個人
ヴェルナー・ハイゼンベルク
Werner Karl Heisenberg
1901年生まれ・1976年没
何をした人か
原子の中の電子のふるまいを行列という数学で表す量子力学をつくり、不確定性原理を示したドイツの物理学者です。 [根拠 6]
受賞理由のやさしい要約
何が新しかったか
ハイゼンベルクは、電子が決まった軌道を回るという直接確かめられない像から出発せず、原子が出す光のように観測できる量だけをもとに理論を組み立てました。位置や速度を普通の数ではなく行列で表したのが特徴です。のちに、粒子の位置と速度を同時にどこまで正確に決められるかには限界があることも示しました。 [根拠 3・6]
私たちの生活や社会とのつながり
量子力学はデジタル技術全体の土台とされ、コンピューターのチップに使われるトランジスタもその例です。ハイゼンベルクは1941年、ベルリンのカイザー・ヴィルヘルム物理学研究所の所長になりました。終戦時には、ほかのドイツの物理学者とともに米軍に捕らえられ、イギリスに送られました。 [根拠 3・8]
関連する受賞者・団体
- ニールス・ボーア共同研究
ハイゼンベルクは1924〜25年にコペンハーゲン大学でボーアとともに研究し、1926年にはボーアのもとで理論物理学の講師になりました。
- 朝永振一郎共同研究
朝永は1937〜1939年にドイツのライプツィヒに滞在し、ハイゼンベルクの理論グループと共同で原子核物理と場の量子論を研究しました。
- ポール・ディラック研究の継承
ディラックは、1925年にハイゼンベルクが新しい量子力学を打ち出すとすぐにその研究に取り組み、数学的に同等な形を独自につくりました。1929年には、2人で日本を訪れています。
- エルヴィン・シュレーディンガー編集上の関連
ハイゼンベルクとシュレーディンガーの理論は出発点も考え方も違いましたが、両方で扱える問題では同じ結果を出しました。同じ問いに別の道から迫った2人です。
- 湯川秀樹編集上の関連
湯川秀樹が見いだした粒子に「メソトロン」という名が提案されたとき、ギリシャ語の「mesos」に「tr」はないと指摘したのがハイゼンベルクで、名前は「メソン(中間子)」に改められました。量子力学と中間子論という、原子の内側を探る2つの理論を結ぶ小さなエピソードです。
- リチャード・ファインマン編集上の関連
ハイゼンベルクは量子力学をつくった一人で、1920年代末にはディラック、パウリとともに最初の量子電磁力学を定式化しました。ファインマンらは、その理論に新しい考え方と方法を持ち込み、成功した新しい量子電磁力学をつくりました。
「編集上の関連」は、同じ問いを別の角度から考える組み合わせとして編集部が選んだもので、実際の協働や影響関係を示すものではありません。
次に読むためのキーワード
出典と確認日
- NobelPrize.org 受賞者ページ(Werner Heisenberg)
- 1932年 ノーベル物理学賞(NobelPrize.org)
- Werner Heisenberg – Biographical – NobelPrize.org
- Sin-Itiro Tomonaga – Biographical (NobelPrize.org)
- Paul A.M. Dirac – Biographical (NobelPrize.org)
- Werner Heisenberg – Facts - NobelPrize.org
- The Nobel Prize in Physics 1932 - Award ceremony speech - NobelPrize.org
- Press release: Nobel Prize in Physics 2025 - NobelPrize.org
受賞年・部門・英語の受賞理由は NobelPrize.org API の公開データ(2026-10-25取得)です。日本語の解説は編集部による要約で、記述の確認に使った資料を上に掲げています(確認日 2026-10-22)。[根拠]の番号は、医療や評価の分かれる記述について、この一覧の資料を示します。