個人
ポール・ディラック
Paul Adrien Maurice Dirac
1902年生まれ・1984年没
何をした人か
量子力学に相対性理論を取り入れた電子の理論をつくり、陽電子の存在を導いたイギリスの理論物理学者です。
受賞理由のやさしい要約
1933年 物理学賞(賞の1/2)
原子の理論の新しく実り多い形を見いだしたことが評価されました。波動力学をつくったエルヴィン・シュレーディンガーとの2人での受賞です。授賞式の演説では、ディラックの理論から電子のスピンが仮定ではなく理論の帰結として導かれたことが述べられました。
同じ年・部門の共同受賞:エルヴィン・シュレーディンガー
公式の受賞理由(英語)
for the discovery of new productive forms of atomic theory何が新しかったか
1925〜26年に登場した量子論は原子の中の電子のエネルギーをよく説明しましたが、アインシュタインの相対性理論に合わせる必要がありました。ディラックが1928年につくった方程式からは、ある解が出てきました。彼はそれを、電子と同じ質量で電荷だけがプラスの粒子を表すものと解釈しました。この陽電子は、1932年にアンダーソンが実験で見つけました。
私たちの生活や社会とのつながり
陽電子は、いまの医療で使われるPET検査に利用されています。体に入れた薬剤から出た陽電子が体内の電子と出会って消え、そのとき反対向きに飛ぶ2つのガンマ線をとらえて、体の中の働きを画像にします。主な目的は、がんを見つけて進行や治療の効果を確かめることです。
関連する受賞者・団体
- エルヴィン・シュレーディンガー同じ賞の共同受賞
1933年の物理学賞をともに受けました。
- ヴェルナー・ハイゼンベルク研究の継承
ディラックは、1925年にハイゼンベルクが新しい量子力学を打ち出すとすぐにその研究に取り組み、数学的に同等な形を独自につくりました。1929年には、2人で日本を訪れています。
- ヴォルフガング・パウリ編集上の関連
パウリの排他原理には4つ目の量子数が必要で、それは電子のスピンとして解釈されました。ディラックの相対論的な理論では、そのスピンが仮定ではなく理論の帰結として現れました。
「編集上の関連」は、同じ問いを別の角度から考える組み合わせとして編集部が選んだもので、実際の協働や影響関係を示すものではありません。
次に読むためのキーワード
出典と確認日
- NobelPrize.org 受賞者ページ(Paul A.M. Dirac)
- 1933年 ノーベル物理学賞(NobelPrize.org)
- Paul A.M. Dirac – Biographical (NobelPrize.org)
- The Nobel Prize in Physics 1933 - Award ceremony speech - NobelPrize.org
- Nuclear Medicine(nibib.nih.gov)
- Paul A.M. Dirac – Facts - NobelPrize.org
受賞年・部門・英語の受賞理由は NobelPrize.org API の公開データ(2026-10-25取得)です。日本語の解説は編集部による要約で、記述の確認に使った資料を上に掲げています(確認日 2026-10-22)。[根拠]の番号は、医療や評価の分かれる記述について、この一覧の資料を示します。