個人

オットー・ハーン

Otto Hahn

1879年生まれ・1968年没

  • 1944年 化学賞

何をした人か

ウランに中性子を当てると原子核が割れる「核分裂」を発見した、ドイツの化学者です。 [根拠 3・6]

受賞理由のやさしい要約

1944年 化学賞(単独受賞)

重い原子核の核分裂の発見が評価され、単独で受賞しました。ストラスマンとの実験で、中性子を当てたウランから、ずっと軽い元素のバリウムができることを見つけました。1944年の賞は1年遅れて1945年に贈られました。 [根拠 6]

公式の受賞理由(英語)
for his discovery of the fission of heavy nuclei

何が新しかったか

1938年末、ハーンはストラスマンとともに、ラジウムの一種と考えられていた生成物が化学的にはバリウムのようにふるまうことを見つけました。長年の共同研究者リーゼ・マイトナーと甥のオットー・フリッシュが理論面から取り組み、ウランの原子核が割れたことを示しました。ごく微量の放射性元素を化学的に見分ける比類ない腕前で、核分裂でできる多くの物質の化学研究への道も開きました。 [根拠 6・7]

私たちの生活や社会とのつながり

核分裂は、核兵器とエネルギー利用の両方の開発で重要なものとなりました。一方で受賞はハーン一人で、理論面から核分裂を示したマイトナーとフリッシュ、実験をともにしたストラスマンは受賞者に含まれませんでした。ボーアらがマイトナーを物理学賞に推薦しましたが、受賞には至りませんでした。 [根拠 6・7・8・9]

関連する受賞者・団体

  • アーネスト・ラザフォード共同研究

    ハーンは1905〜06年、カナダのマギル大学でラザフォードのもとで研究し、ともにアルファ線の研究を行いました。

  • エンリコ・フェルミ研究の継承

    ハーンとストラスマンによる核分裂の発見を知ったフェルミは、すぐに連鎖反応の可能性に気づき、制御された核の連鎖反応の実験へと進みました。

  • グレン・シーボーグ編集上の関連

    ハーンとマイトナーは中性子を当てて超ウラン元素ができると考えましたが、1938年末、ハーンとシュトラスマンはそれが原子核の分裂だったことを見つけました。確かな証拠のある最初の超ウラン元素は、1940年にマクミランらがつくったネプツニウムでした。

「編集上の関連」は、同じ問いを別の角度から考える組み合わせとして編集部が選んだもので、実際の協働や影響関係を示すものではありません。

次に読むためのキーワード

出典と確認日

  1. NobelPrize.org 受賞者ページ(Otto Hahn)
  2. 1944年 ノーベル化学賞(NobelPrize.org)
  3. Otto Hahn – Biographical – NobelPrize.org
  4. Ernest Rutherford – Biographical – NobelPrize.org
  5. Enrico Fermi – Biographical – NobelPrize.org
  6. Otto Hahn – Facts - NobelPrize.org
  7. Award ceremony speech: The Nobel Prize in Chemistry 1944 - NobelPrize.org
  8. Nomination Archive - NobelPrize.org
  9. Why is there no Nobel physics prize for nuclear fission? – Physics World

受賞年・部門・英語の受賞理由は NobelPrize.org API の公開データ(2026-10-25取得)です。日本語の解説は編集部による要約で、記述の確認に使った資料を上に掲げています(確認日 2026-10-22)。[根拠]の番号は、医療や評価の分かれる記述について、この一覧の資料を示します。

主な受賞者・団体を選んで掲載しています。全受賞者の網羅ではありません。 Neutrope Biz が制作する独立した学習コンテンツです。ノーベル財団・NobelPrize.org の公式サイトや公認の企画ではありません。