個人
エンリコ・フェルミ
Enrico Fermi
1901年生まれ・1954年没
何をした人か
中性子を原子核に当てて新しい放射性の原子をつくり、遅い中性子の働きを見つけたイタリア出身の物理学者です。
受賞理由のやさしい要約
1938年 物理学賞(単独受賞)
中性子を当てるとできる新しい放射性元素の存在を示し、それに関連して遅い中性子が起こす原子核反応を発見したことが評価され、単独で受賞しました。受賞の直後、ムッソリーニのファシズム独裁から逃れるため、アメリカへ移りました。
公式の受賞理由(英語)
for his demonstrations of the existence of new radioactive elements produced by neutron irradiation, and for his related discovery of nuclear reactions brought about by slow neutrons何が新しかったか
1934年、フェルミたちは中性子をパラフィンや水に通して遅くすると、原子核との反応がかえって強まることに気づきました。この発見から、それまで知られていなかった放射性の同位体が数多く見つかりました。遅い中性子の研究は、のちの核分裂の発見へとつながっていきます。
私たちの生活や社会とのつながり
核分裂の発見を知ると、フェルミは連鎖反応の可能性にすぐ気づき、1942年12月2日にシカゴで制御された核の連鎖反応を実現させました。その後、原子爆弾を開発したマンハッタン計画でも指導的な役割を担いました。核分裂は、核兵器とエネルギー利用の両方の開発で重要なものとなりました。
関連する受賞者・団体
- アーサー・コンプトン共同研究
1941年からの原子力の調査で、コンプトンはフェルミらと協力し、制御された核分裂炉の実現につなげました。
- 楊振寧研究の継承
楊振寧は1946年にシカゴ大学に入り、そこでエンリコ・フェルミの強い影響を受けました。
- 李政道研究の継承
李政道はシカゴ大学で学び、エンリコ・フェルミに選ばれてその博士課程の学生になりました。
- イレーヌ・ジョリオ=キュリー研究の継承
フェルミは、ジョリオ=キュリー夫妻による人工放射能の発見を受けて、中性子を当てるとほとんどの元素で原子核の変換が起こることを示しました。
- オットー・ハーン研究の継承
ハーンとストラスマンによる核分裂の発見を知ったフェルミは、すぐに連鎖反応の可能性に気づき、制御された核の連鎖反応の実験へと進みました。
- マリア・ゲッパート=メイヤー編集上の関連
メイヤーはシカゴでフェルミとの議論から多くを学び、1949年にはフェルミの問いかけをきっかけに原子核の殻模型を提案しました。
- シェルドン・グラショー編集上の関連
フェルミは1934年に弱い力の理論を提案していました。その後グラショーらは、高いエネルギーでも使え、電磁気の力とまとめて扱える理論をつくりました。
- スティーヴン・ワインバーグ編集上の関連
弱い力を説明する初期の理論は、1934年にフェルミが提案しました。ワインバーグらは1960年代、高いエネルギーでも成り立ち、電磁気の力とも統一する理論をつくりました。
「編集上の関連」は、同じ問いを別の角度から考える組み合わせとして編集部が選んだもので、実際の協働や影響関係を示すものではありません。
次に読むためのキーワード
出典と確認日
- NobelPrize.org 受賞者ページ(Enrico Fermi)
- 1938年 ノーベル物理学賞(NobelPrize.org)
- Arthur H. Compton – Biographical (NobelPrize.org)
- Chen Ning Yang – Biographical
- Tsung-Dao Lee – Biographical
- Enrico Fermi – Biographical – NobelPrize.org
- Enrico Fermi – Facts - NobelPrize.org
- Otto Hahn – Facts - NobelPrize.org
- Nobel Prize in Physics 1938 - Presentation Speech - NobelPrize.org
受賞年・部門・英語の受賞理由は NobelPrize.org API の公開データ(2026-10-25取得)です。日本語の解説は編集部による要約で、記述の確認に使った資料を上に掲げています(確認日 2026-10-22)。[根拠]の番号は、医療や評価の分かれる記述について、この一覧の資料を示します。