個人
ゲオルク・ド・ヘヴェシー
George de Hevesy
1885年生まれ・1966年没
何をした人か
放射線を出す同位体を目印にして、元素がさまざまな過程の中でたどる道筋を追う方法を開いた、ハンガリー出身の化学者です。
受賞理由のやさしい要約
1943年 化学賞(単独受賞)
化学変化の研究に同位体を目印(トレーサー)として使った業績が評価されました。1943年の化学賞は1944年11月に発表され、ヘヴェシーが賞を受けたのも1944年でした。ノーベル賞公式サイトに載る業績紹介は、化学賞の選考委員ウェストグレンが1944年12月10日にラジオで語った話に加筆したものです。
公式の受賞理由(英語)
for his work on the use of isotopes as tracers in the study of chemical processes何が新しかったか
1913年、マンチェスターのラザフォードのもとで、放射性の鉛からラジウムDを取り出そうとして失敗したことが出発点でした。ラジウムDは鉛の同位体の一つで、鉛から化学的に分けることはできなかったのです。そこで、放射線を出す原子を目印にすれば元素のふるまいを追えると考えました。ごく微量の目印で足りるこの方法で、溶けにくい鉛の化合物の溶け方や、豆が鉛を吸い上げる様子を調べました。
私たちの生活や社会とのつながり
人工の放射性同位体がつくれるようになると方法は広がり、ヘヴェシーは放射性のリンを含む液を動物や人に注射して、体内での行方を調べました。この方法は、その後の化学と生物学で重要な役割を果たすようになりました。いまの核医学でも、放射性の分子を注射して体の働きを調べ、病気の診断や治療に役立てています。
関連する受賞者・団体
- アーネスト・ラザフォード研究の継承
ヘヴェシーは1910年にイギリスへ渡り、マンチェスターでラザフォードのもとで学びました。同位体を目印にする方法の着想は、そこで任された鉛の分離がうまくいかなかったことから生まれました。
- マックス・フォン・ラウエ編集上の関連
ラウエはドイツ当局による没収を避けるため、ノーベル賞のメダルをコペンハーゲンのボーアの研究所に預けていました。ヘヴェシーの回想によれば、デンマークが占領されると、彼はラウエとフランクのメダルを溶かし、戦後に取り出した金から新しいメダルが贈られました。
- イレーヌ・ジョリオ=キュリー編集上の関連
天然の放射性元素を目印にする方法は、鉛などの重い金属にしか使えませんでした。イレーヌとフレデリック・ジョリオ=キュリー、そしてフェルミが粒子を当てて放射性同位体をつくれるようにしたことで、状況は大きく変わりました。
「編集上の関連」は、同じ問いを別の角度から考える組み合わせとして編集部が選んだもので、実際の協働や影響関係を示すものではありません。
次に読むためのキーワード
出典と確認日
- NobelPrize.org 受賞者ページ(George de Hevesy)
- 1943年 ノーベル化学賞(NobelPrize.org)
- George de Hevesy – Biographical (NobelPrize.org)
- Nobel Prize in Chemistry 1943 – Presentation speech (NobelPrize.org)
- George de Hevesy – Facts - NobelPrize.org
- Nuclear Medicine(nibib.nih.gov)
受賞年・部門・英語の受賞理由は NobelPrize.org API の公開データ(2026-10-25取得)です。日本語の解説は編集部による要約で、記述の確認に使った資料を上に掲げています(確認日 2026-10-22)。[根拠]の番号は、医療や評価の分かれる記述について、この一覧の資料を示します。