要請したとおり、介入のための保全の指針が必要であること

委員会の会期と年が引かれる資産は、これまで読んだ136件でここだけです。要請の対象は自然の要因への対策ではありません——「過去のすべての保全の試みが成功したわけではなく、遺跡の一部の要素は、不適切な材料(たとえばコンクリートとポリマー)の使用によって負の影響を受けた。これは……介入のための保全の指針の必要……を浮き彫りにしている」という文脈です。

確認3:テオティワカンの前世紀初めの再建について、UNESCO の記述に合うものは?

  1. 同時代の用語では疑問だが、いまやそれ自身の歴史性を持つと考えられうる
  2. すべて取り除かれるべきだとされている
  3. 前世紀初めの再建についての記述は無い
  4. 同時代の用語では疑問であり、それ自身の歴史性を持つとは考えられていない
正解と解説を開く

正解:1.同時代の用語では疑問だが、いまやそれ自身の歴史性を持つと考えられうる

> 前世紀初めに遡るより早い再建の作業の一部は、同時代の用語では疑問であるが、いまやそれ自身の歴史性を持つと考えられうる。「それ自身の歴史性」と書かれる資産は、これまで読んだ136件で三つ目です(15章のポンペイ829、16章のヒマー1619)。三つとも「考えられうる」「論じられうる」で断定ではありません。

確認4:テオティワカンの考古の財産の所有について、UNESCO の記述に合うものは?

  1. 私有地にある考古の財産は私有である
  2. 所有についての記述は無い
  3. 1972年の法がすべての考古の財産の公的所有を確立しているが、私有地にあるものはその例外とされている
  4. 1972年の法が、すべての考古の財産の公的所有を確立している——それらが私有の土地に位置していても
正解と解説を開く

正解:4.1972年の法が、すべての考古の財産の公的所有を確立している——それらが私有の土地に位置していても

> この法は、すべての考古の財産の公的所有を確立している——それらが私有の土地に位置していても。例外は書かれていません。「私有地に位置していても公的所有」と書かれる資産は、これまで読んだ136件でここだけです。

参考資料

確認日:2026年10月27日。世界遺産ゼミは非公式の学習コンテンツです。確認問題は独自に作成しています。特定の試験回への対応は未確定です。

参照した公式教材の版: くわしく学ぶ世界遺産300 <第6版>

この遺産が出題される級は、上のバッジから確認できます。